"怪我と弁当は自分持ち"の社会を

実は、自作飛行機も自作自動車も、制度が未整備だった1950年代後半から1970年代にかけてのほうが盛んだった。ところが、役所は安全性を楯にじわじわと規制をかけてきた。それに対して大多数の人は「うさんくさい人が隣で変なことやるより、安全になるならいいんじゃない」と見過ごした。
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先だってデイリーポータルZが掲載した90歳のおじいちゃんが発明した電動三輪車という記事を読んで、本当に胸がいっぱいになってしまった。"大西勇一さん、90歳でお元気なんだ。元気で今も乗り物を作っているんだ"と。

この記事に登場する大西勇一さんは、昭和40年代、模型少年たちのヒーローだった。自作の飛行機で空を飛び、大島までの洋上飛行を成功させた。模型用エンジンで飛ぶ飛行機に乗って空を飛んだ。近所の空き地でゴム動力の模型飛行機を飛ばしていた僕ら子どもにとって、「自分の作った飛行機に乗って飛ぶ」というのは、とてつもないあこがれだった。

記事には、こんなやり取りが載っていた。

----そういう自作飛行機の世界って当時からあったんですか?

「俺が、最初だったけどなあ。今だったら許可出してもらえないからやる人はいないだろうな」

そしてこんな文章も。

大西さんは規制に対してたたかってきたパイオニアらしく、法についてたえず文句を言っている。

ああ、そうか、と思った。この人も法や制度と戦ってきたんだと。

実際、日本の法律や社会の制度は、過剰なぐらいに生活に干渉してくる部分が多々ある。多くの人は、あまりそのことを意識していない。普通の人の生活まで干渉するような制度は煙たがられるから、そこまでは行政はなかなか踏み込んで来ない。しかしほんの半歩でも"普通"の領域から踏み出そうすると、「あれをしちゃいけない、これをしちゃいけない」のオンパレードだ。

例えば飛行機。普通の人は自分で飛行機を作って乗ろうなんて思わない。でも、「自分の作った飛行機で空を飛びたいな」と思った瞬間、様々な法的規制がのしかかってくる。今、メディアアーティストの八谷和彦さんが、Open Skyと題して「風の谷のナウシカ」に登場した「メーヴェ」という飛行機そっくりの機体(通称「メーヴェのようなもの」)をゼロから作って、飛ばそうとしている(八谷さん曰く、その行為自体がパフォーマンスアートなのだそうだ)。そのために、八谷さんは国土交通省・航空局に通い、綿密に法を遵守しつつ物事を進めている。

「国がきちんと安全を管理するのはいいことだ」と思うだろうか。でも、代償は大きい。細々とした要求を満たし、書類を提出し、折衝を重ねて行くにつれて時間がどんどん経ってしまうのである。八谷さんは、もう10年近くもこの機体開発に時間をかけている。人生にとって時間は有限の資源だ。「こんなに時間がかかるなら、自分で飛行機を作るなんて面倒なことはやらないよ」と、あきらめてしまう人も出るだろう。社会の可能性は試行錯誤の数が増えるほど広がる。過剰な規制は社会の可能性を摘み取ってしまう。

この手の話は他にいくらでもある。「自分の作った自動車に乗って走りたい」と思っても、ナンバプレート取得まで沢山の障壁がある。イギリスやアメリカにはキットカーという自動車の組み立てキットが存在し、自分で自動車を作り、乗り回すことができる。ところがキットカー輸入し。日本で組み立ててナンバープレートを取得しようとすると、制度的に大変な手間がかかってしまう。ナンバーが取れなければ、近所をゆっくり走ってテストをすることも違法となってしまう。

これには、海外で組み立て終わったキットカーを輸入すると、「向こうでは合法的に走れるものだから」という理由で、比較的簡単にナンバーが取得できるというオチまで付く。実態として安全かどうかは問題ではないのだ。

根底にあるのは、まず我々の内にある「個人のやることに対する不信」。次に、権限を増やして仕事を確保したい役所の思惑だ。実は、自作飛行機も自作自動車も、制度が未整備だった1950年代後半から1970年代にかけてのほうが盛んだった。ところが、役所は安全性を楯にじわじわと規制をかけてきた。それに対して大多数の人は「うさんくさい人が隣で変なことやるより、安全になるならいいんじゃない」と見過ごした。実際、自分で飛行機や自動車を作ろうという人は少数だ。そこを狙ってお役人はゆっくりと仕事を増やし、今や私たちは知らないうちにとても息苦しい社会に生きることとなってしまった。これは単に役所を悪者にして済む問題ではない。私達の個人の自由意志への不信感と、役所の論理の合作の結果だ。

