戦国武将・前田慶次が晩年に過ごした屋敷「無苦庵(むくあん)」の跡地と伝えられる山形県米沢市内の場所で、井戸跡や農作業の道具などが出土した。米沢市の住民グループ「米澤前田慶次の会」が10月22日に発表した。毎日新聞などが報じた。前田慶次は人気漫画「花の慶次―雲のかなたに―」の主人公のモデルとして知られている。
山形新聞によると、井戸跡は地表から30~40センチ下の地層で確認。深さ74センチで現在も水が湧き出ている。内部からは枝を刃物で切って作った箸と、豆類をさやから出す際に使う長さ90センチほどの「たたき棒」も見つかった。ごみ捨て場とみられる穴からは土堝片に加え、火鉢の役割の手焙(てあぶり)片も発見された。「慶次の会」の梅津幸保会長は「慶次の生活のにおいのするものばかり。大きな成果だ」と話したという。
2015年の秋の1次調査で、江戸初期の柱穴群などが発見されたばかり。慶次の屋敷跡の可能性が高まった。
コトバンクによると、 前田慶次は1541年、武将・滝川益氏の子として生まれ、加賀・前田家へ養子に入った。後に出奔し、後年は上杉家に仕えたという。自由奔放、破天荒な振る舞いで知られ、豊臣秀吉から「天下御免の傾奇者」を許されたという逸話も残る。1612年に、70歳前後で生涯を閉じ、米沢市の一花院に葬られたとされる。1990年代には週刊少年ジャンプで、慶次を主人公にした漫画「花の慶次―雲のかなたに―」(原作:隆慶一郎、作画:原哲夫)が連載されて人気を博した。
幕末・明治の男たち。 写真で見ても胸アツすぎる(30選)
織田信福(01 of30)
Open Image Modalおだ・のぶよし。現在の高知市内で歯科医をしていた。明治10年前後の撮影と見られる。
桂太郎(02 of30)
Open Image Modal長州藩士。明治34年に首相に就任。日英同盟を締結し、日露戦争で日本を勝利に導いた。
渋沢平九郎(03 of30)
Open Image Modal渋沢栄一の見立て養子。戊辰戦争では幕府側に付き、従兄の渋沢喜作らと振武軍を結成して新政府軍と戦ったが、現在の埼玉県越生町内で敵に包囲され割腹自殺した。享年22歳。
土方歳三(04 of30)
Open Image Modal新撰組副長。局長の近藤勇の右腕として数々の事件で活躍、規律に厳しく「鬼の副長」と称された。戊辰戦争では旧幕軍側指揮官して転戦し、1869年に箱館五稜郭で戦死。享年35歳。
島津珍彦(05 of30)
Open Image Modal薩摩藩の藩主である島津家の一門。明治期には華族に列し、侍従、貴族院議員。
近藤勇(06 of30)
Open Image Modalこんどう・いさみ。新撰組局長。尊王攘夷派の取締りと弾圧にあたった。戊辰戦争で敗れ、斬首された。
大久保利通(07 of30)
Open Image Modal薩摩藩士。明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。
植木枝盛(08 of30)
Open Image Modalうえき・えもり。土佐藩士・植木直枝の嫡男で、自由民権運動の理論的指導者。
池田長発(09 of30)
Open Image Modalいけだ・ながおき。幕末の旗本で、備中国井原の領主。
木戸孝允(10 of30)
Open Image Modal長州藩士当時の名前は、桂小五郎。明治維新の立役者の一人。
横山常忠(11 of30)
Open Image Modalよこやま・つねただ。会津藩士。1867年、パリ万博に出席する徳川昭武に随行して、ヨーロッパ諸国を巡ったが、翌年の戊辰戦争で死去。20歳の若さだった。
奥平昌邁(12 of30)
Open Image Modalおくだいら・まさゆき。豊前中津藩の最後の藩主となった。
松平容保(13 of30)
Open Image Modalまつだいら・かたもり。幕末の大名。陸奥国会津藩の第9代藩主。京都守護職に任命され、京都の治安維持と公武合体の実現に努めた。
大鳥圭介(14 of30)
Open Image Modal尼崎藩士。西洋軍学者として活躍した。
江川英敏(15 of30)
Open Image Modal江戸時代末期の旗本で、伊豆韮山代官。
酒井忠篤(16 of30)
Open Image Modalさかい・ただずみ。出羽庄内藩11代藩主
中岡慎太郎(17 of30)
Open Image Modal土佐藩を脱藩して尊攘派浪士の指導者となり、薩長両藩の提携を画策。陸援隊を組織し、討幕運動に奔走したが、坂本竜馬とともに京都で幕府の刺客に暗殺された。 29歳だった。
桐野利秋(18 of30)
Open Image Modal薩摩藩士。幕末には中村半次郎の名前で活動、「人斬り半次郎」の異名もある。西南戦争では西郷隆盛ともに政府軍と戦い、戦死した。\n\n隣の女性は恋人だった京都四条「村田煙管店」の娘、村田さと。
井上馨(19 of30)
Open Image Modalいのうえ・かおる。長州藩士。伊藤博文たちとイギリスに留学していましたが、1864年の下関砲撃事件を聞いて帰国し、通訳として講和に参加した。 明治維新の後は、外務大臣などを歴任した。
伊藤博文(20 of30)
Open Image Modal長州藩士。明治維新の立役者の一人、日本国の初代首相。
徳川昭武(21 of30)
Open Image Modal水戸藩最後の第11代藩主。
山岡鉄舟(22 of30)
Open Image Modal幕臣で剣術家・政治家として知られる。無刀流の開祖。戊辰戦争の際、勝海舟の使者として西郷隆盛を説き、西郷・勝の会談を実現させて江戸城の無血開城を導いた。
徳川慶喜(23 of30)
Open Image Modal江戸幕府の第15代将軍。大政奉還や新政府軍への江戸開城を行なった。
勝海舟(24 of30)
Open Image Modal江戸末期の幕臣。咸臨丸を指揮して太平洋を横断。1864年に海軍奉行。西郷隆盛と会見して江戸城明け渡しに尽力した。
榎本武揚(25 of30)
Open Image Modalえのもと・たけあき。オランダへ留学後、幕府海軍の指揮官となった。戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、いわゆる「蝦夷共和国」の総裁となった。箱館戦争で敗北し、投獄されたが釈放。明治政府の下で閣僚を歴任した。
松平春嶽(26 of30)
Open Image Modalまつだいら・しゅんがく。第16代越前福井藩主。将軍・徳川家慶の従弟に当たる。
福澤諭吉(27 of30)
Open Image Modal豊前中津藩士、慶応義塾の創立者。「学問ノススメ」などの著作で知られる。
大隈重信(28 of30)
Open Image Modal佐賀藩士。明治維新の元勲の一人で、内務大臣や首相を歴任。早稲田大学の創設者でもある。
小松帯刀(29 of30)
Open Image Modalこまつ・たてわき。幕末の志士。薩摩藩主島津斉彬の小姓となる。その後、藩政改革派として藩政に携わり、家老となる。1866年1、西郷隆盛とともに木戸孝允らとの間で薩長連合を締結。将軍徳川慶喜に大政奉還を進言した。
坂本龍馬(30 of30)
Open Image Modal高知藩の郷士だったが脱藩。亀山社中をつくり、薩長同盟を結ばせて大政奉還への道筋を開いた。1866年、京都で中岡慎太郎と共に刺客に襲われて死亡。32歳だった。