地下鉄サリン事件から20年 被害者の映画監督「オウム真理教とはなんだったのか」

「地下鉄サリン事件」から20年となる3月20日、通勤途中で被害にあい、現在も後遺症に悩む男性は、映画監督として、事件を起こしたオウム真理教(現・アレフ)に迫るドキュメンタリーを撮り終える。

1995年3月20日、通勤客を満載した東京の地下鉄車内に、5カ所で同時多発的に猛毒の神経ガス「サリン」がまかれ、13人が死亡、約6300人が負傷した。「地下鉄サリン事件」から20年となる3月20日、通勤途中で被害にあい、現在も後遺症に悩む男性は、映画監督として、事件を起こしたオウム真理教(現・アレフ)に迫るドキュメンタリーを撮り終える。

現在は映画監督として活動する、さかはらあつし氏が19日、東京の日本外国特派員協会で記者会見し、当時のことや、現在撮影中の映画について語った。

Open Image Modal

20年前、大手広告会社の「電通」に勤めていた。あの日も出勤するため、いつものように自宅アパート近くの六本木駅から地下鉄日比谷線に乗った。そのときのことを、会見で以下のように回想した。

「駅の壁にもたれて、新聞を読みながら電車を待っていた。『オウム真理教の幹部が大阪で捕まった』という内容の記事だった。電車が来て、1両目の3番目のドアから乗った。それほど混んでいなかった。サリンの液体を包んだ新聞紙が、3番目のドアの左側に目に入った。あやうく踏みそうになった。座席に座ろうとしたが、刺すような、ペンキやシンナーのような臭いが鼻についた。向きを変え、再び新聞を読もうとしたが、目の焦点が合わなかった。コンタクトレンズを洗い忘れたかな、と思ったが、ふと、2週間前に会社近くの食堂で読んだタブロイド紙の記事のことが思い出された」

地下鉄サリン事件(1995年3月20日)
(01 of37)
Open Image Modal
オウム真理教による地下鉄サリン事件で、地下鉄日比谷線神谷町駅構内から運び出され、路上で救護を待つ乗客ら(東京都港区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(02 of37)
Open Image Modal
オウム真理教による地下鉄サリン事件で多数の消防車などが出動した地下鉄八丁堀駅付近(東京・八丁堀) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(03 of37)
Open Image Modal
オウム真理教による地下鉄サリン事件で地下鉄駅構内から運び出される乗客(東京都港区の営団地下鉄神谷町駅) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(04 of37)
Open Image Modal
オウム真理教による地下鉄サリン事件で、地下鉄霞ケ関駅構内に入る消防庁化学中隊(東京・霞が関) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(05 of37)
Open Image Modal
運び込まれた聖路加国際病院の廊下で治療を待つ被害者(東京都中央区の同病院で) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(06 of37)
Open Image Modal
サリンがまかれた地下鉄車両を洗浄する陸上自衛隊員(東京都) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(07 of37)
Open Image Modal
オウム真理教による地下鉄サリン事件で駅構内から運び出され路上で救援を待つ乗客ら(東京都港区の地下鉄神谷町駅)※一部画像処理(人物の顔にモザイク)してます。 \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(08 of37)
Open Image Modal
封鎖された地下鉄丸の内線中野坂上駅(1995年3月20日、東京・中野区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(09 of37)
Open Image Modal
封鎖された地下鉄丸の内線中野坂上駅(1995年3月20日、東京・中野区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(10 of37)
Open Image Modal
防毒マスクを着け、地下鉄霞ケ関駅を出る捜査員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(11 of37)
Open Image Modal
防毒マスクを着け、地下鉄霞ケ関駅を出る捜査員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(12 of37)
Open Image Modal
地下鉄霞ケ関駅から採取した毒物の容器を運び出す警視庁科学捜査研究所の職員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(13 of37)
Open Image Modal
警視庁科学捜査研究所の職員が地下鉄霞ケ関駅で採取した毒物の容器(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(14 of37)
Open Image Modal
地下鉄霞ケ関駅から採取した毒物の容器を運び出す警視庁科学捜査研究所の職員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(15 of37)
Open Image Modal
地下鉄霞ケ関駅から採取した毒物の容器を運び出す警視庁科学捜査研究所の職員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(16 of37)
Open Image Modal
霞ケ関に設置された現場指揮本部の様子(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(17 of37)
Open Image Modal
地下鉄霞ケ関駅で構内の毒物残留量を調べる東京都職員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(18 of37)
Open Image Modal
地下鉄霞ケ関駅で構内の毒物残留量を調べる東京都職員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(19 of37)
Open Image Modal
防毒マスクを着け、地下鉄霞ケ関駅の構内に入る自衛隊員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(20 of37)
Open Image Modal
防毒マスクを着け、地下鉄霞ケ関駅の構内に入る自衛隊員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(21 of37)
Open Image Modal
防護服を着け、地下鉄霞ケ関駅の構内に入る東京消防庁化学中隊の隊員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(22 of37)
Open Image Modal
防護服を着け、地下鉄霞ケ関駅の構内に入る東京消防庁化学中隊の隊員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(23 of37)
Open Image Modal
地下鉄霞ケ関駅の構内から出る防護服の自衛隊員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(24 of37)
Open Image Modal
地下鉄霞ケ関駅の構内から出る防護服の自衛隊員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(25 of37)
Open Image Modal
地下鉄日比谷線築地駅に出動した自衛隊員(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(26 of37)
Open Image Modal
地下鉄日比谷線築地駅に出動した自衛隊員(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(27 of37)
Open Image Modal
地下鉄霞ケ関駅構内から出てきた自衛隊員(1995年3月20日、東京・千代田区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(28 of37)
Open Image Modal
多数の消防車、救急車が集まった地下鉄日比谷線築地駅前(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(29 of37)
Open Image Modal
多数の消防車、救急車が出動した地下鉄日比谷線八丁堀駅前(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(30 of37)
Open Image Modal
地下鉄八丁堀駅前に出動した消防車や救急車(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(31 of37)
Open Image Modal
地下鉄八丁堀駅前でガス濃度を測定する消防隊員(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(32 of37)
Open Image Modal
地下鉄日比谷線築地駅前で救急車に運び込まれる被害者(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(33 of37)
Open Image Modal
築地本願寺前の路上に設けられたテント張りの救護所(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(34 of37)
Open Image Modal
築地本願寺前の路上に設けられたテント張りの救護所(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(35 of37)
Open Image Modal
多数の消防車、救急車が集まった地下鉄日比谷線築地駅前(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(36 of37)
Open Image Modal
多数の消防車、救急車が集まった地下鉄日比谷線築地駅前(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)
(37 of37)
Open Image Modal
多数の消防車、救急車が集まった地下鉄日比谷線築地駅前(1995年3月20日、東京・中央区) \n\n撮影日:1995年03月20日 (credit:時事通信社)

