自衛隊は戦争する軍隊になるのか?

「自衛隊は戦争する軍隊になりますよ」安倍首相のブレーン・岡崎久彦氏に聞く集団的自衛権を拝読。文句なしの良記事と思う。この記事は、結果として日本国内に「日本の領土と日本国民の生命と財産は自衛隊が守る」と考える層と、「いや、日本には平和憲法があるので国防は従来同様アメリカに丸投げすれば良い」と考える今一方の層が存在する事を図らずも焙り出した。

「自衛隊は戦争する軍隊になりますよ」安倍首相のブレーン・岡崎久彦氏に聞く集団的自衛権を拝読。文句なしの良記事と思う。この記事は、結果として日本国内に「日本の領土と日本国民の生命と財産は自衛隊が守る」と考える層と、「いや、日本には平和憲法があるので国防は従来同様アメリカに丸投げすれば良い」と考える今一方の層が存在する事を図らずも焙り出した。そしてこの事が、集団的自衛権の行使という世界の常識を国内政治の場で前に進めて行くのに際し、本来不要なエネルギーと時間を浪費させている事実の背景を国民に分かり易く説明している。露骨にいってしまえば、日本を駄目にしているのは「平和ボケ」した日本人と、政権を取る積りも政権運営能力もない野党の迷走という結論となる。そしてその結果、集団的自衛権に関して国会は空虚な芝居小屋になってしまう。

■集団的自衛権に関しての今後の政治日程

仄聞するところ、政府・自民党は19日、自衛隊が武力を使って他国を守る集団的自衛権に関する法案の国会審議を、来年春の統一地方選挙以降に先送りする方針を固めたとの事である。とはいえ、安倍首相はオバマ大統領と年末までに「日米防衛協力ガイドライン」の見直し、再改定を約束済みである。従って、安倍首相は集団的自衛権行使を認める憲法解釈の変更について秋の臨時国会前までに閣議決定を目指す基本方針は堅持するはずである。野党がこれを国会軽視と騒ぐのであれば、国会を解散し総選挙に持ち込む展開となるだろう。結果、自民党が圧勝、衆議院で単独過半数となり、国会も随分とすっきりするかも知れない。

■集団的自衛権に関する誤解

長野氏の下記質問は日本国民が集団的自衛権に関し抱いている誤解を投影したものであろう。

長野 集団的自衛権というのは、日本が自分たちが攻撃されていないのに、全然関係ないところで、巻き込まれていって、例えば戦争や地域紛争で、日本の自衛官が血を流すことになるんじゃないか。そうした不安があります。

集団的自衛権行使認可に舵を切ったからといって、必ずしも米軍追随が必要となる訳ではない。飽く迄もこれは権利に過ぎないからである。アメリカ軍が始めたベトナム戦争にイギリスが参戦しただろうか? 一方、サッチャーが始めたフォークランド紛争にアメリカが参戦しただろうか? 歴史が示す通りではないのか? アメリカ軍に協力するか否かは時の内閣(首相)が判断し、決める事である。

■自衛隊単独で中国軍に対抗するのは実質不可能

それでは、そもそもの話であるが、何故集団的自衛権が日本に取って必要なのか? である。自衛隊の防衛力が充分であれば自衛隊単独で中国軍に対抗する事が可能であり、集団的自衛権はないよりはあった方が良い程度の軽い位置付けであろう。実態はどうであろうか?防衛白書が詳細解説する最新データを参照するのが一番の早道であろう。日本の国防を真面目に考えるなら目も眩むような日中間の兵力格差である。日本の国防にはアメリカの支援が不可欠である。日本がアメリカから支援して貰う以上、日本もアメリカを支援するというのは道理である。集団的自衛権に反対する野党議員は沢山いるが、誰一人としてこの疑問に答えていない。

■事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!

この言葉は踊る大捜査線という人気ドラマの中で主人公が発したものである。自衛隊の運用、活用に関しても全く同じ様な問題が生じていると思う。南スーダンは今尚悲惨な内戦状況にある。自衛隊が南スーダンの平和と安定に貢献するためにPKOに参加したのであれば、現地治安状況の悪化を理由に撤退するなど言語道断である。そして、虐殺されようとする丸腰の難民を前に指を咥え傍観する様な自衛隊であれば、そもそもPKOに参加すべきではないという話になる。

実際に難民を救済するために自衛隊が交戦すれば戦闘に際して必然となる「犠牲」も覚悟せねばならない。そこで狼狽える様では、そんな基本的な覚悟もなく自衛隊を南スーダンでのPKOに参加させたのか? といった政治責任を厳しく問われる事になる。こういう話をすると、「国内法は順守せねばならない」といった反論を受ける事となる。

私も法は順守すべきと思っている。しかしながら、「停戦が守られている」条件が喪失したとの理由で世界がPKO増員に応じている中で、仮に自衛隊のみが我が身大事で帰国したら全世界が日本を軽蔑するのは当然である。国内法の制約があるとの理由で基地内に避難してきた難民が暴徒に虐殺されるのを傍観するのも同様である。自衛隊員は銃を取って難民救済に全力を尽くすべきである。当然、自衛隊が現在許可されている武装で充分なのか? といった議論も噴出するであろう。

そもそも、現地で順守する事が非人道的と全世界から批判される事になる「国内法」とやらを何故改正しないのか? 「集団的自衛権」をめぐる議論が活発になって以来「自衛権の範囲」を定義しろとか、「個別的自衛権」の解釈の変更で充分では?と主張する野党議員も多い。率直にいって、野党議員は暇で他にやる事がないのだと思う。「集団的自衛権」は既に述べた様に、飽く迄権利なので行使するかどうか? は別として獲得して損はない。対米アピールにもなる。そんな事よりも、現在南スーダンに派遣されている自衛隊が何に困っており、どういった法改正でより効果的な運用が可能になるか? 現実的な検討を行うべきである。

自衛隊運用に拘わる議論は、詰まらない能書きや机上の空論を極力排し、現場第一主義を貫徹すべきと考える。一体何人の野党議員が南スーダンの自衛隊基地を実際に訪問し、状況確認、問題の抽出をしたのか? 冷暖房の完備した国会で思いつきの妄言を吐いているだけではないのか?

■平和ボケの日本で憲法改正は無理

長野 これだけ国民の安全を守るためにやりたい、というならば、なんできちんと憲法改正の手続きを取らないんですか。

岡崎 きちんとってね、じゃあ、あなたやってみてくださいよ。憲法改正やってみてください。

長野氏の質問は決して的外れなものではない。一方、岡崎氏の回答とそれを補足する説明は正鵠を射たものである。それでは、どうして今一つ議論が噛み合わないのであろうか? 私は、その背景にあるのは平和ボケの日本で憲法改正は無理という残念な状況と、その原因となっている現在日本人の痼疾ともいえる「一国平和主義」で構わないとする風潮と考える。従って、岡崎氏が主張する様に「今の段階では現実的に出来る事からきちんと手を付けて中国に備える」

という結論にならざるを得ない。