やしきたかじんさん死去、64歳 食道がんで休養中

歌手やテレビ司会者として人気のタレント、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが亡くなっていたことが1月7日わかった。64歳だった。朝日新聞デジタルなどが伝えた...
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歌手やテレビ司会者として人気のタレント、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが亡くなっていたことが1月7日わかった。64歳だった。朝日新聞デジタルなどが伝えた。食道がんで休養中だった。

やしきさんは2012年1月、初期の食道がんが見つかり、芸能活動を休止。2013年3月に1年2カ月ぶりに復帰したが、その後再び体調不良を理由に休養していた。

大阪市生まれのやしきさんは、1976年に歌手デビューし、1984年に「あんた」、1986年に「やっぱ好きやねん」などがヒット曲を次々に送り出した。

1949年、大阪市生まれ。龍谷大学経済学部中退後、76年に歌手デビューした。86年発売の「やっぱ好きやねん」がヒットし、94年には「東京」で全日本有線放送大賞「読売テレビ最優秀賞」を受賞。

(朝日新聞デジタル「やしきたかじんさん死去 64歳『関西の視聴率男』」2014/1/7 23:10)

鋭い話術や歯に衣着せぬ発言が人気を呼び、テレビやラジオ番組で活躍、出演番組は高視聴率を誇り「浪速の視聴率男」「関西の視聴率男」との異名をとった。

また、機転の速さと歯に衣きせぬ発言からテレビやラジオ番組で活躍。出演番組はいずれも注目が高くなることから“浪花の視聴率男“の異名をとった。現在も関西テレビ系「たかじん胸いっぱい」、読売テレビ系「たかじんのそこまで言って委員会」、テレビ大阪系「たかじんNOマネー」のレギュラー番組を持つ。

(MSN産経ニュース「〝浪花の視聴率男〟やしきたかじんさん死去 食道がんで休養中」2014/1/7 22:51)

やしきさんは大阪市の橋下徹市長とも親交が深かった。

一方で、一般社団法人「OSAKAあかるクラブ」の理事長として大阪復権へ向けた支援活動に携わったほか、橋下徹大阪市長の相談相手としても知られていた。

(sanspo.com「やしきたかじんさん死去…食道がんで休養中」2014/1/7 23:02)

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2013年に亡くなった人々
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島倉千代子 1938-2013 11月8日逝去\n\n歌手。57年には「東京だョおっ母さん」が大ヒットし、NHK紅白歌合戦に初出場した。60年には美空ひばりと一緒に「つばなの小径(美空)/白い小ゆびの歌(島倉)」を発表。89年に美空が亡くなるまで、姉妹のような交友が続いた。\n「からたち日記」などで紅白には86年まで30年連続出場し、自ら一区切りつけた。翌87年に出した「人生いろいろ」が大ヒットし、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。若い世代にも人気が浸透し、88年に再び出場した。紅白出場は計35回にのぼる。99年には紫綬褒章を受けた。 (credit:時事通信社)
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パティ・ペイジ 1927-2013 1月1日逝去\n\n1950年代の米国を代表する女性歌手の一人。代表曲「テネシー・ワルツ」は1千万枚以上を売り上げる大ヒットを記録し、日本では江利チエミによるカバーでも有名。 (credit:Wikipedia)
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趙成珉 1973-2013 1月6日逝去\n\n元読売巨人軍投手。“コリアンエクスプレス”と呼ばれ、98年には前半で7勝を挙げる活躍を見せたが、その年の球宴で故障し、2002年に巨人を退団。 (credit:Getty)
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アーロン・スワーツ 1986-2013 1月11日逝去\n\nアメリカ合衆国のプログラマー、ライター、政治活動団体設立者、インターネット活動家。RSSが普及するための技術的な基盤を作った。 (credit:Wikipedia)
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大島渚 1932-2013 1月15日逝去\n\n日本の映画監督、脚本家。60年の監督作品「青春残酷物語」がヒットし、奔放さや反権威の姿勢を強烈に表現する「松竹ヌーヴェルバーグ」の旗手とみなされる。76年には「愛のコリーダ」で国際的名声を確立。78年の「愛の亡霊」は第31回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した。83年にはデヴィッド・ボウイ、坂本龍一らを起用した「戦場のメリークリスマス」が公開され大きな話題となる。 (credit:時事通信社)
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大鵬幸喜 1940-2013 1月19日逝去\n\n第48代横綱。北海道出身。生まれは樺太(からふと)(サハリン)。本名、納谷幸喜(なやこうき)。柏戸とともに「柏鵬(はくほう)時代」を築き、その強さと人気から「巨人・大鵬・卵焼き」といった流行語が生まれた。優勝32回。引退後、一代年寄大鵬を襲名。平成21年(2009)文化功労者。没後、国民栄誉賞受賞。 (credit:時事通信社)