過剰な規制があったからといって、困る人はごく少ない。でも、その少数の人々がいて、はじめて社会全体が活性化される。「安全第一、穏便に穏便に」では、社会は萎縮する一方だ。小さな話題ではあるけれども、これは日本が"失われた20年"に陥った原因の一つだと、私は考えている。

「別にいいじゃないか」と思う。個人が自分で飛行機を作る。そこには一定のリスクが常に存在する。自作の飛行機で飛んで、事故で怪我をしたり死亡したりしても、それは本人の選択だ。怪我をしないよう、死んだりしないよう自分で頑張るしかない。自動車だって、オートバイだって、船だって、あるいはセグウェイみたいに完全に新しいコンセプトの乗り物だって全く同じだろう。

この話をすると必ず「でも、巻き込み事故で他人に迷惑をかけたらどうする」という意見が出てくる。こういう意見の人は、「そもそも自分で飛行機や自動車やバイクや、なんやかやを作って乗ろうという酔狂な人はごく少数だ」ということを見過ごしている。日本には普通の人が利用する自動車が溢れている。昨年度、日本では交通事故で4411人が亡くなられた。自作の乗り物を作りやすい制度にしたとしても、こんなに大きなリスクが社会にのしかかることはない。むしろ酔狂な人々が自由に振る舞うことで、社会が活性化されるメリットのほうが大きい。数多くの試行錯誤の中からは新しい産業だって生まれてくるかも知れない。

私は、2007年に「コダワリ人のおもちゃ箱」という本を出した。個人レベルで並外れたものを作り、楽しんでいる人々を訪ね歩いたルポルタージュだ。その中でも、色々な制度に従いつつ、なんとかして乗り物を自作しようという人々を取り上げた。千葉にはオートスタッフ末広という個人経営のバイクショップがある。ここは、頑張って公道走行可能な完全オリジナルフレームのオートバイやサイドカーを製作し、それどころか販売できるところまで漕ぎ着けた。同じく千葉の成田ゆめ牧場という観光農場には、羅須地人鉄道協会という鉄道マニアの集まりが、自分たちでナローゲージの線路を引いて、レストアした本物の蒸気機関車を走らせている。もちろん自作の蒸気機関車もある。

彼らは、きちんと現行の法や制度に則って活動している。オートスタッフ末広は陸運局と何度となく相談を繰り返して、自作オートバイでナンバーを取得する方法を開拓していった。羅須地人鉄道協会のメンバーは、それぞれボイラー技士をはじめとした各種資格を取っているし、蒸気機関車のボイラーも法の定める定期点検を受けている。きびしい規制があったとしても、意欲が規制を上回ればできないということはない。

それでも、もうすこしなんとかできないかと思うことは多い。羅須は総延長500mほどの環状線路で、時折蒸気機関車の遊覧運転を行っている。線路の途中には駅を作ってあるが、そこでお客さんが乗り降りすることはできない。乗客が同じ駅で乗って降りる場合、鉄道は法律上では"遊戯物"となり、建築基準法の適用を受ける。ところが別の駅で乗降するとなると適用する法律が鉄道事業法となり、JRや私鉄と同じレベルの厳しい安全規則がかかってくるのだ。

あるいは、飛行機の中でも超軽量動力機(マイクロライト)と呼ばれる区分の小さな飛行機は、同じ飛行場から出発し、戻ってくる飛行しか認められていない。「飛行形態は遊覧飛行に限る」という理屈だ。しかし、衛星ナビゲーションと天気予報の発達で、超軽量動力機でもある程度の距離を安全に飛べるようになった。諸外国では当たり前のように超軽量動力機がひとつの飛行場から別の飛行場へと二点間飛行を行えるが、日本ではダメなのだ。

羅須地人鉄道協会の取材をした時、「我々は、"怪我と弁当は自分持ち"というモットーで活動しています」と聞かされた。

"怪我と弁当は自分持ち"----リスクは自分が負うと言い切った、とても良い言葉だと思う。この態度とそれを支える社会制度こそが、社会に活気を与え、物事を前に進める原動力となる。