不妊治療を経験した夫婦の夜が明けるとき。 作家・辻村深月さんが『朝が来る』で描いた家族のかたち

子どもを引き取った育ての母と、わが子を手放した生みの母。「特別養子縁組」という縁で繋がったふたりの母親の物語。

子どもを引き取った育ての母と、わが子を手放した生みの母。

直木賞作家・辻村深月(つじむら・みづき)さんの最新長編『朝が来る』は、「特別養子縁組」という縁で繋がったふたりの母親の物語だ。2015年6月の刊行以来、版を重ねている。2016年の本屋大賞にノミネートされるなど話題を呼んでいる。

血のつながりがなくても親子になれるのか? 辻村さんが描きたかった“家族のかたち”とは? 現在、自身も4歳と0歳の子を育児中の母である辻村さんに話を聞いた。

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■生みの母と育ての母は、ライバル関係ではなかった

――『朝が来る』で、特別養子縁組をテーマにされたきっかけは?

一人目の育児も落ち着いてきたタイミングで、また連載がお受けできるかなというときに、いろんなお仕事先から「好きなものを書いてください」と声をかけていただいたんですね。そんな中で、別冊文藝春秋の編集者だけが、「子どもが欲しい夫婦が不妊治療をする話を辻村さんに書いてほしい」と言ってくれたんです。

ちょうどNHKで卵子の老化についてとりあげた番組がきっかけで、女性誌でも不妊治療の特集がたくさん組まれるようになった時期で。いつかそういう話を書くこともあるかもしれない、というのは自分でも漠然と感じていた。そこまでは想像できていたんですが、初回の打ち合わせで「不妊治療を経て養子をもらう特別養子縁組の話を」と言われてびっくりしました。養子という発想はまったく自分の中になかったんです。

――「特別養子縁組」は、6歳未満の子どもを生みの親の同意を持って、養親(育ての親)との法律上の親子関係を結ぶ制度ですが、それまで「養子をもらう」ことについてはどんなイメージがありましたか。

多分、多くの人が抱いているのと同じようなイメージだと思います。偏見を持っているつもりも先入観を持っているつもりもない……と自分では思っていたんです。でも資料を読んでいくうちに、「私も先入観だらけだったんだ」と気付かされました。

――どんな先入観が?

たとえば、養子をもらったことは周囲に隠すことで、その子が20歳くらいになったら『話がある』と告白するんじゃないか、といったステレオタイプなイメージがあったんですね。でもいろんなドキュメンタリー番組や本を見ると、物心つく前から「あなたにはもうひとりのお母さんがいるんだよ」と育てられている子がたくさんいて。近所の人や幼稚園の先生も、その子が養子だということを知っている。それが最初の驚きでした。

もうひとつ衝撃だったのは、生みの親と育ての親は「どちらが本当の母か」というライバルのような関係で、育ての親なら血のつながりへの嫉妬のようなものを当然抱いているだろうと勝手に思い込んでいたこと。

もちろん複雑な思いを抱えている方々もいらっしゃるとは思うんですけど、取材をしていくに従って「生みのお母さんのおかげでこの子に出会えた」「実親さんがこの世に生まれてきてくれたことにも感謝している」という声をたくさん耳にしました。

――当事者以外は、なかなか知り得ない実状がたくさんありますね。

そういった資料を読み込んでいくに従って「まだ誰もこの題材を小説に書いていないのなら、私に絶対に書かせてほしい」という気持ちになったんです。

けれども特別養子縁組はこういう制度であり、こういったメリットがあるということをどれだけ言葉に束ねても、わが子となった赤ちゃんを抱いている養親の人たち、「幸せになるように」と送り出しているお母さんたちの姿、実際に見るその姿以上にはどんな説明もかなわない。

そういった現実を小説でどう描けるかと考えたら、ひとつの圧倒的に強いストーリーを用意して、読者に共感してもらうしかない、と。それが執筆のきっかけになりました。

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■不妊治療という長いトンネルを抜けて出会った「光」

――物語は最初、息子の朝斗とその母親・佐都子の栗原家にスポットが当たりますが、タイトルとも重なる「朝斗」の名前はどう決まったのでしょう。

不妊治療について調べれば調べるほど、長いトンネルのような感じなんだろうな、という印象を受けました。トンネルの先はどんどん細くはなっていくけれど、どこまでも長く続いていて終わりが見えない。妊娠できる可能性がどんなに低くても、「もう無理です」「妊娠はできません」とは誰も言ってくれない。もちろん誰もそんなこと言う権利もないのですが。

35歳を過ぎたら妊娠しづらくなるといわれてますけど、その数字も一般論でしかない。30代前半なら絶対に大丈夫というわけでもないし、20代でも妊娠できづらい人もいる。個人差の問題ですよね。

そういう状況の中で子どもを諦めた夫婦が、その後に血のつながらない子を育てるという決断をし、実際に子どもをその手に抱いたら、それはきっと、長いトンネルから抜けて光のある場所に出たような、夜が明けて朝が来たような思いになるのではないかと。そこから「朝斗」という名前が浮かびました。

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――親たちの思いを、子供の名前につけたんですね。

今って「子育てはいいことばかりじゃない」という情報がすごく増えていますよね。私も出産する前までは、マイナスの想像しかできなかったんです。「しばらくは夜寝られないらしい」「虐待したいと思う瞬間が訪れるに違いない」「子育てじゃなく孤育てでしょ?」とか(笑)、そんな悪い想像ばかり巡らせていた。

でもいざ子育てが始まってみたら「え、楽しいんだけど?」ってびっくりしたんです。親がこんな楽しい思いをしていたなんて知らなかった。まだ上の子が思春期前の4歳で余裕があるから言えるのかもしれないですけど、「育てていて、楽しい」ということはちゃんと子どもにも周りにも伝えたいな、と思ったんですね。

もちろん育児中のお母さんの心身をケアする流れは大事なことだと思っています。でも育児の大変さばかりが強調されて、本当は楽しいものだということがないものにされているのは、本末転倒になっている気がしてしまうんです。

■血のつながりがないから、育まれる絆もきっとある

――第1章は幼稚園でのトラブルを通じて、佐都子と朝斗が深く信頼しあっている姿が描かれています。

この小説では「新しい家族のかたち」について書こうと思ったんです。これまでに母娘関係や家族をテーマにした作品をたくさん書いてきた中で、血のつながりがあるからこその甘えもすごくあると感じていたので。

血のつながりで結びつくもの、守られるものもきっとあるけれど、「実の親子なんだからわかるでしょ」とあぐらをかいてうまくいかなくなってしまう部分もあると思うんですね。

でも私が取材で見た養親さんたちは、血がつながらないからこそ、気持ちを言葉でちゃんと補いあいながら全力で子育てをしていた。そのお母さんたちのそのままの姿が伝わるように、と思いながら書きました。

そうはいっても特別養子縁組についての作家の気持ち、「こうなってほしい」という思いを読者に押し付けるものだけにはしたくなかった。いろんな立場や考え方の読者がいる中で、それでもプロパガンダする形ではなく、小説としてできることを探していこう、と。どういう風に捉えるかは読者それぞれに任せようと思いながら、送り出したところはあります。

(後編につづく)

(取材・文 阿部花恵

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