新庄剛志「すごい額」の金銭トラブルを激白、その額とは?

元プロ野球選手の新庄剛志氏が20日放送のテレビ朝日系「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に出演。自身の金銭トラブルについて告白した。
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時事通信社

元プロ野球選手の新庄剛志さん(45)が2月20日、テレビ朝日系「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に出演し、「この番組史上、一番すごい額をしくじりました」と金銭トラブルをテレビで初告白した。

新庄さんは西日本短大付(福岡)から1989年にドラフト5位で阪神に入団。直後から、母親の知り合いのAさんに金銭管理をすべて任せていた。Aさんは豪邸に住み、いくつもの会社を経営する人だった。新庄は「この人なら大丈夫だと思いますよね」と、稼いだ金をすべてAさんに預けていたという。

「Aさんは良き相談相手でした。スター選手になったのは、Aさんのおかげ」と新庄さんは強調した。反対の声もあったメジャー行きを後押ししたのもAさんだった。毎年、車を買い換えるなど無謀な散財で渡米前は貯金がほぼゼロだったが、メジャー1年目のニューヨーク・メッツでは日本人で初めて4番を打つなど活躍。シーズンオフにはスポンサー契約も相次ぎ、新庄は当時について「野球はなんてマジ、バイト」と振り返った。

その後、2006年に日本ハムを最後にプロ野球を引退するまでに44億円を稼いだ。ところが、引退後にCM撮影で訪れたインドネシアのバリ島が気に入り当地への移住を決心して預金口座を確認したところ、税引きで22億円あるはずの残高が2200万円しかなかったことが判明。Aさんを問い詰めると、相談なしに会社の資金に流用していたと答え、返すことを拒否したという。

裁判に持ち込んだが、2012年にAさんが破産宣告をしたため裁判自体が終了。戻ってきたのは8000万円だけだった。「17年間、調べていないのは自分のミス。他人に任せた僕が一番悪い」「金額もそうだが、裏切られたことも悔しい」などと心情を述べた。

