フォーエヴァースペシャル2016-鉄道車両の引退が相次ぐ-

2016年2月、3つの「移籍車両」と、1つの「生え抜き車両」が相次いで引退する。
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2016年2月、3つの"移籍車両"と、1つの"生え抜き車両"が相次いで引退する。

富士急行2000系(2016年2月7日引退)

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1987年のジョイフルトレイン化改造後、29年の長きにわたり活躍した。

富士急行は、引退したばかりの元JR東日本165系のジョイフルトレイン、『パノラマエクスプレスアルプス』を2001年9月に購入。整備の上、2001号編成と2002号編成に分け、2002年2月28日に特急〈フジサン特急〉としてデビューした。特急としては申し分のない上質なインテリアに加え、101種類の「フジサンクン」をちりばめた大胆なエクステリアが好評を博し、同社の看板列車に君臨した。

富士山の世界遺産登録が2013年6月に決定すると、観光客が急増。さらに訪日外国人の増加で、平日でも大挙して押し寄せるほどにぎわい、特急〈フジサン特急〉の需要がますます高まってゆく。しかし、車両の老朽化がすでに顕著となっており、2014年2月10日付で、まず2002号編成を廃車。8000系(元小田急電鉄20000形RSE)が後任となり、同年7月12日にデビューした。

残る2001号編成も奮闘を続けていたが、2016年2月7日をもって、14年の活躍にピリオドを打った。後任車両は元JR東海371系で、特急〈富士山ビュー特急〉として、今春にデビューする予定だ。

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⑤鉄道ニュース「富士急行2000形が引退」

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■熊本電気鉄道5000系(2016年2月14日引退予定)

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5000系は車体強度の関係で、冷房機の搭載ができなかった。

1954年の登場以来、「青ガエル」のニックネームで親しまれた元東京急行電鉄初代5000系が、61年の現役に幕を閉じる。ラストステージは熊本電気鉄道で、2016年2月14日に現役を引退する予定だ。

同社が初代5000系を導入したのは、意外と古く1981年11月。当初は2両1編成のみで、架線電圧の降圧化改造(直流1500ボルトから600ボルトへ)などが行なわれた以外、ほとんど手を加えられていない。4年後の1985年12月に4両を追加投入する際、単行(1両)ワンマン運転に対応するため、事前に先頭車の両運転台化改造が行なわれた。

すでに投入された2両もワンマン運転化改造を受けたほか、1988年8月に1両の両運転台化改造を実施。残る1両も改造し、全6両を単行車にそろえる予定だったが、諸般の都合により見送られた。

現在、同社の5000系は1両のみ。不定期運用ながら、菊池線上熊本―北熊本間の運行に従事しており、引退後は北熊本駅構内に保存される予定だ。

■京成電鉄AE100形(2016年2月28日引退予定)

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新旧の成田空港駅を発着した有料特急車両が姿を消す。

京成上野―成田空港間を結ぶ有料特急〈スカイライナー〉〈モーニングライナー〉〈イブニングライナー〉の2代目車両として、1990年6月に登場。初代AE形に比べ、車体の長さは先頭車を1.5メートル、中間車を1メートルそれぞれ伸ばし、6両編成から8両編成に増やして輸送力増強を図ったほか、シートピッチの拡大による居住性向上、東京都交通局都営浅草線、京浜急行電鉄の直通運転を視野に入れ、先頭車の前面に非常用貫通扉を設置した。

私鉄の有料特急車両では、東武鉄道100系スペーシアに次いでVVVFインバータ制御(現代の省エネ車両)を採用し、スムーズな加減速による乗り心地の向上や、メンテナンスの負担を軽減した。

AE100形は同年6月19日にデビュー。初代AE形も2つの編成を分解して、8両編成化を図り、需要に応える。当時はバブル景気と円高の影響で、海外旅行客が増加し、〈スカイライナー〉は満席の列車が続出していたのである。

翌1991年3月19日から成田空港駅を空港ターミナル直下に移転し、利便性が大幅に向上。若干のスピードアップも図る。一方、JR東日本も成田空港アクセスに参入し、特急〈成田エクスプレス〉の運転を開始している。

AE100形の増備に伴い、初代AE形は1993年5月21日限りで有料特急運用を離脱。同年6月27日のサヨナラ運転をもって、21年の歴史に幕を閉じた。

その後、AE100形は"京成のエース"として活躍を続けていたが、2010年7月17日に転機が訪れる。〈スカイライナー〉〈モーニングライナー〉〈イブニングライナー〉の車両を2代目AE形に一新されたのだ。特に〈スカイライナー〉は、成田空港線(成田スカイアクセス線)経由の変更や、最高速度160km/h運転も相まって、日暮里―空港第2ビル間を最速36分で結び、従来の経路に比べ約20分短縮。京成はCMで「JAPAN SPEED」を強烈にアピールした。

主役から脇役へと変わったAE100形は、従来通りの経路による〈シティライナー〉の運用に就く。当初は1日7往復設定され、停車駅に青砥を加えたが、利用客はきわめて少なく、のちに運転区間を京成上野―京成成田間に短縮されたほか、平日の運転もとりやめた。

2015年12月5日のダイヤ改正で、〈シティライナー〉の定期運転を廃止。以降は臨時運転のみとなる。去就が注目されたAE100形は、しばらく"休業"したのち、2016年1月1日に復帰するも、1月31日で離脱。2月21・28日開催の「さよならAE100形記念ツアー」をもって、26年の歴史に幕を閉じる。

■銚子電気鉄道1000形(2016年2月28日引退予定)

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復刻カラーで締めくくる。

元帝都高速度交通営団(以下、営団地下鉄。現・東京地下鉄)2000形2両が京王重機整備北野工場(現・北野事業所)で大掛かりな改造を受け、1994年6月下旬、「1000形」として、銚子電気鉄道に入線した。同年8月29日に貸切列車でデビューし、9月から一般の営業運転も開始する。デビュー当初は単行運転でも車掌を乗務させていたが、のちにワンマン運転に切り替えられている。

1000形の車体塗装は、同社の標準色(当時)でスタートし、後年は銀座線復刻カラー(デハ1001)、丸ノ内線分岐線復刻カラー(デハ1002)に塗り替えられ、"昭和の営団地下鉄"が銚子でよみがえった。集電方式が第3軌条から架空線に変わっても、違和感がない。

デハ1002は2015年1月10日で営業運転を終了。ただちに廃車せず、仲ノ町車庫から"相棒"の力走を見守った。

1000形は2016年2月27・28日の「おつかれさま デハ1001 イベント」をもって引退。営業運転終了後、仲ノ町車庫で銀座線復刻カラーと丸ノ内線分岐線復刻カラーの"僚友"が並べられる予定だ。