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柴田トヨ 1911-2013 1月20日逝去\n\n92歳で詩作をはじめ,産経新聞「朝の詩」に投稿をつづけた。平成21年自費出版した小冊子「くじけないで」が評判となり、22年同名の処女詩集「くじけないで」が刊行され、発行150万部をこえるベストセラーとなった。 (credit:Getty)
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常盤新平 1931-2013 1月22日逝去\n\n小説家・翻訳家。ミステリー雑誌の編集長を経て執筆活動に入る。米国現代文学の翻訳者として活躍、また米国の現実を日本に紹介した。マフィアの研究家としても知られる。「遠いアメリカ」で直木賞受賞。 (credit:時事通信社)
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安岡章太郎 1920-2013 1月26日逝去\n\n小説家。「第三の新人」の一人。「悪い仲間」「陰気な愉(たの)しみ」で芥川賞受賞。他に「海辺(かいへん)の光景」「幕が下りてから」「流離譚(りゅうりたん)」など。 (credit:時事通信社)
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加藤寛 1926-2013 1月30日逝去\n\n経済学者。第2次臨時行政調査会で部会長として日本国有鉄道や日本専売公社、日本電信電話公社の民営化を提言。平成2年税制調査会会長となるなど、おおくの政策策定にかかわる。 (credit:時事通信社)
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市川團十郎 1946-2013 2月3日逝去\n\n85年に市川團十郎の12代目を襲名し、家の芸である歌舞伎十八番「勧進帳」の弁慶といった豪快で力強い「荒事」の演目をはじめ、「助六」や「義経千本桜」など幅広い作品で活躍した。2004年に白血病を発症したが、厳しい治療を乗り越えて復帰し、07年にはパリ・オペラ座での初めての歌舞伎公演を長男の海老蔵と共に成功させた。 (credit:Wikipedia)
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江副浩正 1936-2013 2月8日逝去\n\n昭和35年東大卒業と同時に求人広告専門の大学新聞広告社(現・リクルート)を設立。高度経済成長下に情報企業群をそだて、教育事業,不動産業にも進出。63年不動産会社「リクルートコスモス」の未公開株を政財官界関係者に大量譲渡したリクルート事件が発覚、平成15年有罪が確定。 (credit:時事通信社)
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高野悦子 1929-2013 2月9日逝去\n\n\n映画運動家。43年岩波ホール総支配人となり,エキプ・ド・シネマを主宰,「大地のうた」「家族の肖像」「八月の鯨」などを紹介する。56年菊池寛賞。平成8年東京都文化賞。9年東京国立近代美術館フィルムセンター名誉館長。16年文化功労者。 (credit:時事通信社)
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東條由布子 1939-2013 2月13日逝去\n\n東條英機元首相の孫。保守の論客として知られ、先の大戦後の戦勝国による極東国際軍事裁判(恵示裁判)で死刑判決を受けた東條元首相らいわゆる「A級戦犯」の靖国神社分祀論には否定的な立場で発言。 (credit:Getty)
本郷功次郎(15 of87)
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本郷功次郎 1938-2013 2月14日逝去\n\n二枚目俳優として「大菩薩峠」や「ガメラ」シリーズ、「釈迦」などに出演した。テレビドラマでも活躍し、「特捜最前線」の橘剛刑事役を演じた。 (credit:時事通信社)
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ドナルド・リチー 1944-2013 2月19日逝去\n\n終戦直後に進駐軍のタイピストとして来日し、その後、ジャパンタイムズ紙の映画評を執筆。ジョセフ・アンダーソン氏と共に執筆した日本映画史研究書「ザ・ジャパニーズ・フィルム:アート・アンド・インダストリー」が日本映画を海外に広めるきっかけとなり、黒澤明、溝口健二、小津安二郎など日本の巨匠から、独立系の作品まで紹介していた。 (credit:Wikipedia)
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飯野賢治 1970-2013 2月20日逝去\n\nゲームクリエイター。95年に発表した3DO専用ゲームソフト「Dの食卓」でマルチメディアグランプリ\'95通商産業大臣賞を受賞。日本を代表するゲームクリエイターと称された。 (credit:Wikipedia)
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ウゴ・チャベス 1954-2013 3月5日逝去\n\nベネズエラ元大統領。1998年、大統領選挙に大勝し、翌年大統領に就任。豊富な石油資源をもとに中南米域内で強い影響力を獲得、キューバやボリビアなどの周辺国と協調して反米路線を打ち出した。 (credit:Getty)
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納谷悟朗 1929-2013 3月5日逝去\n\n声優、俳優、ナレーター、舞台演出家。声優として、「仮面ライダー」のショッカーの首領、「ルパン三世」の銭形警部、「宇宙戦艦ヤマト」の艦長・沖田十三などで活躍。洋画では、チャールトン・ヘストン、ジョン・ウェイン、クラーク・ゲーブル、ロバート・テイラーなど多くの多彩なジャンルの俳優の声を担当した。 (credit:時事通信社)
