大学で簿記3級を教える事は正しい。(中嶋よしふみ SCOL編集長)

文部科学省で行われた有識者会議の資料が話題になっている。経営共創基盤(けいえいきょうそうきばん)CEO・冨山和彦氏が作成した提案書だ。資料では、グローバル経済圏とローカル経済圏で産業構造が2つに分かれているとし、今後はそれに合わせた教育を行うべきではないか、という内容だ。
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Mark Scott via Getty Images

文部科学省で行われた有識者会議の資料が話題になっている。経営共創基盤(けいえいきょうそうきばん)CEO・冨山和彦氏が作成した提案書だ。

資料では、グローバル経済圏とローカル経済圏で産業構造が2つに分かれているとし、今後はそれに合わせた教育を行うべきではないか、という内容だ。

■グローバルとローカルの違い。

特に注目されているのがローカル経済圏、つまり国内で雇用される人材について、生産性を高めるために教育内容を職業訓練的なものにすべきという提案だ。学問よりも実践力を、とある。

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配布資料ではシェイクスピアより観光案内が出来る英語力を、ポーターの経営戦略より簿記や会計ソフトの使い方を、と非常に具体的だ。

提案に対する反応は圧倒的に反対が多いようだが(中には人間性を疑う、といったような過剰反応を示す人も少なくない)、大雑把に見ればビジネスに携わる人は賛成、教育に携わる人は反対、という立場で分かれているように見える。

賛成する人の意見は「提案内容は当たり前過ぎて、反論する個所が見当たらない」というものばかりだ。

一方で反対する人の意見を乱暴にまとめるならば......

「大学はそもそも職業訓練校・就職予備校ではない」

「そういうことは専門学校でやれば良い」

「無駄な事をやることにも意味がある」

「職業訓練は入社後にやればいい。後からできる事を若い内にやらなくてもいい」

「企業は地頭が良い人が欲しいのであってそういう人材は求めていない」

......といった所だ(資料には大学に限らず専修・専門学校も含むとあるので、勘違いの反論も相当数含まれている)。

これに加えて冨山氏のプロフィールが、東大法学部・司法試験合格・外資系コンサル出身、と絵に描いたようなエリートぶりで「バカなヤツは工作機械の扱い方でも勉強させておけ、という事か」と反感を買っている側面もあるようだ。事例としてあげているものはあくまで例なので、これに過剰反応する事にあまり意味は無いだろう。

自分の立場は冨山氏の提案に100%賛成ということになるが、反論側の意見もわかる。ただし反対側の人が見ているのは、冨山氏が言うところのG型・グローバル経済圏に対応するような人材の話であって、国内で雇用される人には当てはまらないケースも多々あると思われる。

■中学校の勉強をやり直す大学生が多数。

3年も前になるが、日本橋学館という大学の授業内容が中学校レベルだと話題になったことがある。句読点の使い方や分数・少数の計算を教えていたからだ。あまりにもレベルが低すぎる、大学生に教えることじゃない、と徹底的に非難(バカに)された。しかし学長はそれに対して「学力が不足する学生に補修を徹底して行う事が本学の特色だ」と反論した。

加えて、公表されていないだけでそういった補習授業は難関校も含めたほとんどの大学で行われているという。

現在の大学進学率は日本全体でおおよそ50%程度だ。これは近年急激に上昇した。70年代からバブル期の90年頃まで20%台半ばを推移していたのだから、20年で30%も上昇したことになる。現在40歳~60歳位の人が大学に通っていた頃、大学は明らかに「頭の良い人」が通う場所だった。もっと上の世代では「エリート」が通う場所だったと言っても過言では無いだろう。

それに対して現在は全国平均で半数以上、東京に限って言えば65%となっている。これは頭が良い・悪いと関係なく、就職をする、目的意識を持って専門学校に行く、経済的に大学に行けない、といった人を除けばほとんどのワカモノが大学に入っていると言える。進学率が1割とか2割の時代と全く違うということだ。つまり「大学生」というくくりは「ワカモノ」というくくりと同じ位にほとんど意味が無いものとなっている。

したがって先ほどの反論は一部の人には当てはまるけど、当てはまらない人も沢山居る、ということになる。小学校の掛け算九九でつまずいて、大学に入ってから中学校の勉強内容をやり直している人に、シェイクスピアの機微を英語で理解するとか、経営学でポーターのファイブフォースがウンヌンといった授業をする事がどれだけ無理のある話かは言うまでもないだろう。

■グローバルなビジネスで雇用は増えない。

グローバル経済圏で最も身近で分かりやすい事例がスマートフォンだ。

一社でシェアの半数近くを占めるアップルのアイフォンは、世界でトップクラス、ごく一部のエンジニア・デザイナーが作っている。それを組み立てるのは賃金が安い中国・台湾の(アップルではない外部の)工場だ。アイフォンのパーツの多くを日本メーカーが作っていると言われるが、付加価値として生まれる多くの部分をアップルが総取りしている。

加えて、今後は中国製の格安・高性能なスマートフォンやタブレットがどんどん出てくるだろう。パソコンが低価格化・高性能化してパソコンメーカーが儲からなくなったような時代がもう目の前だ。

