「私に敵はいない」劉暁波を最後まで「敵」とした中国共産党--野嶋剛

劉暁波氏が海外で治療を受けることを望んでいること自体、最初は意外に感じられた。だが、次第にその本意が明らかになってきた。

中国の民主活動家、劉暁波氏が7月13日亡くなった。末期の肝臓ガンが全身に転移した末の多臓器不全が原因で、享年61。病死ではあるものの、自ら述べているように「文字(もんじ)の獄」(中国の歴代王朝で、王朝批判の言論や出版を弾圧してきたこと)による非業の死であった。

死去の情報が流れたのが13日夜。その途端、中国のSNSアプリ『微信(ウィーチャット)』の「朋友圏(モーメンツ=フェイスブックのタイムラインに相当)」には、ロウソクや献花の写真が続々と流れた。劉氏の写真や過去の発言を投稿する者もいたが、一部は削除されていた。中国版『ツイッター』ではしばらく前から「劉暁波」の名前を打ち込んでも検索できないようになっている。

国家の建前に固執した中国

劉氏の病状が発覚したのは6月26日だった。それから半月ほど、中国当局が「自分たちはちゃんと治療している」とアピールするための情報操作を試みれば試みるほど、その姑息な本音が見透かされ、裏目に出た形になって批判の声が世界に広がり、中国の国際的な名声は損なわれていく状況だった。

私にとっては、劉氏が海外で治療を受けることを望んでいること自体、最初は意外に感じられた。「自由のある国で死にたい」という劉氏の言い分が伝えられたが、これまで海外に永住する機会が何度もありながら、「中国に残ってこそ中国を変えられる」と述べてきた劉氏らしくなかったからだ。

だが、次第にその本意が明らかになってきた。軟禁状態に置かれている妻の劉霞さんへの思いやりだったようだ。劉氏の逮捕後、精神的に不安定になり、体調を崩した劉霞さんを自分の出国と一緒に海外に連れ出し、救おうとしたのだったが、その思いも習近平指導部には届かなかった。劉霞さんら家族の消息は、劉氏の死後、まだ伝わってきていない。

非暴力を訴えた劉氏は病床でも穏やかな表情を最後まで浮かべ、誰も批判しようとしなかった。劉氏が裁判中の弁論として語り、ノーベル賞授賞式でも代読された名文「私に敵はいない」という主張を貫いた。しかし、最後まで中国共産党は劉氏を敵とみなした。

病状が定期検査で判明したのは5月末だとされる。その後素早く国外に移送する決断ができていれば、このような事態にはならなかったのだろう。批判の拡散を恐れて出国させることを決断できず、「内政問題である」という国家の建前に固執した中国の対応は「文字の獄」の悲劇性を際立たせ、長い目でみて中国の名声を大きく損なう判断だった。

せめて最後の瞬間だけでも劉氏の希望を叶える温情が見られたなら、共産党政権に対するイメージもだいぶ変わっていたはずだ。

若い頃から中国の言葉を学び、その歴史や文化に敬意を抱いてきた1人の人間としても、この結末には強い虚しさを感じる。

予めダメージコントロールを計算

劉氏は天安門事件で学生を支援したことで逮捕され、その後も民主化を求める言動のために労働教育処分を3度受けた。2008年に共産党1党支配の放棄を求めるなど中国の政治改革を求めた「08憲章」起草の中心人物となり、国家政権を転覆しようとした罪で逮捕され、2009年に懲役11年の有罪判決を受け、遼寧省の錦州刑務所で服役してきた。

5月23日に診断され、6月7日に瀋陽の中国医科大学第一付属医院に送られた。そのことが刑務所から公表されたのは6月26日だった。

診断から公表まで1カ月以上の期間をかけていることから、中国側が劉氏の問題について初めから周到に広報体制や対外説明のロジックを練り上げていたことをうかがわせる。

6月28日の公表と同時に、劉氏が服役中にいかに快適な生活を送っていたか、しっかりとした治療を受けていたかなどについて、当局で製作した3分間のビデオが流されたことからも、それは十分にうかがえる。

しかし、それでも国際社会の反発は大きかった。6月29日には、ノーベル賞受賞者154人が連名で劉暁波夫妻の国外治療を求める署名を発表。結果、7月5日には、劉氏に対する米国とドイツの医師による診察を受け入れることになった。

香港返還20周年に際して、習近平国家主席の香港訪問の前々日に劉氏の刑務所外治療のニュースを流し、7月7、8日にドイツで開かれたG20会議の間はソフトなスタンスを一貫して見せ、対中非難が集中しないように細心の注意を払った。こうした習近平氏が出席する国際社会でのイベントでのダメージコントロールを、中国は当初から計算に入れていた可能性が高い。

中国側の誘導尋問

劉氏の出国については、中国側は、法的な面からも容態の面からも応じられない考えを示した。外交部は会見で「内政問題だ」と繰り返し、中国の医療チームも「患者の運搬に安全上の不安がある」として応じなかった。

ドイツの医師に対して、中国側の医師が「ほかにもっといい治療法はありますか」と質問したところ、ドイツの医師が「我々も特にほかの治療方法がない。あなたたちはよくやっている」と回答をしていることをビデオに撮影して公開までした。ビデオ撮影をしないように求めていたドイツ側は驚愕し、すぐさま中国の対応を批判する異例の声明を出した。

実際のところ、すでに転移を重ねて腹水がたまり始めた末期ガンの患者に対する治療法は、緩和ケア以外には手の打ちようがない。これは中国側の誘導尋問に欧米の医師が引っ掛けられた、と見るべきだろう。

劉氏にとって、出国先の第1希望はドイツ、米国でも構わないという意向だったらしい。すでにドイツ、米国両国政府は受け入れについて同意を示していたが、中国は「下不了台」(メンツにこだわって降りられない)のまま、最後の貴重な時間を浪費してしまった。

欧米だけではなく、香港では、民主派が釈放を求めて座り込みを始め、台湾の蔡英文総統も中国政府を譴責した。早すぎる死によって劉氏は「殉教者」となり、「私に敵はいない」という歴史的な名言とともに、その不屈の精神は今後も語り続けられるだろう。

本人は生前、自分を「文字の獄」の最後の犠牲者にしてほしい、と述べていた。しかし、現在、民主化への呼びかけや政府に批判的な姿勢をとったために投獄されている弁護士や言論人は数多く残されており、最後の犠牲者に劉氏がなるとは思えないところが、劉氏の死の悲しさを倍加させる気持ちになる。

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野嶋剛

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2017年7月14日「フォーサイト」より転載)