「明治日本の産業革命遺産」これが世界遺産になる全23施設だ(画像集)

「明治日本の産業革命遺産」が7月5日、世界文化遺産に指定されることが決定した。「軍艦島」の通称で知られる長崎県端島など有名な物もあるが、中にはあまり知られていないものも。スライドショーで一挙に紹介しよう。
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明治日本の産業革命遺産」が7月5日、世界文化遺産に指定されることが決定した。西洋で起きた産業化が非西洋国家の日本に伝わり、初めて成功した例として歴史的な価値が認められた全国23の施設が該当している。「軍艦島」の通称で知られる長崎県端島など有名なものもあるが、中にはあまり知られていないものも。スライドショーで一挙に紹介しよう。

明治日本の産業革命遺産
八幡製鉄所(01 of23)
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福岡県北九州市。官営八幡製鐵所創業2年前の1899年に竣工した初代本事務所は、中央にドームを持つ左右対称形の赤レンガ建造物で、長官室や技監室、外国人顧問技師室などが置かれた。 (credit:時事通信社)
遠賀川水源地ポンプ室(02 of23)
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福岡県中間市。遠賀川の河口から約10キロにある八幡製鐵所の取水・送水施設。官営製鐵所第一期拡張工事に伴う工場用水不足を補うため、1910年に操業を開始した。明治建築の典型的なレンガ建造物。動力は蒸気から電気に変わったが、現在も稼働中。 (credit:Wikimedia)
旧グラバー住宅(03 of23)
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長崎市。近代技術の導入を通じて日本の近代化に尽力した、貿易商のトーマス・ブレーク・グラバーが住んでいた日本最古の木造洋風建築。 (credit:時事通信社)
三菱長崎造船所 占勝閣(04 of23)
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長崎市。造船業形成期の三菱合資会社時代に、占勝閣は、第三船渠を見下ろす丘上に建設された木造二階建洋館。現在もほぼ創建当時の姿で迎賓館として、進水式・引渡式の祝賀会、貴賓の接待等に使用している。 (credit:時事通信社)
三菱長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン(05 of23)
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長崎市。三菱合資会社の時代に、造船所の工場設備電化に伴い日本で初めて建設された電動クレーン。英国アップルビー社製造。大型舶用装備品の吊り上げ荷重に耐え、電動モーターで駆動され、当時としては最新式だった。\n\n1909年に造船所の機械工場付近の飽の浦岸壁に、タービンやボイラなど大型機械の船舶への搭載と陸揚げのため建設した。現在も、機械工場で製造した蒸気タービンや大型舶用プロペラの船積み用に使用している。 (credit:時事通信社)
三菱長崎造船所 旧木型場(06 of23)
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長崎市。三菱合資会社時代の木型場。1898年に鋳物製品の需要増大に対応して建設された。工場建物は木骨煉瓦造二階建てで、鋳型製造のための木型を製作した。\n\n1985年、史料館として改装され、長崎造船所の歴史を紹介する展示施設として一般公開されている。 (credit:時事通信社)
三菱長崎造船所 第三船渠(07 of23)
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長崎市。1901年から1905年にかけて三菱合資会社時代に築渠した大型船舶修理用乾船渠(ドライドック)。背後の崖を切り崩し、前面の海を埋立て拡大した。開渠時に設置された英国シーメンス社製の電動機で駆動される排水ポンプは100年後の今も稼働し、ドライドックの機能を維持している。\n\n写真は、1928年当時の第三船渠と建造中の日本海軍軍艦「羽黒」。 (credit:Wikimedia)
小菅修船場跡(08 of23)
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長崎市。現存する日本最初の蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を装備した洋式船架。1869年に、長崎港において、薩摩藩とスコットランド出身の商人トーマス・グラバーの協力の下、建設された船舶修理施設で、明治政府が買収し、1887年に三菱の所有となった。 (credit:時事通信社)
端島炭坑(軍艦島)(09 of23)
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長崎市の沖合に浮かぶ端島(はしま)は、軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」の愛称を持つ。明治中期以降に採炭事業が本格的に開始。1890年からは三菱の所有となり、明治後期の高島炭鉱(高島、端島による海洋炭鉱群)の主力坑となった。高品位炭を産出し、国内外の石炭需要を賄った。 (credit:安藤健二)
高島炭坑(10 of23)
