「前代未聞」の検察の判断を待つ藤井美濃加茂市長事件

全国最年少市長の藤井浩人美濃加茂市長が、市議時代に業者から30万円を受け取ったとして逮捕された事件は、明日、20日間の勾留満期を迎える。前回の当ブログ【藤井美濃加茂市長の不当勾留は地方自治を侵害する重大な憲法問題】で、逃亡のおそれも罪証隠滅のおそれもないのに現職市長について「勾留の必要」を認め、不当な身柄拘束を容認した名古屋地裁の決定が重大な憲法問題であるとして、勾留の取消を求める特別抗告を最高裁に申し立てたことについて述べた。

全国最年少市長の藤井浩人美濃加茂市長が、市議時代に業者から30万円を受け取ったとして逮捕された事件は、明日、20日間の勾留満期を迎える。

前回の当ブログ【藤井美濃加茂市長の不当勾留は地方自治を侵害する重大な憲法問題】で、逃亡のおそれも罪証隠滅のおそれもないのに現職市長について「勾留の必要」を認め、不当な身柄拘束を容認した名古屋地裁の決定が重大な憲法問題であるとして、勾留の取消を求める特別抗告を最高裁に申し立てたことについて述べた。

この事件では、業者(詐欺で起訴され勾留中)が、2013年4月2日に10万円、同月25日に20万円を藤井氏(当時は市議)に渡したとする会食の場には、常に、藤井氏にその業者を紹介した人物が同席していた。「現金を渡した」と供述する業者と、それを全面的に否定し潔白を訴える藤井市長との供述が対立する中で、この同席者は、藤井市長の任意聴取が開始されると同時に警察から連日長時間の過酷な取調べを受け、意識を失う程の状態にまで追い込まれながらも、一貫して業者と藤井市長との現金の授受を否定していることについては、前回のブログで書いた。

その同席者のタカミネ氏が、7月9日夜、ニコニコ生放送の番組(インターネット中継)に出演し、ジャーナリストの江川紹子氏のインタビューに答え、現金授受があったと中林(業者)が言っている2回の会食の場に同席した状況について、「中林と藤井氏が一緒にいた時間は、いずれも1時間足らず。その間、自分は席を外していないし、現金の授受は見ていない。」と明確に述べた。それどころか、中林について「虚偽公文書作成や、他の金融機関からの融資詐欺など、起訴される可能性があるのに起訴されていない犯罪事実がある。」「中林は、某名古屋市議会議員に現金を渡したということも言っているが、その事実はないことがわかった。」などとも発言した。

被疑者を勾留して捜査を続けている贈収賄事件に関して、事件の鍵を握る同席者が、公開の場で、現金の授受を明確に否定する証言を行っただけではなく、贈賄供述が、「ヤミ司法取引」による虚偽供述である疑いまで示唆するという、前代未聞の事態に至っている。

このような前代未聞の状況で迎える明日(7月15日)の藤井市長の勾留満期、検察は、「勾留のまま起訴」か「処分保留で釈放」かの判断を迫られることになる。後者の場合、不起訴の可能性が高まることは言うまでもない。

上記のような現状からすると、起訴・不起訴いずれの方向であっても、検察の判断は、「前代未聞」である。

もし、検察が、藤井市長を起訴するという判断をした場合、「証拠を無視した起訴」そのものであり、有罪の確信がある事件のみ起訴することで刑事司法の中核を担ってきた検察にとって「前代未聞の起訴」である。現職市長の収賄事件という極めて社会的影響の大きい重要事件について、検察がそのような判断を行ったとすれば、検察史上に禍根を残す暴挙といえよう。

贈賄供述と、それを一貫して否定する収賄側供述とが対立し、その場に同席した人物が、賄賂の授受がなかったことを公開の場で明確に証言し、それが映像として記録されているのであるから、常識で考えても、賄賂の授受の事実が認められないのは当然だ。贈賄供述がいかにもっともらしく作成されていても、同席者の証言が覆る余地がない以上、現金の授受が認定される余地はない。それを敢えて起訴するとすれば、「証拠を無視した起訴」であるが、そんなことは、検察実務の常識からはあり得ない。

万が一、この事件で贈賄供述をしている業者の供述に基づいて起訴が行われた場合には、弁護人としては、「賄賂授受の証拠が希薄」というだけでなく、「業者側がなぜ虚偽の贈賄供述をしたのか」という点に関して、「ヤミ司法取引」の疑いも含めて徹底的に追及していくことになるであろう。

法制審議会の刑事司法制度特別部会で、「捜査・公判協力型協議・合意制度」と称して、司法取引を容認する答申が出た直後でもあり、本件で、「ヤミ司法取引」による虚偽の贈賄供述が公判で問題とされることは、今後の司法取引をめぐる議論にも重要な影響を与えることになる。

常識的には、本件で藤井市長を起訴する余地はなく、「処分保留で釈放⇒不起訴」というのが当然の結論だと考えられる。しかし、警察が現職市長を逮捕した本件について、不起訴という判断を行うことは、検察にとって、別の前代未聞の事態を招くことになる。

