わが子を手放す母親に「母性」はないのか。作家・辻村深月さんが『朝が来る』で伝えたかったこと

「圧倒的な現実の力を借りて書いた」と語る辻村さんに話を聞いた。
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どんなにお金と時間を費やしても子どもが授からなかった夫婦がいる一方で、予想外の望まない妊娠で産んだ子を手放す親もいる――。こう聞くと、前者の気持ちは理解できるが、後者には感情移入できない、むしろ許せないという意見を持つ人もいるかもしれない。

直木賞作家・辻村深月(つじむら・みづき)さんの最新長編『朝が来る』は、特別養子縁組という縁でつながったふたりの母親の葛藤を描いた物語だ。2016年の本屋大賞にノミネートされるなど話題を呼んでいる。

4歳と0歳の子の母でもある辻村さんが、血のつながらない家族の物語で描きたかったことは? 「圧倒的な現実の力を借りて書いた」と語る辻村さんに、前編に続いて話を聞いた。

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■わが子を手放す母も、刹那の気持ちに嘘はない

――『朝が来る』の前半では養子である朝斗が栗原夫妻のもとで「普通の子」として育っている日常、後半では朝斗を産んだひかりの人生にスポットが当てられます。ひかりは、自分が産んだ子を手放すという行為だけを見れば無責任な母親に思えますが、中学生だった彼女もまた深く傷ついていました。

ひかりは何か特殊な事情があるというのではなく、ごく普通の子を描こう、というのが第一でした。ひとつひとつの感情には嘘や嫌みがないというところを大事にしたかった。特に非行に走っているというわけではない、進学校に通うような本当に普通の女の子が夏休みのあいだに出産して、また2学期には学校に戻る、というようなケースも実際あるそうなんです。

「わが子を養子に出すなんて無責任」と捉えられがちですけれど、やっぱりそれぞれに事情がある。10代のひかりが「育てられない」という気持ちも本当だし、「一緒にいたい」という気持ちにも嘘じゃない。だけど「じゃあ一緒にいていいよ」と言われたらやっぱり困ってしまう。刹那刹那の感情には嘘がないけれども、総合的に見るとどうしていいかわからない。そういう状況に追いつめられてしまった女の子です。

実親さん側にどんな事情があったとしても、「この子を生んでくれたお母さんのことは誰にも悪く言わせたくない」という気持ちでお子さんを育てている養親さんたちがたくさんいらっしゃる、ということを取材を通じて知って。そのことを描きたいと思いました。

■ふたりの母親の「母性」、ふたつの家族

――朝斗を家族に迎えたことで栗原夫妻が長いトンネルから抜け出せたのとは対称的に、ひかりは朝斗を妊娠・出産したことによって暗いトンネルに迷い込んでしまいます。

ひかりは「ちゃんとした家の子」なんだけれども、地元に戻ったひかりをケアしてくれる大人がいなかったことで、出産を通じて圧倒的に大人になってしまっているのに、子ども扱いして彼女の気持ちを尊重してくれない周囲からどんどん乖離してしまう。彼女の中にも「母性」はあるのに、子どもがいないから納得のいかない現実のなかで、母性だけが宙に浮いてしまっているような状態になってしまいます。

対して、養親になった佐都子は出産という経験はしていなくても、「朝斗を産んでくれた大事なお母さんだから」という気持ちから、生みの母親であるひかりごと受け止めて母親になっていく。

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生みの母であるひかりと育ての母である佐都子の対比の物語でもありますが、と同時に血のつながりは絶対だということに甘えて娘を許せないひかりの母親と、血がつながらないからこそつながっていこうとする佐都子の対比の物語としても描きました。

――書いていく中で血のつながりに対する認識や家族観に変化はありましたか?

もうすごく大きく変わりました。今までの自分は「家族って血のつながりとか、そういうことだけではないんじゃないか」という事実と闘いながら小説を書いていた気がするんですね。やっぱり「血がつながっているからこの子を信じる」ではなくて、「どういう風に育ててどういう時間を積み重ねてきたからこそ、この子を信じられるのか」が大事なんじゃないかな、とより強く思うようになりました。

そう考えると、やっぱりこれからは旧来の家族のかたちもどんどん変わっていくんだろうな、と思っています。特別養子縁組で血がつながらない子を引き取ることも、今よりもっともっと増えていくのではないでしょうか。

■「目の前にある圧倒的な誰かの現実」を借りて書いた気がします

――子を授かること、子を授からないこと。血がつながらないからこそ積み上げた努力、血がつながっているからこその甘え。フィクションだとわかっていても“自分ごと”としてグッと引き寄せて語りたくなる、とても力強い物語だと感じました。

他の作品ではそんなことはあまりないんですけど、『朝が来る』の感想をもらうと、なぜか皆さん自分の話をしてくださることがすごく多いんです。「夫が養子だった」とか「知人が特別養子縁組の子を育てている」とか、他にもたくさんいろんなことを打ち明けてくださって。

先日、古くからの友人が、「実はうちの子、高度不妊治療で授かったんだよね。こういう話をすると聞く側を困らせてしまうと思って遠慮してたけど、あなたがこういうテーマで小説を書いていたから、ちょっと甘えて話しちゃった」と打ち明けてくれたんです。

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その言葉を聞いたときに、今回の小説は自分だけの力で書いたんじゃない、ということをとても強く実感しました。目の前にある圧倒的な誰かの現実というものの力を借りて書いた、という気がすごくしています。その人たちが気持ちを託してくれてから、現実を映し出せた。だからこそ皆さんの中で「お話の中の出来事」としてとどまらないのかもしれません。

私は今まで使命感みたいなもので小説を書いたことはないですし、今回もそれはそうなんですけど、この特別養子縁組というテーマを誰よりも先にフィクションで扱わせてもらった以上は無責任なものにはしたくなかった。そういう意味では、テーマが私を書き手として指名してくれたのかもしれない、とも感じています。書かせてもらえたことに心から感謝しています。

(取材・文 阿部花恵

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