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アルヴィン・リー 1944-2013 3月6日逝去\n\nブルース・ロックバンド「テン・イヤーズ・アフター」を結成、69年の米ウッドストック音楽祭の演奏で注目を集めた。ソロでも活躍し、12年には14枚目のアルバムを出していた。 (credit:Getty)
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ダミアーノ・ダミアーニ 1922-2013 3月7日逝去\n\n伊北東部パジアーノ・ディ・ポルデノーネ出身。「警視の告白」で71年、モスクワ国際映画祭金賞を受賞。代表作品に「禁じられた抱擁」「群盗荒野を裂く」「シシリアの恋人」など。 (credit:Getty)
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石坂まさを 3月9日 1941-2013 3月9日逝去\n\n歌手の藤圭子を見いだし、1969年の「新宿の女」から「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「命預けます」を手がけた。ほかに小林旭の「北へ」など。 (credit:時事通信社)
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田中宥久子 1946-2013 3月19日逝去\n\n顔のマッサージや美容法を実演する講演会が人気を集め、「美のカリスマ」とも呼ばれた。DVD付きの書籍がベストセラーになった。
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ボリス・ベレゾフスキー 1946-2013 3月23日逝去\n\nロシアの実業家。ソ連崩壊後のロシアで新興財閥として台頭、プーチン大統領と対立して英国に政治亡命した後も同大統領の批判を続けた。 (credit:Getty)
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坂口良子 1955-2013 3月27日逝去\n\n女優。72年、歌手デビューし、「アイちゃんが行く!」でドラマ初主演。「サインはV」「前略おふくろ様」シリーズ、「池中玄太80キロ」などの人気テレビドラマや、映画「犬神家の一族」「人間の証明」「帰ってきた若大将」などに出演した。「質屋の女房」で2001年度の菊田一夫演劇賞。 (credit:時事通信社)
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マーガレット・サッチャー 1925-2013 4月8日逝去\n\nイギリス元首相。1979年に英国で初の女性首相に就任。以来、11年余にわたり保守党政権を率いた。市場原理を重んじて「小さな政府」を志向し、国民に「自助」の精神を求めた。その経済政策は「サッチャリズム」と呼ばれ、英国経済を回復させたが、反発も招いた。妥協を許さぬ姿勢から「鉄の女」と称された。 (credit:Wikipedia)
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三國連太郎 1923-2013 4月14日逝去\n\n俳優。1951年、木下恵介監督の「善魔」で三国連太郎という新聞記者役でデビュー。役名をそのまま芸名にした。内田吐夢監督の「飢餓海峡」では冷徹な殺人犯、今村昌平監督の「神々の深き欲望」では南の小島で生きる男を演じるなど、社会派映画や文芸作品、コメディーなどに幅広く出演。テレビや舞台でも活躍した。\n 88年、西田敏行さんと共演した「釣りバカ日誌」では、釣り好きの会社社長スーさんこと鈴木一之助をひょうひょうと演じ、「男はつらいよ」と並ぶ松竹の人気シリーズとなり、2009年まで全22本が作られた。
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リッチー・ヘブンス 1941-2013 4月22日逝去\n\nフォークシンガー。1969年に野外音楽祭「ウッドストック・フェスティバル」のオープニングで歌い、一躍知られるようになった。即興でゴスペルをアレンジした「フリーダム」はヒッピー世代の代表曲となった。 (credit:Getty)
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田端義夫 1919-2013 4月25日逝去\n\n歌手。39年「島の船唄」でプロデビューした。同年発表の「大利根月夜」が大ヒット。続く「別れ船」や46年の「かえり船」などの“船シリーズ”、「玄海ブルース」(49年)とヒットを連発した。一時期人気が低迷したが、63年に「島育ち」がヒット、紅白歌合戦に初出場し、“奇跡のカムバック”と言われた。\n 75年には沖縄の愛唱歌「十九の春」を歌ってヒット。胸元までギターを抱え上げて「オース!」と気さくにあいさつしながら登場するスタイルと、音域の広さは晩年まで健在だった。 (credit:Wikipedia)
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アニマル・レスリー 1958-2013 4月27日逝去\n\n元プロ野球投手。日本での登録名はアニマルで、1986年から2年間阪急(現オリックス)に在籍し、通算7勝5敗24セーブ。派手なパフォーマンスで人気を博し、引退後はタレントに転身した。 (credit:Getty)
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佐野洋 1928-2013 4月27日逝去\n\n推理作家。日本推理作家協会理事長で97年に日本ミステリー文学大賞、2009年に菊池寛賞が贈られた。