「『松本サリン事件を起こしたのは、河野義行さんではなく、オウム真理教だ』という記事だった。『もしかして、これはサリンか』。私はそのまま2両目に移った。その時、誰かが私の後ろをついてきた。汗だくの妊婦が、大急ぎで車両間の扉を閉めた。神谷町駅で降りてタクシーを拾った。その辺で私の視界から光が失われ始めた。テレビの取材班が走り回っているのが見えた。会社に着いて、地下でシャワーを浴びたところ、目の前が再び暗くなった。シャワーを浴びるのをあきらめ、京都の実家に電話した。『テレビを見てくれ。何か起きていないか』と。私は職場に戻って上司に報告し、病院に行った」

2カ月後、電通を退職した。サリンの後遺症で、現在も手足がしびれ、睡眠障害や体力不足などと闘う日々だという。元オウム信者との結婚・離婚や自伝出版などを経て、「生きている間に何としても映画を」と思い、地下鉄サリン事件をテーマにしたドキュメンタリーの制作を思い立った。

タイトルは「一枚の写真」。さかはら氏が公開した本編の一部には、アレフの施設で、信者が今も麻原彰晃教祖(死刑判決が確定)の写真の前で修行に励む姿や、アレフの荒木浩・広報部長と、大学時代を過ごした京都を訪ねる場面が登場する。

「この映画は、荒木さんと私のロードムービーです。荒木さんがどうしてオウム真理教に入ったのか、サリン事件以降もどうして、アレフにいるのか、『真実の荒木浩』をカメラのレンズを通して、見つめてみたいと思います」というさかはら氏は、以下のように説明している。

「私は世の中の誰からもしっかりサリンガスの後遺症について理解してくれていると感じたことはありません。同じようにオウムの人々をちゃんと理解しようとしていないんじゃないか、みんな表面をなでるか、決めつけの中で用意されたことしか言っていないのではないか、そんな気がしました」

「社会がオウム真理教とはなんだったのか、どうして地下鉄サリン事件のような大事件が起こったのかを理解し、乗り越える大きな切っ掛けになると思います」

「みなさんと一緒にこの社会がオウム真理教、地下鉄サリン事件を生み出した背景を理解し、それを克服したい」というさかはら氏は、クラウドファンディングで制作資金を募っている

ハフィントンポスト日本版はFacebook ページでも情報発信しています