原辰徳監督辞任へ 後任候補にあの人の名も【プロ野球・巨人】

巨人の原辰徳監督が17日、今季限りで辞任することになった。後任候補には、OBの江川卓氏らが挙がっている。
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野球解説者の江川卓氏

プロ野球・巨人の原辰徳監督(57)が10月17日、今季限りで辞任することになった。ヤクルトとのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでの敗退を受け、表明した。後任候補には、OBの江川卓氏(60)や川相昌弘ヘッドコーチ(51)らが挙がっている。日刊スポーツは次のように伝えた。

OBの江川卓氏(60)は、原監督が築いた土台を引き継ぎ、発展させていく資質を備えている。巨人のエースとして通算135勝。勝利を重ねる重みを肌で知る。巨人戦を中心とした解説活動を継続しており、戦力を客観的に把握している点も大きく、有力な候補とみられる。10日、解説で東京ドームを訪れた際には「すいません。今日は何もないです」と話している。

チーム内には原イズムを熟知している指導者がそろっている。現体制のスムーズな移行に主眼を置く場合、内部昇格も不思議ではない。中でも斎藤雅樹投手コーチ(50)は、原監督とともにキャリアを重ねている。しかし責任感が非常に強く、引責でチームを離れる可能性もある。打撃向上は目下の課題であり、高橋由伸外野手兼任コーチ(40)の抜てきも選択肢に入る可能性がある。

江川氏、斎藤コーチ、高橋由…新監督選びは急がず - 野球 : 日刊スポーツ 2015/10/18 07:48)

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巨人の川相昌弘コーチ

原監督辞任について、スポニチは「チームは変革への過渡期を迎えつつある。今季は阿部や村田、長野、坂本という主軸が極度の打撃不振に陥った」と指摘。さらに「投手陣の杉内、内海らも含めて故障者も続出した。そんな厳しい状況の中でも立岡や吉川、岡本ら若手を積極起用したが、ヤクルトの牙城は崩せなかった」と分析した。

原監督は17日の試合後、「この3年間なかなか成績が上がらず少しずつ下降線だった。そろそろ潮時。新陳代謝が必要」と話した

巨人の主砲でスター選手だった原は、監督としては通算12シーズン指揮を執り、その間にリーグ優勝7度、日本一に3度に導いた名将。2009年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では監督を務め、日本代表の世界一連覇にも貢献した

選手時代の原辰徳
選手時代の原辰徳(01 of18)
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巨人のユニホームを着て正力亨オーナー(左)、藤田元司監督(右)と握手する原辰徳選手(東京・読売新聞社)\n撮影日1980年12月20日 (credit:時事通信社)
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▽東海大学時代の原辰徳選手\n撮影日1980年09月22日 (credit:時事通信社)
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第8回明治神宮野球大会最終日、法大-東海大戦。東海大学の原辰徳選手(東京・神宮球場)\n撮影日1977年11月06日 (credit:時事通信社)
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巨人軍入団発表の記者会見に臨む原辰徳選手(中央)と松前東海大学総長(右)。左は巨人軍の長谷川代表(東京都千代田区霞が関)\n撮影日1980年12月08日 (credit:時事通信社)
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巨人、原辰徳婚約発表(東京 羽田東急ホテル)\n撮影日1986年05月09日 (credit:時事通信社)
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二回表巨人二死二塁、原辰徳が左中間へ2打席連続の14号2ラン。阪神・山本投手(甲子園球場)\n撮影日1988年06月11日 (credit:時事通信社)
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八回裏巨人一死満塁、原辰徳が左中間へ両リーグ今季初の満塁本塁打を放つ(東京ドーム)\n撮影日1988年04月09日 (credit:時事通信社)
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八回裏巨人一死満塁、原辰徳が左中間へ両リーグ今季初の満塁本塁打を放ち国松コーチらに迎えられる(東京ドーム)\n撮影日1988年04月09日 (credit:時事通信社)
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▽東海大学時代の原辰徳選手\n撮影日1980年09月22日 (credit:時事通信社)
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阪神を破り、原辰徳内野手(右)を迎える巨人の藤田元司監督(東京ドーム)\n撮影日1989年08月19日 (credit:時事通信社)
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東海大相模ー堀越、ベンチへ引き揚げる原監督(右)と原辰徳三塁手父子(兵庫県・甲子園球場)\n撮影日1975年04月05日 (credit:時事通信社)
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東海大相模、原辰徳(右)(三塁手)\n撮影日1976年08月 (credit:時事通信社)
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巨人軍、原辰徳結婚式(東京・千代田区の赤坂プリンスホテル)\n撮影日1986年11月27日 (credit:時事通信社)
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五回裏巨人一死、原辰徳(右)が左越えに13号ソロ本塁打を放ち、土井正三・三塁コーチと握手(東京・後楽園)\n撮影日1987年06月13日 (credit:時事通信社)
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東海大相模ナイン。左から2人目が原辰徳(甲子園)\n撮影日1974年08月16日 (credit:時事通信社)
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東海大相模の原貢監督(左)と原辰徳父子(甲子園)\n撮影日1974年08月12日 (credit:時事通信社)
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東海大相模の原辰徳(甲子園)\n撮影日1975年08月11日 (credit:時事通信社)
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巨人、原辰徳のバッティング(東京・後楽園)\n撮影日1984年05月30日 (credit:時事通信社)
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