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牧伸二 1934-2013 4月29日逝去 \n\nウクレレ漫談家。ハワイアン風の旋律に乗せて社会風刺ネタを歌い、「あーあんあやんなっちゃった、あーあんあ驚いた」で朗らかに締める「やんなっちゃった節」で一世を風靡(ふうび)。演芸番組や「大正テレビ寄席」の司会などで活躍した。\n\n (credit:時事通信社)
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中坊公平 1929-2013 5月3日逝去\n\n元日本弁護士連合会会長。55年に発生し、乳児130人が死亡するなどした森永ヒ素ミルク中毒事件の民事訴訟で、被害者弁護団長を務めた。高齢者らから約2千億円を集め85年に倒産した豊田商事事件では、同社の破産管財人となり、債権者への1割以上の配当という目標を実現させた。 (credit:時事通信社)
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ジュリオ・アンドレオッティ 5月6日逝去\n\n第2次大戦直後の1946年、キリスト教民主党から下院に当選した。保守派の重鎮として戦後の政界に君臨し、1972年から通算7期、首相を務めた。一方でマフィアとの癒着が知られ、92年4月に巨大汚職事件などを受けて辞任した後、殺人罪で起訴されるなどした。 (credit:Getty)
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レイ・ハリーハウゼン 1920-2013 5月7日逝去\n\nアメリカの特撮映画監督。親友のSF作家レイ・ブラッドベリ氏の小説を原作とした「原子怪獣現わる」(53年)で本格デビュー、翌年の日本映画「ゴジラ」に影響を与えたとされる。「シンドバッド」シリーズや「タイタンの戦い」(81年)などを手がけ、人形を使ったストップモーションアニメの神様とも呼ばれ、92年には米アカデミー特別賞を受賞した。 (credit:Wikipedia)
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夏八木勲 1939-2013 5月11日逝去\n\n俳優。映画「白昼の死角」(79年)にインテリ犯罪者役で主演したほか、「野性の証明」(78年)では高倉健演じる特殊工作員を追う刑事役、「戦国自衛隊」(79年)では武将の長尾景虎役で強い印象を残した。 (credit:時事通信社)
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瀬戸雄三 1930-2013 5月13日逝去\n\n元アサヒビール社長。1992~99年に社長を務め、「スーパードライ」の販売に力を注いだ。98年にはビール出荷量でキリンビールを抜き、アサヒビールは45年ぶりにトップシェア企業に返り咲いた。 (credit:時事通信社)
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筧栄一 1927-2013 5月15日逝去\n\n元検事総長。法務省刑事局長、法務事務次官、東京高検検事長などを経て、1990年5月から92年5月まで検事総長を務めた。同検事長時にリクルート事件、総長在任中に鉄骨加工会社の「共和」汚職事件などの捜査を指揮した。 (credit:時事通信社)
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ホルヘ・ラファエル・ビデラ 1925-2013 5月17日逝去\n\n元アルゼンチン大統領(1976-81)。アルゼンチンの軍事政権を率い、3万人もの市民弾圧に関わったとされる。 (credit:Wikipedia)
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レイ・マンザレク 1939-2013 5月20日逝去\n\nロックバンド「ドアーズ」キーボーディスト。カリフォルニア大ロサンゼルス校の映画専攻の学生時代にジム・モリソン氏らと出会い、1965年にドアーズを結成。キーボード奏者として「ジ・エンド」「ハートに火をつけて」などヒット曲を送り出した。 (credit:Getty)
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相澤秀禎 1930-2013 5月23日逝去\n\nサンミュージックグループ代表取締役会長。1968年に現在の「サンミュージックプロダクション」を創業し、松田聖子や安達祐実、早見優、森田健作ら、多くの芸能人を育てた。 (credit:時事通信社)
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ピエール・モーロワ 1928-2013 6月7日逝去\n\nフランス元首相。ミッテラン社会党政権の首相時代(81~84年)は核抑止力を認める立場だったが、東西冷戦終結を境に核廃絶論者になったことで知られる。95年、パリで広島市長と会談し、フランスの核実験に反対した。 (credit:Wikipedia)
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内海賢二 1937-2013 6月13日逝去\n\n声優。アニメ「北斗の拳」のラオウや「魔法使いサリー」のパパ、「Dr.スランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛などの役を務めた。 (credit:時事通信社)
