二島返還・二島共同立法による北方領土解決案 ――東郷・パノフ共同提言の真意

『歴史認識を問い直す』で私は7つの問題を提起した。私にとっては、それぞれが、日本の命運にかかわる喫緊の重要事項である。これからしばらくの間、安倍政権にその対応が委ねられると思えば、どうか、政策に過ちなきを期し、実行すべきことを果敢にやってほしいと祈るばかりである。
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拙著『歴史認識を問い直す』(角川oneテーマ21)を4月に出版してから、3か月余りが過ぎた。7月の参議院選挙では、予想通り、自民・公明からなる与党連合が勝利し、安倍政権は、小泉政権以来初めての長期政権となる可能性がでてきた。

その『歴史認識を問い直す』で私は7つの問題(※1)を提起した。私にとっては、それぞれが、日本の命運にかかわる喫緊の重要事項である。これからしばらくの間、安倍政権にその対応が委ねられると思えば、どうか、政策に過ちなきを期し、実行すべきことを果敢にやってほしいと祈るばかりである。

しかし、不安の影がよぎる。この3か月の間で、私が最も大胆に意見を述べたのは、たぶん、北方領土問題について、かつての交渉相手であり、同僚であった元駐日大使のアレクサンドロフ・パノフ氏と共同で「北方領土解決案」を提案したことだと思う。

パノフ氏との共同提案は、7月18日のロシアの『独立新聞』、翌日の朝日新聞にその概要が報道され、朝日のデジタル版に全文が訳出掲載された。提案を行ってから、メール、手紙、電話などで、相当数の方から概ね好意的な所見をいただき、或いは、質問をいただいた。

そこで、いただいたご質問に応えつつ、以下に、日ロ交渉の背景・この共同提案を行った動機・提案の基本的考え方などについての、意見を述べたいと思う。

■日ロ交渉の背景

共同提案をしたのはなぜか?―――交渉の現状に不安があったからか?

その通りである。パノフ氏と一緒にあえてここまで踏み込んだ提案をしたのは、二人とも共通に、いまの交渉の進み方に強い不安を感じたからである。

思い起こしていただきたい。

4月29日に行われた安倍総理のモスクワ訪問は、十分に評価されてよい、中身の濃いものだった。私も、この訪問が行われた時代的な背景にふれながら、この訪問を積極的に評価した(※2)。

特に、100名からなる財界人をひきつれ、日本からの対ロシア投資を積極的に進める「投資誘因メカニズム」のような新機構をつくったこと、これまで、米国と豪州に限られていた外相・防衛相による協議メカニズム『2+2』の設置を合意したことは、なかなかに見事であり、領土問題についても、双方の外務省に「双方にとって受け入れられる案」を考究すべく指示を出したことは、評価されると思った。

けれども、この訪問の成功は、これ以上遅延することは絶対に許されないギリギリの時点で得られたものだった。プーチン大統領が、日本との関係を抜本的に進めるべきだと最初に言ったのは、2012年3月1日のG8を代表する記者会見だった。1年と4カ月も前にプーチン首相(当時)は、「自分が大統領に選ばれたら、日露関係を積極的に進めたい。それには経済と領土であり、領土は、『引き分け』の原則によって解決したい、『引き分け』とは、いずれもが勝ちを求めるのではなく、負けないことだ」と述べているのである。

領土を取り返そうとする日本は、この時点から総力をあげて交渉を動かすべく精力を集中すべき立場にあった。1年4カ月にわたる無策は、弁明のしようの無い遅延だった。本年4月29日、安倍訪ロによってかろうじて得られた成果は、そこから一気呵成に交渉を進めることが絶対的に要求される厳しい条件下で得られた成果だったのである。

■共同提案を行った動機

安倍訪ロ以降、交渉は一気呵成に動き始めたか?

