『マン・オブ・スティール』-宿輪純一のシネマ経済学(9)

『マン・オブ・スティール』と聞いて、アンジェイ・ワイダ監督の『鉄の男』(1981年)を思い出す方は相当の映画ファンである。もちろん違う作品であるし、『鉄の男』の原題は『Man of Iron』であった。
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『マン・オブ・スティール』(Man of Steel)2013年(米)

『マン・オブ・スティール』と聞いて、アンジェイ・ワイダ監督の『鉄の男』(1981年)を思い出す方は相当の映画ファンである。もちろん違う作品であるし、『鉄の男』の原題は『Man of Iron』であった。

本作品は『スーパーマン』の映画である。なぜ、名前に「スーパーマン」が入らないかというと、まったく新しいスーパーマンを始めるという強い意志が入っているからである。このように、シリーズにおける連続性を捨て、新たに最初からやり直すことを「リブート(Reboot:再起動)」という。最近でも、「バットマン」や「スタートレック」などのシリーズでもそうされている。しかも、同様に「バットマン」でありながら『ダークナイト』という題名になったりしている。

本作品の製作は、新『バットマン』シリーズや『インセプション』の英国人クリストファー・ノーランで、監督は『300(スリーハンドレッド)』のザック・スナイダー。出演俳優が豪華で、カル=エル / クラーク・ケント / スーパーマンが英国人のヘンリー・カヴィルである。彼はまだ良い作品に恵まれておらず、代表作が思い当たらない。ダンヒルのフレグランスのモデルをやっていた印象が強い。

ジョナサン(クラーク・ケントの父)がケビン・コスナー、マーサ(母)はダイアン・レイン。デイリー・プラネットの編集長ペリー・ホワイトは、 ローレンス・フィッシュバーン。実の父ジョー=エルはラッセル・クロウと、大作らしく大変豪華な配役となっている。

地球から遥か彼方の宇宙にある惑星クリプトン。地球よりも発達した高度な文明があるのだが、星のエネルギーは枯渇し、中心部分の核に異常をきたし、星としての終焉が迫っていた。クラーク・ケントの実の父はそれを察知し、星の長たちに訴えていたが、(お約束であるが)それは無視されていた。そうしているときに、突如ゾッド将軍による軍事クーデターが発生する。クラーク・ケントの父も殺害される。クラーク・ケントは母によって地球に旅立たせる・・・・。

33年がたち、クラーク・ケントは船員として働いていた。その船が近くの油井での救難信号を知る。一人燃え盛る油井に向かい、驚異的な力を用いて人を救うのだが、その後火に巻き込まれ行方不明になるのだった。実は驚異的な力を知られると身を隠すのである。

その後、彼は、北極で見つかった未知のテクノロジーに興味を抱く。女性新聞記者のロイスに自分の正体を知られながらも、自分が惑星クリプトンの生き残りであることを知る。

久しぶりの故郷に帰ったクラーク・ケント。そこに、クリプトンが滅んで解放されたゾッドが、地球にやってくる。ゾッドの狙いはクラークただ一人ということでクラークは投降する。案の定、二人はゾッドの部下の攻撃を受けることになる。ゾッドはこの地球を第二のクリプトンにすべく、装置を使い、世界を壊滅させようとしていたのである。

それから、スーパーマンとゾッド将軍の壮絶な戦いが繰り広げられる。最新の撮影技術を使って長く激しい戦いで、最終的には(お約束であるが)スーパーマンが勝利するのであるが、あんなにも町を破壊していいものなのかとも感じさせる(笑)

文頭にも書いたが、最近、映画の「リブート」が多い。リメイクとは同じ内容をまた作ることであるが、リブートとは「全く一からやり直す」ことである。このような傾向はいわゆる「ネタ切れ」に近づいてきているともいうことができる。リメイクやシリーズ物も含め、リーマンショック以降にその傾向が強まってきたように思う。

それはリーマンショック以降の「リスク回避」の姿勢にあると考える。映画のファイナンスは、出資形態で作られる。映画という商品の性質上、出資してから、資金の回収まで3年以上かかる。しかも、最近は、スーパースターの出演料が高騰し、CG等の技術コストが絡み、莫大な金額がかかる。特に大作になればなるほどリスクが高まるということになる。

このような状況下、経営的には、一か八かのホームランを狙うのではなくて、固くヒットを狙うことが望まれてくる。それがリスク回避の考え方である。もちろん、ネタ切れという状況もある。それが、リーマンショック以降のリスク回避の流れの中でさらに強まっているのではないか。

個人的には一か八かの作品を見たいのだか・・・。