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ヨジップ・クゼ 1952-2013 6月16日逝去\n\n元ガンバ大阪、ジェフ千葉監督。クロアチア出身で、選手時代は主に旧ユーゴスラビアのディナモ・ザグレブでDFとしてプレー。 \n引退後は指導者となり96、97年にG大阪を率いた。97年は名FWエムボマなどを擁し、 \n低迷していたチームを上位に躍進させた。08年は千葉も率いた。 (credit:Getty)
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リチャード・マシスン 1926-2013 6月23日逝去 \n\nアメリカの作家。SF、ホラー小説で知られ、「アイ・アム・レジェンド」は何度も映画化された。スティーブン・スピルバーグ監督の映画「激突!」の原作、テレビシリーズ「トワイライト・ゾーン」の脚本も手がけた。 (credit:Wikipedia)
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吉永祐介 1932-2013 6月23日逝去\n\n元検事総長。東京地検特捜部副部長時代には、田中角栄・元首相を逮捕し、戦後最大の疑獄と言われるロッキード事件(76年)の主任検事を務めた。\n 88年12月からの東京地検検事正時代には、未公開株を受け取った複数の政治家や官僚を立件したリクルート事件(88、89年)も手がけた。大阪高検検事長だった92年、東京佐川急便事件の捜査で発覚した金丸信・元自民党副総裁への5億円闇献金問題で、事情聴取をせずに事件処理をしたことで検察全体に批判が集中。信頼回復を委ねられ、東京高検検事長を経て、93年12月に検事総長に抜擢(ばってき)された。 (credit:時事通信社)
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エミリオ・コロンボ 1920-2013 6月24日逝去\n\n元イタリア首相。第2次大戦後にキリスト教民主党から政界入りし、1970年代に首相や欧州議会議長を歴任した。その後も外相を2度務めた。現在のイタリア共和国憲法を制定した制憲議会議員の最後の生存者でもあった。 (credit:Wikipedia)
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ジム・ケリー 1946-2013 6月29日逝去\n\nアメリカの俳優、空手家。ケンタッキー州で武術を学び、米国の空手の各種大会で優勝した後に映画界へ。ブルース・リーと共演した「燃えよドラゴン」(1973年)が代表作。 (credit:Getty)
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下山敏郎 1924-2013 6月30日逝去\n\nオリンパス元社長。1984年から93年までオリンパス社長を務め、2001年に会長を退くまで17年間にわたり実質的に経営のトップだった。\n (credit:時事通信社)
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金子勇 1970-2013 7月6日逝去\n\nファイル共有ソフト「ウィニー」の開発者で、東大情報基盤センター特任講師。映像や音楽を共有するソフトを開発して無料で公開し、ユーザーの支持を集めた。2002年に、それまでのソフト開発の実績を評価され、東大大学院の助手に採用された。 (credit:時事通信社)
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吉田昌郎 1955-2013 7月9日逝去\n\n東京電力福島第一原発事故発生時の所長。2010年6月から所長を務めた。11年3月の東日本大震災で過酷事故が起きた後、免震重要棟に残り、9カ月間にわたり現場の作業員らを指揮した。テレビ電話を通じて本店との調整役も担った。 (credit:時事通信社)
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アマー・G・ボーズ 1929-2013 7月12日逝去\n\nアメリカ音響機器メーカーBOSEの創業者。マサチューセッツ工科大(MIT)として技術開発をする傍ら1964年にBOSE社を設立。日本にも進出した。 \n迫力ある重低音の小型スピーカーなど数々のヒット商品を生み出した。 (credit:Getty)
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コリー・モンティス 1982-2013 7月13日逝去\n\n俳優。2009年、高校の合唱部を舞台にした米国のテレビドラマ「Glee/グリー」にフィン・ハドソン役で出演し、一躍人気者となった。 (credit:Getty)
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ヘレン・トーマス 1920-2013 7月20日逝去\n\nアメリカのジャーナリスト。ケネディ政権時代からUPI通信記者としてホワイトハウスを担当。オバマ大統領までの歴代10大統領を連続して取材し、ホワイトハウスの記者会見室の最前列に座席を与えられていた。
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梅津正彦 1968-2013 7月23日逝去\n\nボクシングトレーナー。映画やテレビドラマのアクション指導を手がけた。2008年からお笑い芸人「しずちゃん」こと山崎静代選手の専属コーチを務めた。 (credit:時事通信社)
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ベルナデット・ラフォン 1938-2013 7月25日逝去\n\nヌーベルバーグ(1950年代後半のフランスで始まった、20歳代の映画作家たちによる、自由奔放な映画作りの動き)を代表する一人で、主な出演作に「恋のモンマルトル」(1975年)、「なまいきシャルロット」(85年)などがある。 (credit:Getty)