答えは、ノーである。モスクワで神経を研ぎ澄ましていたパノフ大使から見ても、東京で出来る範囲での情報収集に心掛けていた私から見ても、安倍訪ロが終わってから、パタッと動きが止まってしまったのである。

これは、非常に不吉な兆候である。いままで一緒にやってきて、盛り上がった交渉が何らかの理由で自壊し、結局元の木阿弥にもどってしまうということを、私たちは何回も経験してきた。

「またか」というのが二人の共通の思いであり、同時に「今度失敗したらあとがない」というのが、『歴史認識を問い直す』で詳しく述べた私たちの共通感覚だった。

もちろん、最終段階に来た交渉の内容を政府の関係者は、決して他言してはいけない。極めてデリケートな内容は、外に出るだけでもみくちゃにされ潰されていく。けれども、交渉には自ずからつくられる空気がある。この空気の中で、風が止まってしまったのである。

メールと電話で私たちは話しあった。

――これは、二人で出来るだけのことをやらねばならない。

――賛成だ。しかし、「今が得難い機会の窓だ」というようなことを、それぞれの世論に対して再説しても、あまり効果はないのではないか。

――そうだ。お互いに世論には何回もそういう意見をのべてきた。また同じことを言っているということになるだろう。

――どういう案なら引き分けになるか、一緒に考え,それをもって世に問うてみるというのはどうだ。

――なるほど。二人で丸テーブルに座って、「この案ならロシアも日本も負けにならない」という案について、知恵をしぼるということだな。

――そうだ。日本とロシアの世論に、どうすればそういう案になるかという具体案を、解りやすく提示するということだ。

■提案の基本的考え方

パノフ大使と私との間でこういう検討が始まってから、あっという間に1カ月半以上の時間がたってしまった。

私が当初思ったよりも話し合いには時間がかかってしまった。基本的な考え方に乖離があったからではない。

ロシア語のみをベースに作成された投稿案を、メール添付や、スキャンしたて修正テキストにし、英語のメールとロシア語の電話で話しあいながら、間違いが起きない最終案文に仕上げていく過程に時間がかかってしまったのである。

しかし、幸い、間違いない形で投稿文を仕上げることができた。

できれば、ロシア語発表と間髪をいれずに、日本の世論にも提案の全貌を伝えたかったが、朝日新聞社の積極取材によって、この点も可能になった。

基本的な考え方について、二人が同意したのは、以下の三点である。

(1)まず、すでに述べたように、二人とも「この案ならロシアにとっても、日本にとっても負けにならない」と思える案を産み出すこと。

(2)次に、そういう案を、できれば今までの交渉の中で相互に投げられた様々な案を活用し、組み合わせることによって見出そうとしたこと。

結果として、98年の小渕訪ロでエリツィンから提案された「四島に対して、日本側の立法権による一部統治を含む特別経済特区を創設する」案と、2000年9月の訪日以来一貫してプーチンが言っている56年宣言適用の二案を同時適用し、国後択捉に対する共同立法と歯舞・色丹の引き渡しという、共同提案が生まれたのである。

これなら、二島に加えてアルファをとったことによって日本は負けにならず、四島一括を抑えたことによってロシアも負けにならない、妥結の基礎が出来たのではないかと考えたのである。

(3)最後に、この共同提案は、決して唯一無二のものではないということ。双方にとっての引き分けに達する案は、もちろん他にもあるだろう。また、この案によってすべてを解決しているものでもない。例えば、プーチンが主張している「国境線の画定」「最終解決」などを如何に決着させるか、この案では述べられていない。それこそ正に交渉当事者に、知恵と勇気をもって考究していただきたい点なのである。

■おわりに

この共同提案が、両国政府においても、また、国民各位におかれても、長きにわたる日ロの領土問題解決を考究するための、なんらかのよすがとなることを、切に願う次第である。

▼『歴史認識を問い直す』(角川oneテーマ21) 東郷和彦

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※1 尖閣・竹島・北方領土・中國との和解・韓国との和解・台湾・日本の国家目標の七つである。

※2 雑誌『世界』の七月号「『時代の節目』の転換が突き動かす日ロ交渉」で詳しくこの交渉についての高い評価を述べた。