フェデリコ・フェリーニ「道」

自分は愛されていない、それどころか暴力すら受ける惨めな思いをしていたジェルソミーナを、そして悲しむ視聴者までをも救うのだった。
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フェデリコ・フェリーニ「道」

イタリア映画界の巨匠の一人、フェリーニのデビュー作であり代表作の「La Strada」。

この素晴らしい傑作に、私は、この世の悲しみというよりも、フェリーニの持つ人間としての懐の深さと、果てしない優しさを感じずにはいられない。

現代なら、「DV男」と陰険に片付けられかねないザンパノの

声に出来ないジェルソミーナへの愛情をすくいあげる

そして暴君ザンパノと従順なジェルソミーナの二人の物語が

もう例えようにならない程に愛おしく温かな物語になるのだ。

天使の羽をつけたイル・マットが

「もう生きていたくない、誰の役にも立てない」と悲しむジェルソミーナをなぐさめる場面。話はごくごく巧みに、自然に、暴君ザンパノの元を離れるべきかという話題になる。以前逃げようとしたがひどくぶたれて逃げられなかったとジェルソミーナ。従来なら「ザンパノはひどい男だ、すぐにでもあいつの元を離れるべきだ」となる。

しかしそんな予想を遥か超えたところをいくのがフェリーニなのである。

「ザンパノは犬のようだ。君に惚れているんだよ。でも話し方が分からない。吠えるしかないんだよ。」「君の他に誰がザンパノの側にいてやれると思う?」

そう言って、自分は愛されていない、それどころか暴力すら受ける惨めな思いをしていたジェルソミーナを、そして悲しむ視聴者までをも救うのだった。

従来の作品なら、「僕と一緒に逃げよう!君は幸せになる価値があるよ!」となるが、そうはならない、絶望の中にも人と人との愛情を温かくすくいあげるかのように表現しているのだった。

警察の側までジェルソミーナを送ってやったマットは、最後にもう一度だけ「僕と一緒に行こうか」と聞く。

そうできたらどんなに幸せだろうか、でもそこでただただ俯くのがジェルソミーナの、そしてこの映画の素晴らしい趣き深いところなのだ。

そんな彼女を見て、マットはネックレスをプレゼントする。握手もハグもないが、あんなに心暖まる、少しでも台詞がはさまれてしまえば台無しになってしまうほどこわれやすく奇跡のような、お別れのシーンなのだ。

大声を出して涙で顔をぐしゃぐしゃにして手を振ったりしない、そこがフェリーニの天才的な美学なのだ。

さらにザンパノが出所するのを出迎えるジェルソミーナの胸にはペンダントがない、ザンパノがまた怒らないようにとペンダントを隠すジェルソミーナの一途さを感じるのである。

やがて純粋すぎるが上に、ザンパノがマットを殺めてしまったことに気を病んでしまうジェルソミーナは、「稼いで生きていかなければならない」とザンパノに捨てられてしまう。さらにその物語の美しさが、ジェルソミーナが新しい幸せを見つけようと奔走したわけではないところにある。その悲しみのあまりジェルソミーナはこの世を去ってしまうのだ。

ザンパノが最後に涙するのは、ジェルソミーナが帰らぬ人となったことよりも、その彼女の愚直なまでの従順さや忠実さなのであった。

そしてその物語を悲しくも優しい音楽が包み込む。

悲しくも、人の心をなんとも言えないほど優しく満たし、優しい気持ちにさせてくれる。2時間の豪華絢爛な現実逃避のような娯楽映画ではなく、その優しく懐の深い作品を人々は絶賛し、何十年も愛し続けるのである。