富岡製糸場だけじゃない 日本の歴史を知る「近代化産業遺産」【画像】

世界文化遺産への登録勧告された富岡製糸場は、経済産業省が指定する「近代化産業遺産」でもある。これは、産業近代化の過程を知ることができる建物施設や機械装置などを指定し、地域活性と遺産の保存につなげるためのものだ。全国で1115件が指定されているが、その中からいくつか、画像で紹介しよう。
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時事通信社

ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録される見通しとなった群馬県の富岡製糸場(群馬県富岡市)。登録されれば国内で18件目の世界遺産となり、日本の近代化を支えた産業遺産としては初めての登録となる。

大型連休最終日を迎えた5月6日も、富岡製糸場には大勢の観光客が訪れた。市は4月26日から連休中の見学者数が過去最多の計5万600人だったと発表した。2013年の人出は約1万7000人だった。

ちなみに富岡製糸場は、経済産業省が指定する「近代化産業遺産」でもある。これは、産業近代化の過程を知ることができる建物施設や機械装置などを指定し、地域活性と遺産の保存につなげるためのものだ。

全国で1115件が指定されているが、その中からいくつか、画像で紹介しよう。

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日本の近代化産業遺産 画像集
サッポロビール博物館(旧開拓使麦酒製造所)北海道札幌市(01 of21)
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日本で唯一のビールについて学ぶことができる博物館。\n\n建物は、サッポロビール札幌製糖会社の工場として1890年(明治23年)に建設された。1905年(明治38年)には現在のサッポロビールの前身である札幌麦酒の製麦所に改修。旧北海道庁とともに明治の面影を残す数少ない貴重な文化遺産であり、「札幌苗穂地区の工場・記念館群」の一施設として北海道遺産にも選定されている。\n\nサッポロビール博物館 | サッポロビール (credit:Flickr / MIKI Yoshihito)
サッポロビール博物館(北海道札幌市)(02 of21)
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サッポロビール博物館の内部 (credit:Flickr / MIKI Yoshihito)
稚内港北防波堤ド ーム(北海道稚内市)(03 of21)
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北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年から昭和11年にかけ建設された防波堤。\n設計者は北海道大学を卒業して3年目に、北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してきた当時26歳の土谷実氏。\n総延長は427m、総数70本の柱は古代ローマ建築物を思わせるデザインで、半アーチ式の構造形式となっている。\n2001年に北海道遺産にも認定された。\n\n北防波堤ドーム/稚内観光情報 最北端のまち稚内 (credit:Wikipedia : Si-take)
稚内港北防波堤ド ーム (北海道稚内市)(04 of21)
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内部の様子 (credit:Wikimedia Commons)
小坂鉱山事務所 (秋田県鹿角郡小坂町)(05 of21)
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1905年(明治38年)に建設された小坂鉱山事務所。かつて鉱産額で全国一位にまでのぼりつめた小坂鉱山の全盛時代を現在に伝える文化遺産。 \nおよそ一世紀近い期間、1997年(平成9年)まで現役事務所として利用されていた。\n2002年に国重要文化財(建造物)に指定された。\n\n小坂鉱山事務所 (credit:Wikimedia Commons)
小坂鉱山事務所(秋田県鹿角郡小坂町)(06 of21)
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(credit:Flickr / Makoto Nakashima)
シャトーカミヤ 事務室(茨城県牛久市)(07 of21)
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シャトーカミヤは実業家である神谷傳兵衛が、1903年(明治36年)に開設した。フランス種の葡萄とフランス・ボルドー地方の高級ワイン製造法を採り入れ、葡萄栽培から瓶詰出荷までを一貫生産する日本国内初の本格的ワイン醸造所となった。\n\n2008年に、「事務室」(現:本館)、「醗酵室」(現:神谷傳兵衛記念館)、「貯蔵庫」(現:レストランキャノン)の旧醸造場施設3棟国指定重要文化財に指定された。\n\n シャトーカミヤ公式サイト (credit:Wikipedia / Wiiii)
足尾銅山(栃木県日光市)(08 of21)
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足尾銅山は幕府直営銅山として 1600 年代には年間最高 1500トンを記録するなど、400年以上の歴史を持つ。1871年に民営の許可が出され、1877年に古河市兵衛の経営になって以降、採掘が本格化する。\n明治中期から後期にかけて、足尾銅山から鉱毒が渡良瀬川に流出し、周辺の農地が汚染され社会問題となった。日本の公害問題の起源でもある。\n\n2014年に国指定重要文化財に認定された古河橋は、足尾銅山施設の近代化の一環として渡良瀬川に架設されたもので、1890年(明治23年)に竣工した。足尾銅山において近代最初期に整備された施設の中で、ほぼ完存する唯一の遺構である。 (credit:Wikimedia Commons)
ドックヤードガーデン(旧横浜船渠株式会社第二号ドック) 神奈川県横浜市(09 of21)
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旧横浜船渠第2号ドックは、 神奈川県横浜市英国人技師パーマーの提言に基づき、1889年(明治22年)設立の「横浜船渠会社」が1896年(明治29年)に建設した船舶補修用のドックである。設計は海軍技師の恒川柳作が担当した。民営のものとしては、現存最古の石造乾船渠(ドライドック)であり、邦人技師の手による明治期の土木技術を今日に良く伝えている。このドックは昭和48年にその役割を終えたが、所有者と横浜市で検討の結果、1993年(平成5年)にイベント・スペースとして再生した。\n第二号ドックと第一号ドックは2000年に国指定重要文化財に指定された。\n\nドックヤードガーデン施設概要|横浜ランドマークタワー (credit:Wikimedia Commons)
読書発電所(長野県木曽郡)(10 of21)