地方自治体に重大な影響を及ぼす現職首長の逮捕については、慎重の上にも慎重な捜査と判断が求められる。警察としても、間違いなく起訴される見通しがなければ逮捕することはできない。この種の事件では、「事前相談」と称して、警察が検察に証拠関係等を説明し、「起訴の約束」をとりつけた上で逮捕するのが通例であり、本件でも、愛知県警は、名古屋地検の「起訴の約束」をとりつけた上で藤井市長を逮捕したはずだ。もし、名古屋地検が不起訴にした場合、愛知県警との関係では約束違反となり、今後の警察と検察との関係に大きな禍根を残すことになる。

過去に、現職市長が逮捕された事件で、検察が不起訴にしたというのは聞いたことがない。この種の事件で不起訴の判断をするとすれば、検察にとって、それはそれで、「前代未聞の事態」であることは間違いない。

本件では、藤井市長逮捕の時点での「起訴の約束」に関して、名古屋地検に重大な判断の誤りがあったと考えられるが、そのような場合でも、これまでの検察は、警察との「起訴の約束」を尊重して起訴し、公判で無理筋の有罪立証を試みることで、問題を先送りする場合が多かった。ここにも、「引き返せない構図」が存在していたのである。

しかし、検察は、大阪地検の証拠改ざん問題などの一連の不祥事を受け、検察改革の中で「引き返す勇気」を強調してきた経過がある。従来のような「引き返せない構図」にとらわれることは、もはや許されない。

大阪地検の村木厚子氏の事件では、FDデータという客観証拠と供述調書のストーリーが矛盾していることがわかったのに、主任検事が、それを上司に報告せずに起訴したうえ、そのFDデータの改ざんまで行い、公判段階で証拠の矛盾が明らかになっても、有罪立証を断念せず、有罪論告まで行った。そして、無罪判決後に、主任検事による証拠改ざんが発覚し、検察への信頼は地に堕ちた。

今回の事件は、特捜部による検察独自捜査ではないが、地方自治体の首長逮捕という社会的・政治的影響の大きさもあり、不起訴になった場合には、警察のみならず、逮捕を了承し、勾留請求を行った検察に対しても厳しい批判が予想される。警察送致事件であっても、検察にとって「引き返しにくい構図」の事件であることは間違いない。

しかも、この種の事件に関しては、逮捕と同時に、「逮捕=有罪」を前提に、逮捕された首長が社会的に「犯罪者」として扱われることで、「引き返しにくい構図」が生じることも否定し難い。逮捕後に夥しい数のマスコミの有罪視報道が垂れ流されたのがその典型であるし、自民党岐阜県連が逮捕当日に藤井市長を除名したのも、野党の国会議員がブログで藤井市長をこき下ろしたりしたのも、「警察が逮捕した以上、不起訴はあり得ない」という見込みによるものであろう。

そのような「逮捕=有罪」の社会的認識の中で、検察にとって、「引き返すこと」は一層困難になる。

明日の勾留満期には、「証拠を無視した起訴」という前代未聞の判断を行うか、「引き返す勇気」を持って、処分保留のまま釈放・不起訴という、前代未聞ではあるが、検察が行うべき「適切な判断」を行うのか、検察の意思決定が行われることになる。

その判断を行う名古屋地検の最高責任者が、長谷川充弘検事正である。

彼は、一連の検察不祥事に際して、最高検察庁検事として、極めて重要な役割を担った。大阪地検の証拠改ざん事件では、大坪元特捜部長、佐賀元特捜部副部長の犯人隠避事件の主任検察官として、両名を犯人隠避罪で起訴した。特捜部長・副部長が、「主任検事の証拠改ざんを認識しながら、引き返さなかった」ことについて、容赦なく断罪した長谷川検事が、名古屋地検検事正として、まさに「引き返す勇気」が求められている今回の事件に、どのような判断を下すのだろうか。

警察の逮捕を了承し、勾留請求を行い、ここまで勾留を続けてきたことの非を潔く認め、「引き返せる検察」を世の中に示してくれることを期待したい。

明日の勾留満期を控え、本日夜、美濃加茂市では、本件に関心を持つ市民が参加する集会が開かれ、弁護人の私も参加する(「郷原信郎弁護士とともに藤井市長事件を考える会」ニコ生中継 )。

最高裁への特別抗告に際して、2日間で1万5000人を超える市民(人口5万5000人)が早期釈放を求める署名を行った。藤井市長の潔白を信じる多くの市民とともに、検察が、「引き返す勇気」を持ち、"前代未聞"の現職市長釈放の決断を行うのを待ちたいと思う。しかし、一方で、従来の「引き返せない構図」に引きずられ、「証拠を無視した起訴」という"前代未聞の暴挙"を行う可能性があることも十分に認識し、今後の戦いにも備えなければならない。

(2014年7月14日「郷原信郎が斬る」より転載)