イギリスがシリアを初空爆、IS戦闘員2人を殺害

英国のキャメロン首相は7日、英空軍が8月にシリアで初めて無人機爆撃を行い、過激派組織「イスラム国」に参加する英国人戦闘員2人を殺害したと明らかにした。
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Reuters

[ロンドン/パリ 7日 ロイター] - 英国のキャメロン首相は7日、英空軍が8月にシリアで初めて無人機爆撃を行い、過激派組織「イスラム国」に参加する英国人戦闘員2人を殺害したと明らかにした。

英議会はシリアでの軍事攻撃を承認していないが、今回の空爆についてキャメロン首相は「自衛行為」と説明した。

英空軍はここ数カ月にわたり、隣国イラクの「イスラム国」に対し空爆を繰り返しているが、シリアでは無人機による情報収集活動しか行っていなかった。

一方、フランスのオランド大統領も7日の会見で、シリアの「イスラム国」に対する空爆を開始する考えを表明。「シリアからフランスをはじめとする複数の国に対する攻撃が計画されている証拠がある」などと述べた。

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■「ここでは私はただの難民」(01 of17)
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3ヶ月前にシリア北部コバニからやってきた兄弟。父は仕事に出かけ、長女は病気の母を連れて病院へ出かけていた。\n

\n一家が暮らしていたコバニは、2014年7月に「イスラム国」の攻撃を受け、最近まで「イスラム国」と現地住民による熾烈な戦闘が続いていた。戦闘の結果、20万人もの住民がトルコへ脱出した。
(credit:Saori Ibuki)
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一番下の男の子は、まだ1歳になったばかり。 (credit:Saori Ibuki)
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次女は16歳。2014年6月には、試験を受けるためにコバニからシリア北部アレッポへバスで移動していた学生約200人を「イスラム国」が誘拐するという事件があった。彼女もそのバスに乗るはずだったが、その日の朝に母が止めた。\n

\nトルコに来てからは友達もおらず、何もせずに1日を過ごしている。かといって、現地のシリア人学校にも行きたくないと言う。「ここでは私はただのよそ者だから。ただの難民。早くコバニに帰りたい」と言葉少なげに語った。
(credit:Saori Ibuki)
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こちらの家族は、3年前にシリアの首都ダマスカスから親戚の伝手を頼ってシャンルウルファへ来た。今は親戚のところでペンキ塗りの仕事をしているが、過去40日間で1日しか働くことができなかった。もらった賃金もたったの40トルコリラ(約2000円)。一家を養える金額ではない。\n\n (credit:Saori Ibuki)
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「3年間トルコで暮らしているけど、近所のトルコ人は自分を見下してくる。親戚以外はだれも信用できない」と話す。 (credit:Saori Ibuki)
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男性の母親も、3ヶ月前にコバニからトルコへ逃れてきた。トルコへきた当初、自分たちを匿ってくれた知り合いには「すぐにクルド人民兵組織(コバニの地元住民を中心に組織された勢力)が『イスラム国』をコバニから追い出してくれるから。そしたら自分の家に帰るから」と話していたが、結局帰ることはできずにいる。 (credit:Saori Ibuki)
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娘は6歳。8歳の兄は、シリア難民のための学校に通っている。 (credit:Saori Ibuki)
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左の男性は、1年3ヶ月前にシリア北部ラッカからシャンルウルファへやってきた。ラッカは、現在「イスラム国」が自分たちの「首都」としている街だ。\n

\n男性は大学で法学を専攻し、トルコに来る前はラッカの地元政府で働いていた。トルコに来てからは11人の家族を養うために小さな店を営んでいるが、生活は苦しい。「食料支援などがある難民キャンプで暮らすという選択肢はなかったのか?」と尋ねると、「難民キャンプで暮らすくらいなら、死んだほうがマシだ」と答えた。
(credit:Saori Ibuki)
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男性の子供たちはまだ幼く、働きに出す年齢ではない。一家全員の生活が、父の肩にのしかかる。 (credit:Saori Ibuki)
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シャンルウルファでシリア難民に英語を教えているラシャさん(右・仮名)も、「『イスラム国』はイスラム教徒を宗教から遠ざけるか、『イスラム国』に引き寄せるかのどちらか」だと話す。\n