したがって、スマートフォンの分野で戦うのならアップルがライバルとなり、中国・台湾をライバルと考えては到底やっていけないということだ。どっちつかずの国内家電メーカーの多くはスマートフォン事業から撤退(縮小)している。日本で「スマートフォンの生産」により利益を得ている企業はFA(ファクトリー・オートメーション、生産設備)を製造する三菱電機などごく一部だ。

つまりグローバルなビジネスで雇用を生むのは難しく、生まれたとしてもごくわずかということになる。利用者が5億人を突破し、世界中で展開するスマホアプリのLINEであっても、LINE株式会社の社員数はわずか790人だ。

冨山氏が資料で説明しているように、雇用を生み出すのはローカルなビジネスであり、それは交通や物流、飲食・小売・宿泊、そして医療・介護・保育といったサービス業だ。こういった雇用はわずかな職業訓練の有無が従業員の質(=サービスの質)に関わる。

加えて言うと、ローカルなビジネスの雇用が必ずしも低収入とは限らない。平均値ではグローバルなビジネスより低いだろうが、ローカルなビジネスのライバルはごく限られた範囲だが、グローバルならば世界中がライバルとなる。賃金の下落圧力はグローバルなビジネスの方がよっぽど強い。この辺りの誤解も「貧乏人は麦を食え」的な意味で冨山氏が過剰に批判された原因だろうと思われる。

■経営に役立つ簿記3級の資格。

反論にあった「冨山氏の提案は地頭の良い人が欲しいという企業の希望に合っていない」というものは反論の中では一番納得できるものだ。しかし、これについても経営者に必要な最低限の知識だって職業訓練校レベル、ということになる。

自分は独立・起業をするにはどうしたら良いか?と相談を受けることがあるが、必ず伝える事は「簿記3級から勉強すると良い」というアドバイスだ。自分は経営に関する知識は全て独学で覚えたが、偶然にも最初に簿記の勉強をしたことは非常にプラスになった。

例えば経営に関する本を初めて読んだ時、知識ゼロでも案外理解出来た。いい加減大人になってから経済やビジネスに関するニュースを読んだ時も同様だ。これは簿記を勉強していたことが大きな要因だと思われる。ビジネスの事を考えるとき、無意識に頭の中でバランスシートや損益計算書が浮かぶかどうかは、正確な判断が出来るかどうかに大きな影響がある。

経営が苦しくなって破たん寸前まで陥ったこともあったが、ギリギリで生き残れた理由もキャッシュ・フローに関する知識があったからだ。多分、会社を起こす人や独立する人に簿記3級の取得を義務付けたら、倒産や自己破産する確率は大きく下がると思う。それくらい役に立つと自信を持って言える。

それでも簿記なんて大学で教える事か?と言われたなら、確かにそうだろう。資格学校のTACや大原ならば日商簿記3級は1万円もあれば習う事が出来る。勉強期間は2・3ヶ月もあれば100点で合格出来る。会計ソフト(弥生会計)の使い方にいたってはマニュアルと電話サポートで十分だ。

ただ、仕事で本当に役立つ事は何か?ということを教えるのならば、こういった授業を行う意義はあると確実に言える。少なくとも自分は簿記の知識が独立・起業でここまで役に立つとは誰も教えてくれなかった(だから相談を受けると必ずこの話をする)。

■大学は就職予備校で良い。

自分はこういった経験をしているので、「職業訓練は入社後にやればいい、後からできる事を若い内にやらなくてもいい」と言われても、グローバル人材であってもそんなことは無いし、ましてやローカルな雇用については職業訓練が全てではないか、という回答になる。入社してから、という話も入社出来ない人はどうするのか?という事になるだろう。

大学で職業訓練は不要という人もいるだろうが、現在半数近くのワカモノが大学に行く状況で、「大学進学率はもっと低くていい、職業訓練は専門学校でやればいい」といった話を冨山氏がしていればもっと酷い批判が起きていただろう。

親目線で見ても子供を大学に行かせたいと考える人は多い。呼び名が大学だろうと専門学校だろうと、それは本質的な話ではない。ワカモノが働く力・稼ぐ力を身につけることが出来るのなら、手段は何でもいいし場所もどこでも良い。

大学は就職予備校ではないという意見については今更反論してもしょうがないが、親も学生も大学に求めている最も重要な事は就職できる事だ。学生が厳しい受験戦争を乗り越えて難関大学に入ろうとする理由は就職に有利だからだろう。就職予備校と呼んでも呼ばなくてもどちらでも構わないが、実態と大きくズレた意見としか言いようがない。

こういった事を書くと金の事しか考えていないとか市場原理主義などといった批判が必ず来るが、自殺する大学生は年間で1000人、そのうち就職活動が原因の自殺は判明しているだけで150人にのぼる。非正規雇用で低収入にあえぐ若者も多い。そんなワカモノにお金が全てじゃないとか仕事だけが人生じゃないなどと言えるのだろうか。

【参考記事】

全ての大学がアカデミックな場所である時代はとっくに終わっている。グローバル人材とローカル人材という区分けは全ての人が意識すべき時期に来ているのだろう。

中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 シェアーズカフェ株式会社・代表取締役社長

※有識会議の正式名称は「文部科学省・実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(第1回)」。配布資料は文部科学省のHPでダウンロードできる。