熟議の場としてハフィントンポストに期待

現実の政治は、脱原発が火力増強で電気料金値上げを招くように「あちらを立たせばこちらが立たず」や板挟みの連続です。"早くて安くておいしい"そんな安直な政治では、本質的な課題解決は望めません。ファストフード型は政治をわかりやすく、身近にする利点はあるかもしれませんが、その結果、今の日本社会は"偏食"の状態にあります。
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4月19日に成立した改正公職選挙法が約1ヶ月の公布期間を経て、5月26日に施行されました。いよいよインターネットを使っての選挙活動が夏の参院選から解禁されます。

私が慶応大SFC助教授だった十数年前から、ネット選挙導入を主張し続けてきた一番の理由は、有権者同士がウェブ上で様々な社会問題、政治課題を自由闊達に議論できるようにしたかったからです。少子高齢化、経済の停滞、震災復興に、原発エネルギー問題など、現代の日本を取り巻く難題はあまりに複雑です。議論を深めながら、その解決策を組み上げる「熟議」の政治が必要です。その意味でも今回の解禁の意義は大きいのです。

「熟議」という言葉に対し、「議論ばかりしていて物事が決まらない印象がある」という批判も耳にします。しかし、「熟議」とは、だらだらと時間をかけて話し合うのではなく、論点を明らかにして課題解決の道筋をわかりやすくひも解くプロセスであり、むしろ正しい決断を促すための必要条件です。

私なりに、この約10年間の日本の政策決定のプロセスを振り返ると、小泉純一郎や橋下徹にみられるように、カリスマ的なリーダーが即断即決で難題を解決できるかのようなイメージが蔓延しています。小泉、橋下両氏はテレビ政治時代の申し子。小泉氏は「郵政民営化への抵抗勢力」を、橋下氏は「公務員」「日教組」を敵視して、ステレオタイプな勧善懲悪の構図でテレビを通じて自身の存在感を高めました。国民も「政治ショー」とも言える番組を見慣れるうち政治に対し、シンプルなメッセージを益々求める悪循環が生まれています。

テレビ政治は、食生活にたとえると、"早くて安くておいしい"「ファストフード」。一方で、「熟議」の政治は、お値段のはる高級レストラン、あるいは、健康志向の"タニタの食堂"かもしれません。いづれにしても、技術と経験、豊富な知識を有するプロフェッショナルが素材から盛り付けまでを十二分に検討、吟味したメニューが並ぶ専門店です。

現実の政治は、脱原発が火力増強で電気料金値上げを招くように「あちらを立たせばこちらが立たず」や板挟みの連続です。"早くて安くておいしい"そんな安直な政治では、本質的な課題解決は望めません。ファストフード型は政治をわかりやすく、身近にする利点はあるかもしれませんが、その結果、今の日本社会は"偏食"の状態にあります。

偏食の弊害をもう一つ。ご紹介するのは、全体主義の本質を解明したドイツの政治哲学者ハンナ・アーレント(1906~75)の言葉です。「本来、意見は、意見と意見の交換のなかで、はじめて形成しうるのに、大衆社会に広がる体制順応主義は、意見形成の条件となる意見の相違そのものを一掃してしまう。こうした『世論の専制』は、それに抗する反対意見をも一枚岩のものとして扱うことによって、その複数性を奪い去ってしまう」。

アーレントが指摘したように、多様な意見の圧殺は民主主義社会の脅威につながりかねません。残念ながら、最近の日本インターネット上では、自分たちと異なる意見を叩きつぶすような乱暴な立ち振る舞いが目にあまります。国際世論で問題視された橋下発言もこのような潮流の一部と見てとることができます。

さて、ハフィントンポストでは、読者コメントを活用した健全な議論醸成もコンセプトに入っていると聞きました。日本のブログ論壇もファストフード型が主流だった?!なかで、ハフィントンポストはまさに料理をしっかりと味わい、語らう専門店と言えます。アーレントのような思想家の論考を堂々と掲載できる言論サイトの登場を大いに歓迎します。本国版へ拙稿の英訳を載せるチャンスもあるとのことですから、日本政治の理性的な側面を伝えていく機会にできればと思います。