最後には「年に1、2回チはェックしたほうがいい」と力を込めた。現在はバリ島に住んでいる。

▼画像集が開きます▼

1980年代のホームランバッター写真集
プロ野球日本シリーズ第2戦・西武-阪神/バースの逆転2ラン(01 of22)
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1985年10月27日、プロ野球日本シリーズ第2戦・西武-阪神、4回表1死一塁。西武の高橋直樹投手(手前)から左越えに逆転の2点本塁打を放ち、2試合連続の決勝打を挙げる阪神のランディ・バース(左奥)=埼玉・西武球場 (credit:時事通信社)
掛布雅之(02 of22)
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1985年7月13日、 プロ野球・巨人-阪神15回戦、阪神の掛布雅之が右へ20号2点本塁打を放つ(東京・後楽園) (credit:時事通信社)
プロ野球・原辰徳が巨人入団(03 of22)
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1980年12月20日、巨人のユニホームを着て正力亨オーナー(左)、藤田元司監督(右)と握手する原辰徳選手(東京・読売新聞社) (credit:時事通信社)
プロ野球日本シリーズ第6戦・西武-阪神/日本シリーズMVPのバース(04 of22)
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1985年11月2日、プロ野球日本シリーズ第6戦・西武-阪神、最高殊勲選手(MVP)に輝き、副賞の車とキーを手に喜ぶ阪神のランディ・バース選手(西武) (credit:時事通信社)
プロ野球オープン戦・阪神-巨人/掛布の守備(05 of22)
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1981年3月22日、プロ野球オープン戦・阪神-巨人、巨人・原辰徳のゴロをさばく阪神の掛布雅之内野手(右)=甲子園 (credit:時事通信社)
プロ野球・中日-巨人/クロマティの本塁打(06 of22)
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1989年8月13日、プロ野球・中日-巨人、4回表無死、右越えに先制の本塁打を放つ巨人のウォーレン・クロマティ=ナゴヤ球場 (credit:時事通信社)
岡田彰布(07 of22)
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1985年09月16日、プロ野球・阪神-中日23回戦、九回裏阪神二死満塁、サヨナラ安打を放ち並木コーチ(右)と喜ぶ阪神の岡田彰布(甲子園) (credit:時事通信社)
プロ野球・田尾安志(08 of22)
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1983年5月8日、中日・田尾安志のバッティング(後楽園) (credit:時事通信社)
プロ野球日本シリーズ第3戦・西武-中日/宇野の2ラン(09 of22)
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1988年10月25日、プロ野球日本シリーズ第3戦・西武-中日、7回表1死ニ塁、右にシリーズ1号2点本塁打を放つ中日の宇野勝=西武球場 (credit:時事通信社)
モッカ(10 of22)
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1983年8月17日、サヨナラ安打のモッカ(右から2人目)を迎える黒江透修(中央)(愛知県名古屋市) (credit:時事通信社)
プロ野球・落合と握手する山本監督(11 of22)
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1982年10月9日、三冠王確定のロッテの落合博満(右)と握手する山本一義監督(神奈川・川崎球場) (credit:時事通信社)
プロ野球・山本浩二(12 of22)
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1984年、天福キャンプでバッティングの練習をする広島カープの山本浩二外野手 (credit:時事通信社)
プロ野球日本シリーズ第7戦・広島-阪急/優勝の広島(13 of22)
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1984年10月22日、プロ野球日本シリーズ第7戦・広島-阪急、4年ぶり3度目の日本一に輝き、古葉竹識監督(背番号72)、衣笠祥雄(背番号3)らを先頭に、チャンピオンフラッグを手に場内を一周する広島ナイン=広島市民球場 (credit:時事通信社)
プロ野球・巨人-ヤクルト/杉浦のバッティング(14 of22)
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1985年5月6日、プロ野球・巨人-ヤクルト、ヤクルトの杉浦享(東京・後楽園球場) (credit:時事通信社)
プロ野球・ヤクルト-巨人/八重樫の守備(15 of22)
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1987年04月14日、プロ野球・ヤクルト-巨人、本塁を突く巨人の篠塚利夫(右)をタッチアウトにするヤクルトの八重樫幸雄捕手=神宮球場 (credit:時事通信社)
ブーマー(16 of22)
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1984年9月3日、プロ野球・日本ハム-阪急、阪急のブーマー・ウェルズ(東京・後楽園) (credit:時事通信社)
ブーマー(17 of22)
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1984年07月22日、プロ野球・オールスター、2安打3打点と活躍し、初出場でMVPを受賞した全パのブーマー・ウェルズ(阪急)(甲子園) (credit:時事通信社)
プロ野球・西武-日本ハム/柏原の20号ソロ(18 of22)
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1982年08月31日、プロ野球・西武-日本ハム、20号ソロ本塁打を放つ日本ハムの柏原純一(西武球場) (credit:時事通信社)
プロ野球・西武-南海/門田の2ラン(19 of22)
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1983年10月5日、プロ野球・西武-南海、6回、37号2点本塁打を放つ南海の門田博光=西武球場\n (credit:時事通信社)
プロ野球・西武-日本ハム/工藤と田淵(20 of22)
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1982年8月31日、プロ野球・西武-日本ハム、プロ入り初勝利を挙げた工藤公康投手(左)を祝福する西武の田淵幸一。6回に田淵が放った21号3点本塁打が決勝打となった=西武球場 (credit:時事通信社)
清原和博(21 of22)
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1985年12月12日、真新しい西武の帽子とユニホームを着て、森昌彦監督(左)から祝福されるドラフト1位指名で西武に入団が決定したPL学園の清原和博選手=東京都豊島区のサンシャインプリンスホテル (credit:時事通信社)
プロ野球日本シリーズ・西武-広島第8戦/バック宙する秋山(22 of22)
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1986年10月27日、プロ野球日本シリーズ・西武-広島第8戦、六回表西武一死一塁、秋山幸二が左に本塁打を放ち、バック宙してホームイン(広島) (credit:時事通信社)

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