お金を「多く使う」より「善く使いたい」。それが21世紀なんだろうね

努力して出世して高い収入を得たら「多く使う」。そのことに大した価値がない、さほど意味がないことをぼくたちは知ってしまった。そんなことをしても、リーマンショックや震災で簡単に物事がひっくり返るし、それよりも何か「善い」事にエネルギーを注いだ方がいい。いままでは道徳の教科書の中の考え方だったのが、普通に受けとめる考え方になった。それがデータに現れているのだ。
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7月からハフィントンポストにこのブログの記事を転載してもらっている。最初に載った記事は、最初だから張り切って、転載ではなくオリジナルなものだった。

「もう消費者なんていない時代に、広告は広告でいいのだろうか。」と題した記事で、思いの外たくさん読んでもらえたみたいだけど、けっこう誤解も生んだ。消費者がいなくなるわけないだろう、とか、収入が減っただけじゃないか、とか。

えーっと、説明するって難しいなあ、どう言えばいいのかなあ。などと逡巡するうち2か月が経ってしまった。そしたらちょうど先日、あーこういうことだ!と言いたくなる記事が日経ビジネスに出たのでここで紹介したい。

「リアル「日本人消費者」は、15年でこんなに変わった」というタイトルの記事。野村総研が、97年から2012年までの間、3年ごとに行った調査を書籍にまとめたのだそうだ。記事は、調査を担当したコンサルタントへのインタビュー。聞かれる側も聞く側も女性、というのも大事なファクターな気がする。

で、あとはその記事を読んでもらえばいいのだけど、ぼくが「そうかあ、そうだったんだなあ!」と感心したポイントはここだ。

・97年と2012年で支出金額は2%しか減っていない。一方でクルマや家電が売れなくなった。これは、モノは消費しなくなったが、人付き合いや体験にはお金を使っている。また、不要なモノを消費することへの抵抗感・罪悪感がある、という意見があった。

この部分にはいちばん納得した。そうそう!そんなことだよね!ぼくの記事では消費者がいなくなったと書いた。ちょっと乱暴すぎたね。不要なモノを消費する気がなくなった、というのが正確だった。いや、言われてみると、そんなつもりで書いたんだけどね。と今さら言っても遅いか。

ぼくは"消費"という言葉に疑問を投げかけたかったんだ。もう一度書くけど、消費って"消える、費やす"という熟語。言葉の構造がそもそも、ムダにお金を使う、と読み取れる。そして自戒を込めて言うと、ぼくも昔は好きだった。消費が。不要なモノを買うことが。

消費者がいなくなった、と書いたのはだから、自分が不要なモノを買っていたのを反省している、と言いたかったのだろう。

さてこの記事は「なぜ日本人はモノを買わないのか?」という書籍に関するインタビューだったわけだけど、記事を読んでいると書籍の方も読みたくなって買ってしまった。

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当然ながら、さっきの記事の話がもっともっと詳しく書かれている。まだ読んでる途中なのだけど、ひとつひとつの項目が、ぼくが感覚的に捉えていたことを明確にしてくれて感慨深い。もやもやしていたことがクリアになってなぜか力強い気持ちになっていく。

中でもうーんとうなってしまったことがある。調査から浮き彫りになったのが、人びとの将来への不安だ。老後に対する不安がどの世代でも高いのだそうだ。収入は減ったし、今後上がることも見込めない。もう経済的にいまよりぐんと良くならないことはみんな重々承知しているのだ。

ところが、現状の生活への満足度は高い。え?高いの?今の生活に満足している人は、2009年より2012年の方が高まったのだそうだ。将来に不安を感じているのに、収入上がらないのに、現状に満足は感じている。この部分の見出しは「平穏な日常生活の再評価」となっているのだが、つまりそういうことなのだ。「将来不安だし給料上がらないけど、それはそれとして、今は悪くないよ」そんな感じなのかな。いいんじゃね?みたいな。

これもなんというか、よくわかるなあ。今より以上は求めないし、物質的な幸福はあまり信じないのだ。自分もそう感じてるから、わかる。立派なモノ、高いモノ、もう別に要らないよね。必要なものだけにしてよ。

読み進むと、さらに重要だなと思えるキーワードが出てくる。

お金を「多く使う」より「善く使いたい」。

ある章の見出しなのだけど、すごく興味を惹かれたのは「善く使う」の「善く」という部分。なかなかこの字は使わないんじゃないだろうか。「よく」もしくは「良く」が普通だろう。でも「善く」を使う理由は明らかだ。「善悪」の「善」なのだ。そういう意味の「善く使う」。多少こじつけだがそうすると、「多く使う」のは「善悪」の「悪」だと言えてしまう。

努力して出世して高い収入を得たら「多く使う」。そのことに大した価値がない、さほど意味がないことをぼくたちは知ってしまった。そんなことをしても、リーマンショックや震災で簡単に物事がひっくり返るし、それよりも何か「善い」事にエネルギーを注いだ方がいい。いままでは道徳の教科書の中の考え方だったのが、普通に受けとめる考え方になった。それがデータに現れているのだ。

そういう時代、そういう気分、そういう自分。だとしたら、広告だの、プロモーションだのも、これまでとは明確にちがうパラダイムを作らなくては。だってこれまでのマーケティングだの広告だのの前提がすべて変わってきたよ、ってことだから。いやー、このことは当面かなり重要なテーマになりそうだよ!