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現在は関西電力が所有する、読書(よみかき)発電所は、現役の近代化遺産としては初めて、1994年(平成6年)に国指定重要文化財に指定された。\n1921年(大正10年)から1923年(大正12年)にかけて大同電力株式会社によって、当時最大出力4万700キロワットの水路式発電所として建設された。\n\n読書発電所 | 南木曽町観光協会 (credit:Wikimedia Commons)
読書発電所 柿其水路橋(長野県木曽郡)(11 of21)
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柿其水路橋は、上流の取水口から水を導く水路の一部。1923年(大正12年)に完成。 (credit:Wikimedia Commons)
琵琶湖疎水 南禅寺水路閣(京都市左京区)(12 of21)
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琵琶湖疎水は、通船、水力発電、飲料水の供給など多様な目的で計画された、琵琶湖の水を滋賀県大津市から京都市内へ引くという、明治期の画期的な土木工事。土木技師として採用されたのは当時東京の工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎。工事は1885年(明治18年)から1890年(明治23年)に及んだ。\n\n京都市上下水道局:琵琶湖疏水のご紹介 (credit:Wikimedia Commons)
琵琶湖疎水(13 of21)
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第1疏水第1トンネル(大津側)の夜桜 (credit:Wikimedia Commons)
梅小路蒸気機関車庫(京都市下京区)(14 of21)
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梅小路機関車庫は、京都停車場改良工事の一環として、鉄道院西部鉄道管理局の設計により、1914年(大正3年)11月に竣工した。日本に現存する最古の鉄筋コンクリート造機関車庫だ。\n大規模な架構や合理的な平面計画により、機関車修理などの効率的作業を可能とし、全国的な鉄道輸送力増強を支える一翼を担った。大正、昭和を代表する機関車庫である。\n2004年に国指定重要文化財に指定された。\n\n梅小路蒸気機関車館 (credit:Wikimedia Commons)
生野銀山(兵庫県朝来市)(15 of21)
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生野銀山はは807年(大同2年)に銀が出たと伝えられる、長い歴史を持つ銀山。\n1868年(明治元年)には日本初の官営鉱山(政府直轄)となった。明治政府は近代化を推し進めるため、「お雇い外国人第1号」のフランス人技師ジャン・フランソワ・コワニエを鉱山師兼鉱学教師として雇う。製鉱所(精錬所)を建設し、生野に日本の近代化鉱業の模範鉱山・製鉱所の確立をめざした。\n1889年(明治22年)には生野鉱山と佐渡鉱山が皇室財産に移され、宮内省御料局の所管となった。\n1896年(明治29年)には三菱合資会社に払い下げられ、以後、三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働してきたが、1973年(昭和48年)に閉山した。\n\n生野銀山【歴史・概要】 (credit:Wikimedia Commons)
生野銀山(兵庫県朝来市)(16 of21)
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坑道内 (credit:Wikimedia Commons)
旧大社駅本屋 (島根県出雲市)(17 of21)
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駅舎は1912年(明治45年)に国鉄大社駅の開通により開業され、1924年(大正13年)2月に新たに改築された。出雲大社の門前町に構える駅舎は、純日本風の木造平屋建ての建物だ。\n\nJR大社線は、1990年(平成2年)3月31日に廃止され、その後旧大社駅舎は2004年(平成16年)国指定重要文化財に指定された。\n\n旧大社駅|出雲観光ガイド | 出雲観光協会公式ホームページ (credit:Wikimedia Commons)
旧大社駅本屋 (島根県出雲市)(18 of21)
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内部の様子 (credit:Wikimedia Commons)
別子銅山 (愛媛県新居浜市)(19 of21)
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1690年(元禄4年)、江戸時代に開坑した別子銅山は、明治・大正・昭和と282年の長きにわたり掘り続けられ、幕末の激動に翻弄されながらも、1973年(昭和48年)の閉山まで住友が一貫して経営した。\n1975年(昭和50年)、別子銅山の意義を永く後世に伝えるため、住友グループによって別子銅山記念館が建設された。\n\n別子銅山記念館 | 新居浜市観光サイト (credit:Wikimedia Commons)
軍艦島(長崎県)(20 of21)
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軍艦島は、正式には端島(はしま)という、長崎港から南西19kmの海上に浮かぶ小さな島だ。もともとの小さい島を造成し現在の島の形状になった。\n1810年頃に石炭が発見され、石炭の採掘は1870(明治3)年に天草の小山秀(こやまひいで)によって始めらた。1890(明治23)年に三菱合資会社の経営に移り本格的な活動が始まる。炭坑の開発と並んで従業員のための住宅建設が盛んに行われ、最盛期には5千人を超す人たちが生活をしていた。\n\n福岡県の八幡製鉄所などとともに、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口関連地域」として2015年の世界文化遺産登録を目指し推薦されている。\n\n明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域 長崎県長崎市 端島炭坑(軍艦島) (credit:Wikimedia Commons)
尚古集成館(鹿児島市吉野町)(21 of21)
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薩摩藩11代藩主・島津斉彬は、西欧諸国のアジア進出に対応し、軍事のみならず産業の育成を進め、富国強兵をいち早く実践した。その事業の中核となったのが、工場群「集成館」だ。\n慶応元(1865)年に竣工した機械工場は、1962年に国指定重要文化財に指定され、現在内部は島津家の歴史・文化と集成館事業を語り継ぐ博物館「尚古集成館」として親しまれている。\n\n尚古集成館 (credit:Wikimedia Commons)