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カレン・ブラック 1939-2013 8月8日逝去\n\nアメリカの女優。1969年に「イージー・ライダー」に売春婦役で出演。70年の「ファイブ・イージー・ピーセス」でゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞した。 (credit:Getty)
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富田倫生 1952-2013 8月16日逝去\n\n自著「パソコン創世記」が絶版となり電子版を作った経験から、電子テキストの共有サービスを構想、97年に仲間と青空文庫を始めた。2011年には著作権が切れた本を中心に登録数が1万点を超えた。30代でC型肝炎を発症し、闘病しながら青空文庫の運営にあたった。近年は、著作権の保護期間を死後50年から70年に延長する動きに対し、「過去の作品を利用しにくくなり、文化の発展が阻害される」として反対運動に力を注いだ。 (credit:Chika Igaya)
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藤圭子 1951-2013 8月22日逝去\n\n歌手。1969年に「新宿の女」でデビューし、翌70年には「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒット。この年に日本歌謡大賞、日本レコード大賞大衆賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも出場した。 (credit:時事通信社)
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土橋正幸 1935-2013 8月24日逝去\n\n日本橋高卒業後にテスト生で東映に入団。4年目の1958年に21勝を挙げると、61年には30勝を記録。58年5月31日の西鉄戦で記録した9連続奪三振は現在もプロ最多タイ記録として残る。通算成績は162勝135敗、防御率2・66で、67年に引退。73年に日拓(現日本ハム)、84~86年にヤクルト、92年に日本ハムの監督を務めた。 (credit:時事通信社)
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デヴィッド・フロスト 1939-2013 8月31日逝去\n\nイギリスのテレビ番組司会者。1977年、ウォーターゲート事件で失脚したニクソン元米大統領から国民への謝罪の言葉を引き出し一躍有名に。「フロスト×ニクソン」(2008年)として映画化された。 (credit:Wikipedia)
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フレデリック・ポール 1919-2013 9月2日逝去\n \nアメリカのSF作家。代表作に「宇宙商人」や「ゲイトウエイ」など。雑誌編集者などとしても活躍した。 (credit:Wikipedia)
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豊田英二 1913-2013 9月17日逝去\n\nトヨタ自動車最高顧問。日本の高級車の草分けとなるクラウンを開発したほか、カローラなどの大衆車を量産。日本にモータリゼーション(自動車社会)をもたらすとともに、効率よい生産と品質の高さで米国など海外市場を席巻するなど、「中興の祖」として活躍。日本を自動車大国に押し上げた。 (credit:時事通信社)
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山内溥 1927-2013 9月19日逝去\n\n「任天堂」前社長。22歳で家業の花札、かるたの製造・販売業の3代目経営者に就き、半世紀以上も社長を務めた。開発を指示した家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータは、1983年に発売されるや大人気となり、今日の任天堂の礎を築くとともに、テレビゲームを世界的な産業に押し上げた。 (credit:時事通信社)
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山崎豊子 1924-2013 9月29日逝去\n\n作家。毎日新聞社大阪本社に入社。在社中から小説を書き、「花のれん」で直木賞を受賞。65年の「白い巨塔」では医学界の暗部や医療過誤問題にメスを入れ、映画やドラマにもなり、大ヒットした。政財官界の癒着を描いた「華麗なる一族」、シベリアから帰還した将校が、商社マンとして国際商戦を戦う「不毛地帯」、日系アメリカ人の悲劇を浮き彫りにした「二つの祖国」、中国残留日本人孤児を描いた「大地の子」など、重厚な構成と人間ドラマが人気を集めた。 (credit:時事通信社)
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トム・クランシー 1947-2013 10月1日逝去\n\nアメリカの作家。デビュー作の「レッド・オクトーバーを追え」や「愛国者のゲーム」など、作品の多くが世界的なベストセラーとなった。両作を始め、映画化された作品も多い。 (credit:Getty)
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河西(中西)昌枝 1933-2013 10月3日逝去\n\n1964年東京五輪で金メダルを獲得したバレーボール女子の全日本チーム主将。54年にニチボー貝塚に移籍して大松博文監督(故人)と出会い、猛練習の末、セッターとしての才能が開花。61年、全日本の主力を占めていたニチボー貝塚は欧州遠征で連戦連勝し、その強さからソ連のメディアが「東洋の魔女」と称した。 (credit:時事通信社)