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長崎市。幕末から明治にかけて、西洋の機械が使えるようになると,石炭の需要が大きくなり、長崎沖の洋上の高島において、佐賀藩がスコットランド出身の商人トーマス・グラバーとともに、海洋炭鉱を開発した。 (credit:時事通信社)
三池炭鉱、三池港(11 of23)
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福岡県大牟田市にあある宮原坑は、三井買収後に初めて開削された明治期から昭和初期にかけての三池炭鉱の主力坑口。炭鉱は閉山し、産業活動は営まれていないが、第二竪坑櫓と巻揚機室等が残る。 (credit:Wikimedia)
三角西(旧)港(12 of23)
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熊本県宇城市。オランダ人のムルドルが設計し、国庫補助を得て建設された港で、日本の明治三大築港の一つ。\n\n三池港が開港するまでの一時期、三池炭は三角西港を経由して、海外に輸出された。現在も、関連施設の遺構と築港当時の景観がよく残っており、当時の土地利用が想起される。 (credit:Wikimedia)
旧集成館(13 of23)
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鹿児島市。幕末、欧米列強に対抗するため、薩摩藩主・島津斉彬は集成館事業を始めた。反射炉への挑戦と試行錯誤を物語る残存遺構が保存されている。\n\nその中でも、旧鹿児島紡績所技師館(写真)は、イギリス人技術者の宿舎として建設された洋館で、洋風の外観ながら、柱には尺寸法が用いられたほか、屋根裏小屋組が和式であるなど、和洋折衷となっている。 (credit:時事通信社)
関吉の疎水溝(14 of23)
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鹿児島市。集成館事業の動力源とする水を供給した疎水溝の遺構が遺跡として保存されている。 (credit:時事通信社)
寺山炭窯跡(15 of23)
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鹿児島市。集成館事業に用いる燃料の木炭を\n製造した炭窯の跡が遺跡として保存されている。 (credit:時事通信社)
三重津海軍所跡(16 of23)
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佐賀市。幕末、海防の必要性から、佐賀藩は、三重津海軍所を整備した。その遺跡が発掘調査により確認され、保存されている。 (credit:時事通信社)
韮山反射炉(17 of23)
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静岡県伊豆の国市。欧米列強に対抗する海防用の大砲鋳造のため、西洋技術の情報を得て、日本の伝統的な施工技術を用い、独力で建設された。日本国内に現存している当時の反射炉としては、最も完全な形で保存されている。 (credit:時事通信社)
橋野鉄鉱山・高炉跡(18 of23)
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岩手県釜石市にある日本に現存する最古の洋式高炉跡。釜石は、当時、日本国内で鉄鉱石が採掘された限られた場所であり、この地において、採掘された鉄鉱石を用い、高炉による製鉄が日本国内で初めて成功した。 (credit:Wikimedia)
萩反射炉(19 of23)
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山口県萩市。反射炉に用いる煙突部分の構造物は、海防上の重要拠点を統治した長州藩が、西洋技術の情報をもとに、独力で、反射炉建設に挑戦した価値ある試行錯誤を物語っている。 (credit:時事通信社)
恵美須ケ鼻造船所跡(20 of23)
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山口県萩市。海防上の重要拠点を統治した長州藩は、萩において海防用の船を建造し、西洋技術に学ぼうとした。1856年に「丙辰丸」、1860年に「庚申丸」が建造されている。 (credit:時事通信社)
大板山たたら製鉄遺跡(21 of23)
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山口県萩市。日本の伝統的なたたら製鉄により、恵美須ヶ鼻造船所に木造帆船の船釘などを供給した施設の跡が遺跡として保存されている。 (credit:Wikimedia)
松下村塾(22 of23)
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山口県萩市。日本の近代化の思想的な原点となった遺産の一つ。特に、海防の必要性と、西洋に学び、産業、技術の獲得を重視する考え方が、長州ファイブや塾生に引き継がれ、後に、明治政府の政策に活かされ、日本の急速な産業化に貢献した。 (credit:時事通信社)
萩城下町(23 of23)
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山口県萩市。西洋技術の導入に挑戦し、産業文化形成の地となった長州藩及び萩の地域社会全体の特徴と本質を示す遺産。 (credit:Wikimedia)
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