NORADがサンタ追跡60周年。きっかけは少女の間違い電話だった

なぜ任務を続けるの?
|

アメリカ軍とカナダ軍が共同運営する北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD:ノーラッド)は12月24日午後5時(日本時間)から、「ノーラッド・トラック・サンタ」で、毎年恒例のサンタクロースの追跡を行う。サイトを見れば、何十億ものプレゼントが、どのようにして遠くまで運ばれるのか、そしてサンタが次にどの街に向かうのかを知ることができるという。

2015年は、最初のサンタ追跡から60年目を迎える。そもそもNORADとは何なのか?そしてなぜ、サンタ追跡を続けているのか?

Open Image Modal
2014年のサンタ追跡の様子

 

■なぜNORADがサンタを追跡?

NORADは爆撃機や核ミサイルなどの航空攻撃に対して、北米の防衛を行っている軍事組織だ。まじめでお堅いイメージのあるNORADだが、トナカイと空飛ぶそりを追いかける伝統は、実は1955年から続いている由緒あるものだ。

 
Open Image Modal

当時、アメリカのコロラド・スプリングスに拠点を置く通販企業、シアーズ・ローバックが、「サンタに電話しよう」と広告を出した。しかし、その広告に掲載された電話番号は間違ったもので、サンタにつながるはずの電話番号は、NORADの前身機関であるCONAD(コーナッド)の司令長官、ハリー・シャウプ大佐につながるものだった。

しかも、その番号はソ連(当時)からの攻撃などがあった場合のみに鳴るような、極秘「ホットライン」作戦の番号。初めてサンタへの電話が鳴ったときの司令部の張り詰めた状況を、アトランティック誌は次のように伝えている。

最初の電話は、シャウプ大佐が対応した。

「もしもし、こちらはハリー・シャウプ大佐です」

しかし、返事がない。

「もしもし、こちらはハリー・シャウプ大佐です」と、もう一回繰り返したが沈黙は続く。「もしもし」ホットラインに沈黙が広がる。「もしもし、聞こえますか?」

ついに、返事があった。しかし、それは司令官からではなかった。それは…小さな女の子からのものだった。彼女もまた、困惑していた。

「あなた、本当にサンタクロース?」

司令官は誰からの電話なのか問い詰めた。無愛想で、センスがなかった。電話の声は泣いていたと、シャウプ大佐の娘は当時を振り返った。

ホットラインへの電話に緊張する司令部に、少女は震えていた。シャウプ大佐は、電話が混線したんだと考え、機転を利かせてサンタのふりをすることにしたという。しかし、その後も電話は鳴り止まず、大佐は側にいた部下にも子供たちの電話に対応するよう命令した。

Open Image Modal

NORADの公式サイトによると、シャウプ大佐はサンタが南に向かった形跡がないか、部下にレーダーで確認させたという。これが伝統となり、現在も世界中のボランティアを巻き込んで続いている。

「NORAD がサンタを追跡するのはなぜ?」という質問に、公式サイトは次のように記している。

「この任務が最高だからです! NORAD は公認のサンタ追跡者としての任務を誇りに思っています!」

▼写真をクリックするとスライドショーが開きます▼

クリスマスの今と昔
(01 of11)
Open Image Modal
写真の白黒部分は、1926年11月2日、クラパム・ジャンクションにあるアーディング&ホッブス百貨店に「ファーザー・クリスマス」が出現したときのもの。カラー部分は、2014年12月15日、小売店「デベナムズ」の前を行き交う買い物客。
(02 of11)
Open Image Modal
クリスマス・ターキーが吊るされているのは、1923年12月のワットリング街道の鳥肉店で、2014年12月の買い物客がその横を通っている。
(03 of11)
Open Image Modal
1939年12月16日、イギリスがドイツとの開戦した3カ月後。店舗保護のために土嚢が積まれた老舗デパート「セルフリッジズ」のウィンドウを、買い物客が覗いている。その隣には、2014年12月11日の一人の男性が同じデパートの横を歩いている。\n
(04 of11)
Open Image Modal
1933年12月30日に撮影された写真には、エンデル通りにあるドルリーレーン劇場で上演された「Song of the Drum」の出演者一団に入っていた1匹のラクダやウマたちが写っている。現代の部分は、2014年12月9日に同じ場所で撮影されたもの。
(05 of11)
Open Image Modal
サンタのコスチュームを着てマラソンをする「サンタ・ファン・ラン」が恒例行事になる以前、サンタたちは、集合するためにバスを利用していた。白黒の部分は、1960年12月にホルボーンでバスを待つ人たちの写真で、カラー部分は2014年12月9日の写真だ。
(06 of11)
Open Image Modal
1956年12月12日、ポーツマス通りにある「オールド・キュリオシティ・ショップ」の外で、キングス・カレッジの学生がクリスマス・キャロルを歌っている。家や店の前でキャロリングをする習わしは、チャールズ・ディケンズの作品によって伝統となった。カラー写真は、周囲の環境が変化する中、58年経った今でもまったく変わらない店の姿を表している。
(07 of11)
Open Image Modal
1935年12月6日に、クリスマスのイルミネーションでライトアップされたオクスフォード通りのセルフリッジズ。カラー部分は2014年12月16日の同店舗。
(08 of11)
Open Image Modal
1938年のクリスマスイブに撮影された国会議事堂前のビーコンズ・フィールド伯爵像と「ビッグ・ベン」の愛称で親しまれるイギリス国会議事堂の時計台。カラー部分は、2014年12月12日に、国会前広場を走る車や歩行者の様子。\n
(09 of11)
Open Image Modal
1948年12月1日、ナショナル・ギャラリー前のトラファルガー広場にて、2人の警察官が、ノルウェーから贈られたおよそ20メートル長のクリスマスツリーをながめている。2014年12月11日に撮影されたカラー部分に、キリスト降誕の場面を表現した展示物の一端を見ることもできる。
(10 of11)
Open Image Modal
セント・ポール大聖堂のクリスマスツリーは、1950年12月19日に、ウィンザー城から移されてきたものである。カラー部分は、2014年12月9日に大聖堂の同じ場所を撮影したものである。
(11 of11)
Open Image Modal
1955年12月30日のリージェント通りには、吹雪を模したアルミニウム製の雪が飾られている。2014年12月16日、クリスマスの買い物客が同じ通りを歩いている。 (credit:Peter Macdiarmid via Getty Images)

【関連記事】