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ボー・グェン・ザップ 1911-2013 10月4日逝去\n\n元ベトナム解放軍司令官。ベトナムをフランスからの独立へと導いたディエンビエンフーの戦いや、米国とのベトナム戦争で軍を指揮し、「赤いナポレオン」と呼ばれた。 (credit:Getty)
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桜塚やっくん 1976-2013 10月5日\n\nお笑いタレント。セーラー服姿で竹刀を手にした「スケバン恐子」というキャラクターでテレビ番組に出演し、「がっかりだよ!」などの決めぜりふで人気を博した。 (credit:時事通信社)
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宮下創平 1927-2013 10月7日逝去\n\n元厚生大臣。旧大蔵省大臣官房審議官などを経て、1979年に衆院旧長野3区で初当選し、当選8回。91年から防衛庁長官、94年から環境庁長官、98年から厚生大臣を務めた。
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やなせたかし 1919-2013 10月13日逝去\n\n漫画家。代表作は「アンパンマン」。高知新聞、三越宣伝部をへて、53年にフリーの漫画家として独立した。「アンパンマン」は73年、「キンダーおはなしえほん」(フレーベル館)の一冊として書いた作品。「しょくぱんまん」「ばいきんまん」などユニークなキャラクターが活躍する物語は子どもたちの間で大人気となり、88年にはテレビアニメ化、96年には高知県香美市に「アンパンマンミュージアム」が開館した。 (credit:時事通信社)
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小沢辰男 1916-2013 10月13日逝去\n\n元建設大臣、厚生大臣。旧厚生省官僚を経て、1960年の衆院選旧新潟1区で、自民党公認で初当選し、連続13期務めた。第2次田中内閣で建設相、福田赳夫内閣で厚相を務めた。田中角栄元首相の側近として知られ、田中派の最盛期に事務総長を務めた。 (credit:時事通信社)
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連城三紀彦 1948-2013 10月19日逝去\n\n作家。流麗な文章での心理描写と鮮やかなトリックが両立するミステリーに定評があり、81年「戻り川心中」で日本推理作家協会賞。恋愛小説、時代小説も手がけ、84年「宵待草夜情」で吉川英治文学新人賞、「恋文」で直木賞、96年「隠れ菊」で柴田錬三郎賞を受けた。 (credit:時事通信社)
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天野祐吉 1933-2013 10月20日逝去\n\nコラムニスト。広告をジャーナリスティックに論じる雑誌「広告批評」を1979年に創刊、商品の宣伝でしかないと考えられていた広告を、批評の対象として位置づけた。84年に本紙で「私のCMウオッチング」を開始。90年に改題した「CM天気図」は、連載1132回に及ぶ名物コラムとなった。軽妙な語り口で消費社会に鋭く切り込むCM批評は、多くのファンを魅了した。 (credit:時事通信社)
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岩谷時子 1916-2013 10月25日逝去\n\n作詞家。越路吹雪さんが歌った「愛の讃歌」や加山雄三さんの「君といつまでも」など数多くのヒット曲を手掛けた。1939年に宝塚歌劇団出版部に入り、51年に越路さんとともに東宝文芸部に移籍。マネジャー兼作詞家として越路さんとコンビを組み、「愛の讃歌」「ラストダンスは私に」「サン・トワ・マミー」などを訳詞した。 (credit:時事通信社)
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ルー・リード 1942-2013 10月27日逝去\n\nロックミュージシャン。1960年代に「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のリーダーとして活躍し、そしてソロ活動でも『トランスフォーマー』『ブルー・マスク』などの名アルバムを生み出した。 (credit:Getty)
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川上哲治 1920-2013 10月28日逝去\n\n元プロ野球選手・監督。38年に巨人に入り、一塁手に転向して39年、打率3割3分8厘で首位打者になった。58年に引退するまで首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回。1979試合に出場し、通算打率3割1分3厘、安打2351本、本塁打181本、1319打点を残した。「赤バット」で人気を博し、「ボールが止まって見える」の名言を残した。61年に巨人の監督に就任。長嶋茂雄、王貞治の両スター選手を抱え、65年からの9連覇を含め、74年までの14年間に11度リーグ優勝をし、日本シリーズもすべて勝った。 (credit:時事通信社)
