最初に私の生い立ちから30代までのお話しをします。わたしは福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)で生まれました。舛添の家は江戸時代から地元の庄屋として続く家系です。私の父、舛添弥次郎は、戦前から炭鉱経営に取り組んでいました。
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最初に私の生い立ちから30代までのお話しをします。わたしは福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)で生まれました。舛添の家は江戸時代から地元の庄屋として続く家系です。私の父、舛添弥次郎は、戦前から炭鉱経営に取り組んでいました。石炭の未来を信じた父から生まれた私はいわば、「石炭の子」です。1960年代になって、石炭から石油へと、日本のエネルギーの転換が進むにつれて、九州の炭鉱も次々と閉山。筑豊のヤマの繁栄と没落は、私の父の生涯とオーバーラップし、日本の近代産業の歩みそのものです。

父は、私が中学2年生のときに亡くなりました。残された母は、苦労しながら女手一つで5人のきょうだいを育ててくれました。当時は、「一日も早く貧しさからぬけ出したい」と、裸電球の下で本を読み勉強をしていました。「奨学金制度があるから高校進学を諦めるな」と教えてくれる恩人がいたり、高校の先生が、わずかな謝礼で補習授業をしてくれるなど、私を大学に送り出そうとする周囲の応援がありがたかったです。

周囲のみなさまのおかげで、わたしは昭和42年に東京大学文科一類に入学しました。私が大学で専攻したのは政治学です。卒業後2年間、東大の助手として働きました。学者になる道のりは険しく、破天荒だったかもしれません。パリ大学の指導教官に、今から考えるとつたないフランス語で手紙を書きました。半ばあきらめかけていた時、パリ大学の研究員の職を得ることができました。わたしが24歳の時です。

欧州の留学時代、昭和48年から50年にかけてパリ大学現代国際関係史研究所の客員研究員として働き、昭和51年から53年にはジュネーブ国際関係史研究所で国際連盟の歴史的な研究にとりくみました。欧州はほとんど国境があってなきが如しです。研究者の中には、10カ国ものの言葉ができる人もいました。私も頑張って英・独・仏・伊・露の6カ国語までチャレンジしました。欧州留学時代、様々な言語と文化を通じて、私はさまざまな価値観を許容することを学びました。さらに、母国日本の長所と短所を知るとてもよい機会となったのです。

昭和54年に帰国して東京大学教養学部の助教授となり、欧州の比較政治を研究テーマとして10年間教鞭をとりました。その頃、討論番組「朝まで生テレビ!」に出演し、また政治家や産業界の方々と意見を交わすなかで、大学がいかに閉ざされた世界であるのかを痛感しました。大学の教授は、終身雇用ではなく任期制にすべきだ。また産学連携を大学から進めなけれならない。私は、村上泰亮先生や西部邁先生のグループと大学改革を進めようとしたのですが、大勢の受け入れるところとならず、平成元年に意を決して、東京大学に辞表を提出しました。

連載第2回:舛添要一が語る「政治家としての舛添要一」に続く

(2014年1月21日「ますぞえ要一公式ブログ」より転載)

舛添要一氏・画像集
参院予算委・質問に臨む舛添代表 (01 of11)
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参院予算委員会で質問席に向かう新党改革の舛添要一代表(右)。手前は自民党の片山さつき氏(東京・国会内) \n\n撮影日:2011年04月25日 (credit:時事通信社)
▽舛添要一 マスゾエヨウイチ(02 of11)
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第21回参議院議員選挙立候補者(自民、比例)\n撮影日2006年11月01日 (credit:時事通信社)
東京都知事選挙(03 of11)
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都知事選告示で野末陳平氏(後ろ)に紹介される舛添要一候補(東京・JR小岩駅前)\n撮影日1999年03月25日 (credit:時事通信社)
臨時国会・初登院の舛添参院議員(04 of11)
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初登院し、ガッツポーズする自民党の舛添要一参院議員(東京・国会前)\n撮影日2001年08月07日 (credit:時事通信社)
薬害C型肝炎・記者に囲まれる舛添厚労相(05 of11)
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薬害C型肝炎訴訟問題で、今後の対応について答える舛添要一厚生厚生労働相(中央)(東京・霞が関の厚生労働省)\n撮影日2007年12月20日 (credit:時事通信社)
薬害C型肝炎・頭を下げる舛添厚労相(06 of11)
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薬害C型肝炎訴訟についての記者会見の冒頭、頭を下げる舛添要一厚生労働相(東京・霞が関の厚生労働省)\n撮影日2007年12月20日 (credit:時事通信社)
新党改革の舛添代表(07 of11)
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ロゴを発表する新党改革の舛添要一代表(東京・国会内)\n撮影日2010年05月25日 (credit:時事通信社)
新党改革・記念撮影に応じる「新党改革」のメンバー(08 of11)
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新党旗揚げの記者会見で、記念撮影に応じる(左から)「新党改革」の小池正勝政調会長、荒井広幸幹事長、舛添要一代表、渡辺秀央最高顧問、矢野哲朗代表代行、山内俊夫事務総長(東京・千代田区)\n撮影日2010年04月23日 (credit:時事通信社)
衆院選・新党改革の舛添代表(09 of11)
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記者会見する新党改革の舛添要一代表=16日夜、東京都港区\n撮影日2012年12月16日 (credit:時事通信社)
都知事選/質問に答える舛添氏(10 of11)
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都知事選への正式立候補表明の記者会見で質問に答える舛添要一氏=14日午後、東京都新宿区の東京都庁\n撮影日:2014年01月14日 (credit:時事通信社)
都知事選/あいさつする舛添元厚労相 (11 of11)
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自民党の東京都連緊急支部長常任総務合同会議であいさつする舛添要一元厚生労働相=16日午後、東京・永田町の同党本部 \n撮影日:2014年01月16日 (credit:時事通信社)