\n彼女の知り合いの女性は紛争中もシリアで生活を続けていたが、10代の息子が「イスラム国」のメンバーになりたいと言い始めたため、彼を「イスラム国」から引き離すためだけにシリアを離れることを決めた。\n

\nラシャさんも、「イスラム国」が首都にしているラッカの出身。「まずは、街に政府軍の戦車が現れるようになった。それから、空爆が始まった。空爆が始まったときは恐ろしくてしょうがなかったけど、最後にやってきた『イスラム国』がなによりもひどかった」と話す。\n

\n「政府軍は、戦車や戦闘機やミサイルなどありとあらゆる武器を使って私たちを弾圧してきたけど、彼らにはルールがあった。でも、『イスラム国』にはルールがない。彼らが自分たちで作ったルールしか」と話した。\n

\n「彼らの主張はイスラムの文化とは全く異なるもの。ならば彼らの思想はどこから来たのか、私たちは考えなければならない」と言うと、静かに目を伏せた。
(credit:Saori Ibuki)
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多くのシリア難民が暮らすトルコ南東部シャンルウルファは、人口80万人の地方都市。紀元前からの豊かな歴史が息づく街だ。\n\n夕方になると、近隣家庭が炭やゴミを燃やす独特の匂いが街に満ちる。煙や砂で空気が白く霞み、そこに差し込む夕陽は光の筋となる。 (credit:Saori Ibuki)
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シリア難民の多くは、シャンルウルファ中心部から車で10分ほど離れたエリアで生活している。シリア難民が入居するまでは、現地住民の貧困層が暮らしていた地域だ。急な斜面に隙間なく建てられらた家々は、ざらざらとした石やコンクリートでできている。\n\n (credit:Saori Ibuki)
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コバニから来た6人兄弟の家の洗面所。この洗面所の他に、6畳ほどの広さの居間と寝室がある。石の床は、冷たい。 (credit:Saori Ibuki)
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家々をつなぐ狭い道には、子供たちが走り回る足音が響く。真上から差し込む光が石の壁に反射して眩しいくらいだ。\n

\nシリアと国境を接するトルコ政府は、2011年3月に内戦が勃発したその1ヶ月後から、命からがら逃げてくるシリア難民を受けて入れてきた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の調べによると、2014年末までにトルコへ逃れてきたシリア難民の数は、約162万人と言われている。正式な難民申請をしていない人も多数いることを考えると、その数はさらに膨らむ。
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シャンルウルファの街並み。上空には、雨を促すために人工的に作られた輪っか状の雲が見える。\n

\nラシャさんは、シャンルウルファの風景を見ると学生時代を過ごした首都ダマスカスでの日々を思い出すという。\n

\n「アサド政権に反対する人々が武器を持って戦い始めたとき、わたしは『みんな自分の身を守らなきゃならないんだから当然だわ』と思ったの。でも今思うと、本当に馬鹿な考えだったわ。本当に馬鹿な。武力で弾圧してくる相手に対して武力で応じた時点で、自分も相手と同等になってしまうから。その時点で敗けよ」
(credit:Saori Ibuki)
■「このままでは難民を敵視してしまう」(16 of17)
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一方、大量になだれ込むシリア難民を受け入れた現地住民にも動揺が広がっている。シリア人が多く暮らす地域で病院の警備員をしている男性は、「このままでは難民を敵視してしまう」と不安を露わにした。\n

\n「以前は平均月300トルコリラ(約1万4千円)だった家賃が今ではその倍になっている。労働賃金も下がっているし、失職している現地住民もたくさんいる。シリア難民が来てから、自分たちにとっては全てが悪い方に転じた」と話す。\n

\n「それ以上に、今は誰が国境を越えて自分たちの街に入ってきているのか全くわからない。政府はもっと厳しく国境を管理しないといけない」とトルコ政府を批判した。
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羊飼いの男性も「シリア難民は感謝することを知らない」と、自分たちの税金が大量にシリア難民支援に投入されていることに対する不満を口にした。\n

\nその一方「彼らは紛争から逃げてきたのだから追い返すわけにはいかない。自分たちが家族で食卓を囲んでいるときも、彼らは飢えているのだから」と話した。
(credit:Saori Ibuki)