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根來泰周 1932-2013 11月4日逝去\n\n元公正取引委員会委員長、元プロ野球コミッショナー。大阪地検検事、法務省刑事局長、同事務次官、東京高検検事長などを歴任した。95年に退官し、96年8月から2002年7月まで公正取引委員会委員長。\n\n04年2月にプロ野球のコミッショナーに就任すると、直後に球界再編騒動が起こり、同年9月にはプロ野球史上初のストライキを招いた。一方で野球の国際化に取り組み、06年に初開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)への参加を決め、日本は初代王者となった。 (credit:時事通信社)
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ドリス・レッシング 1919-2013 11月17日逝去\n\n作家。イギリス現代文学を代表する女性作家で、2007年に歴代最高齢の88歳でノーベル文学賞を受賞した。代表作である62年の「黄金のノート」はフェミニズム運動の流れに乗って多くの読者を得た。邦訳に「夕映えの道」「アフガニスタンの風」など。 (credit:Getty)
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堤清二(辻井喬) 1927-2013 11月25日逝去\n\nセゾングループを立ち上げ、1970年代以降の消費文化を育てるなど、経済人として活躍する一方、辻井喬(つじい・たかし)のペンネームで作家・詩人としても活躍した。\n西武グループ創業者で衆院議長も務めた故堤康次郎の次男として生まれ、議長秘書を経て、西武百貨店、西友ストアー(現西友)などの社長を務めた。堤義明・元西武鉄道会長は異母弟になる。\n詩人・辻井喬として61年の「異邦人」で室生犀星詩人賞、92年の詩集「群青、わが黙示」で高見順賞のほか、00年には日本の敗戦や戦後と向き合った長編詩「わたつみ 三部作」で藤村記念歴程賞を受けた。 (credit:時事通信社)
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ポール・ウォーカー 1973-2013 11月30日逝去\n\n俳優。映画「ワイルド・スピード」シリーズなどで知られる。硫黄島の戦いを米国側から描いた映画「父親たちの星条旗」などにも出演した。 (credit:Getty)
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コリン・ウィルソン 1931-2013 12月5日逝去\n\nイギリスの作家。労働者階級の出身で、職業を転々としながら大英博物館で執筆。56年に出版した「アウトサイダー」がベストセラーとなり注目された。\n文学、哲学、オカルトや犯罪など、広範な知識を駆使して人間の実存を洞察した評論のほか小説など150冊以上の著作がある。代表作に「オカルト」「精神寄生体」など。多くの作品が日本語に翻訳されている。\n『アウトサイダー』出版と同時期にデビューした、社会秩序に反抗的な若手作家たちのことを、ジョン・オズボーンの戯曲『怒りをこめて振り返れ』にちなんで「タイムズ」紙が「怒れる若者たち」と呼んだ。『怒りをこめてふりかえれ』、キングズリー・エイミスの『ラッキー・ジム』、ジョン・ウェインの『急いで下りろ』、アラン・シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』などに代表される。 (credit:Wikipedia)
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ネルソン・マンデラ 1918-2013 12月5日逝去\n\n元南アフリカ大統領。南アフリカの人種隔離政策アパルトヘイトに対し、不服従抵抗運動の反アパルトヘイト闘争を指導。反逆罪で27年間獄中生活を送った。1990年に釈放されると、翌年アフリカ民族会議(ANC)議長に就任。1994年には第8代大統領に就任した。1993年にはノーベル平和賞を受賞している。 (credit:Getty)
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張成沢 1946-2013 12月12日死亡報道\n\n北朝鮮の政治家。金正恩第1書記の叔父。故・金正日総書記の妹・金慶喜氏の夫にあたり、金正恩氏の後見人を務める事実上のナンバー2とみられていた。 (credit:時事通信社)
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ピーター・オトゥール 1932-2013 12月14日逝去\n\n俳優。アラブの反乱を助けた英軍将校の半生を描いた「アラビアのロレンス」で主役を演じ、世界的なスターになった。このほか、オードリー・ヘプバーンと共演した「おしゃれ泥棒」(66年)、「チップス先生さようなら」(69年)、「ヴィーナス」(2006年)などに出演。 (credit:Getty)
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ロナルド・ビッグス 1929-2013 12月18日逝去\n\n1963年に英国で列車を襲撃し、大金を強奪した「大列車強盗」の犯人の1人。約260万ポンド(現在の貨幣価値で約67億円)を強奪。破格の被害額から「大列車強盗」として国内外の大きな注目を集めた。 (credit:Getty)
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ミハイル・カラシニコフ 1919-2013 12月23日\n\n世界的に普及した自動小銃「AK47」を開発したロシアの銃器設計者。戦後間もなく、使いやすくて壊れにくい自動小銃「AK47」の開発に成功。旧共産圏を中心に普及した。一方で、その銃の特徴からコピー製品も大量に出回り、多くの紛争地やテロリスト集団にも使われ、「史上最悪の大量殺害兵器」とも言われた。 (credit:Getty)