新潟弁護士会「おかしいだろ、これ」少なきは多くを語るの好事例

安保法案成立に対して様々な著名人・業界から意見。声明が出ていますが、新潟弁護士会の公式発表した声明が話題を読んでいます。

こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。

安保法案成立に対して様々な著名人・業界から意見。声明が出ていますが、新潟弁護士会の公式発表した声明が話題を読んでいます。

「新潟弁護士会 声明・意見書」というお硬いページに、

「安全保障関連法案の強行採決についての会長コメント」と題して、こんな声明が発表されました。

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ド 直 球 す ぎ る 。

ネットでの反響も大きく、多くの人の心に響いたのではないでしょうか。

弁護士会という組織のイメージを覆す、話題性も充分です。

これの何が画期的かと言うと、とかく政治絡みの「声明・意見書」というものは暗黙の了解で堅苦しいフォーマットみたいなものがあり、

「現代を取り巻く法環境は、歴史上かつてない状態である云々かんぬん」

「我々◯◯は、立憲主義を守る立場から一貫して××を主張してきたどーたらこーたら」

みたいなことが延々と書かれるのが慣習・通例となっており、結局のところ「身内しか読まないんじゃないの?これ」というのになりがちなもの。

その常識をすべて覆した、それも弁護士会という組織がそれを行ったのは、業界史に残る歴史的な出来事ではないでしょうか。

実はこれ、議員・政治家の議会質問・議会発言なんかも一緒なんですよね。

質問に「ハク」をつけるために、貴重な持ち時間を使って、社会情勢や自己の政治信念を滔々と語らなければいけない雰囲気があります。

これを誰が言い出したか、業界用語で

「祝詞(のりと)をあげる」

といいます(※東京都議会だけなのかも?)。

役人さんと質問・答弁調整するときは

「それは質問ですか?それとも、祝詞の中で触れるだけですか?」

「ああ、祝詞で意見として述べるだけなので、ここには答弁しなくて大丈夫です」

なんてやり取りを普通にしていたりします(苦笑)。

祝詞とはそもそも、儀式の時に神前で神主たちが唱える言葉のことで、貴いものではあるものの、儀式化・形式化している行為とも言えます。

自分たちの言葉・やってることを「儀式化している」と言い切っちゃう皮肉、謎の業界用語の存在そのものが、政界・議会の実態を表しているように思えてなりません...。

今回の私の質問持ち時間が9分間しかない中で、とはいえある程度の祝詞は必要かなあ...とか悩んでいた私に、この新潟弁護士会の声明は貴重な示唆と勇気をもたらしてくれました(笑)。

そして前職で務めていた仏系ブランド企業にてブランディングポリシーを習った時、

「少きは多くを語る」

という言葉を教えられたのを思い出しました。

(フランス語と英語でめっちゃ格好良い格言だったのに、それは忘れた...)

人間、伝えたいことが多いほど、想いが強いときほど、アレコレと不要な言葉や態度を散りばめて本質がぼやけてしまうもの。

ブランドのコピーや、売り場の装飾でも同じことをやりがちです。

そこをぐっとこらえて絞り込んだ、本質的な言葉こそが一番人の心に届くし、また効率的に多くの人に伝わっていくものなのかもしれませんね。

議会発言以外でもだらだらとしゃべったり、やたらに長い分を書いたりしないように気をつけようっと!

シルバーウィークは事務所と都庁に引きこもって、質問を練り上げることに集中する期間になりそうです。

それでは、また明日。

(2015年9月20日「おときた駿公式ブログ」より転載)