「戦艦長門」沈没から70年 世界のビッグ7と讃えられた巨艦の姿(画像集)

「世界のビッグ7」と讃えられた旧日本海軍の戦艦「長門(ながと)」が沈没してから、7月29日で70年を迎える。
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1944年10月、ブルネイに停泊中の長門

「世界のビッグ7」と讃えられた旧日本海軍の戦艦「長門(ながと)」が沈没してから、7月29日で70年を迎える。

全長224m、排水量3万9130トン。1920年の完成当時としては世界最大の41cmの主砲を搭載していた。ワシントン軍縮条約の結果、同様の主砲を搭載したのは世界で7隻のみに限られたため、「世界のビッグ7」と呼ばれることになった。姉妹艦の「陸奥(むつ)」と交互に連合艦隊の旗艦を務めていた。

■「陸奥と長門は日本の誇り」

条約の失効後、より強力な46cm主砲を搭載した「大和」「武蔵」が完成したが、これらの艦は戦中は存在自体が秘密とされていた。そのため、長門は国民の間で「海軍最強の戦艦」として広く親しまれ、「陸奥と長門は日本の誇り」とカルタに記されるほどだった。

ただし太平洋戦争が勃発すると、すでに戦艦は時代遅れとなっていた。空母による航空戦力や潜水艦が攻撃の主体となっていたのだ。長門の活躍する場はなく、マリアナ沖海戦で対空射撃や、レイテ沖海戦で砲撃戦を行った程度だった。1945年の終戦時は損傷だらけではあったものの、旧日本海軍では唯一航行可能な戦艦として横須賀に停泊していた。以下は長門の画像集だ。

戦艦長門
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新造まもない1920年9月30日の海上公試のときの「長門」。 (credit:Wikimedia)
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新造時の長門を後方から見た写真。 (credit:Wikimedia)
新造時の長門(03 of17)
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新造時の長門 (credit:Wikimedia)
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三段式甲板のときの空母「赤城」と並ぶ「長門」(下)。 (credit:Wikimedia)
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横須賀に停泊中の「長門」。改造を受けて第一煙突が湾曲している。(1927年10月) (credit:Wikimedia)
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太平洋戦争の開戦直前の「長門」。1936年の近代化改装によって、艦橋の姿などが変わった。 (credit:Wikimedia)
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主砲を放った戦艦長門(1936年) (credit:Wikimedia)
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1937年の「長門」。戦艦を動かすのに必要な人員の多さが伝わってくる写真。乗員数は1368人だった。 (credit:Wikimedia)
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開戦後、呉に停泊中の「長門」を背後から撮った写真(1942年8月) (credit:Wikimedia)
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1944年10月、ブルネイに停泊中の「長門」。奥に見えるのは「大和」と「武蔵」 (credit:Wikimedia)
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横須賀に停泊中の「長門」(1945年) (credit:Wikimedia)
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1945年に撮られた長門。 (credit:Wikimedia)
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終戦後の1946年の「長門」。終戦時に唯一生き残り、アメリカ軍に接収された。爆撃によって各部が損壊している。 (credit:Wikimedia)
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終戦によって米軍に接収される「長門」。米軍の輸送船が横付けされている。(1945年)\n\nThe United States transport \'USS Horace A. Bass\' (APD-124) moored alongside the \'Nagato\', a battleship of the Imperial Japanese Navy, at Yokosuka Naval Base at the end of World War II, 1945. (Photo by Keystone/Hulton Archive/Getty Images) (credit:Keystone via Getty Images)
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ビキニ環礁での7月25日の原爆実験の模様。きのご雲状になった瀑布の根本の左部分に「長門」がいる。 (credit:Wikimedia)
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ベイカー爆弾の水中爆発時の戦艦長門(1946年) (credit:Wikimedia)
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ビキニ環礁での長門を描いた水彩画 (credit:Wikimedia)

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■米軍の原爆実験の標的に

アメリカ軍に接収された長門は、1946年に南太平洋へと向かった。戦闘のためではなく、ビキニ環礁で行われる原爆実験「クロスロード作戦」の標的となるためだった。7月1日に投下されたエイブル爆弾には持ちこたえたが、7月25日にベイカー爆弾が投下されると、4日後の29日には沈没していた。

現在、長門は上下逆さとなった状態で、水深30mの海底に沈んでいる。現在はスキューバ・ダイビングの名所となっており、イギリス紙「タイムズ」が掲載した「世界の難破船ダイビング」のトップ10に選ばれている。ダイバーが撮影した長門の動画を紹介しよう。

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