「支持政党なし」のポスター、候補者の代わりに4枚ずらり。問題なし?

他の候補者からは「選管は機敏に対応すべき」などと指摘する声も出ているが、問題ないのだろうか。
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安藤健二

7月10日に投開票される参院選に「支持政党なし」という政党が参加しているが、都内各地にある参院選候補者用の掲示板になぜか、党名しか書かれていない選挙ポスターが4枚が一列に並んでいる。

他は全て候補者のポスターの中で異様な光景。他の候補者からは「選管は機敏に対応すべき」などと指摘する声も出ているが、問題ないのだろうか。

■「支持政党なし」とは?

「支持政党なし」は、佐野秀光氏を代表者とする政党。2014年の衆院選比例北海道ブロックで、社民党の約5万3千票を上回る約10万票を獲得したことが話題となった。今回の参院選では、佐野代表ら2人が比例代表全国区に立候補しているほか、北海道、東京、神奈川、大阪、熊本の4選挙区で候補を擁立している

比例区の投票用紙に「支持政党なし」もしくは「支持なし」と書くと、この政党の候補者が得票する。無党派の人が間違えて投票する可能性もあるが、総務省の担当者は「法律上の瑕疵はないと判断している」と話している

■「選管は機敏に対応すべき」との批判も

東京選挙区では「支持政党なし」から4人が出馬しているが、公営掲示板のポスターには、4人の候補者の姿はない。その代わりに「支持政党なし」と大きく書かれた政党ポスターが4枚ずらりと並んでいる。

このことについて、民進党から比例区で立候補している有田芳生氏は「選管は機敏に対応すべき」と6月28日に苦言を呈した

■都選管の返答は?

候補者名の全く入ってない政党ポスターというだけでも異例だが、4枚連続というのも不可思議だ。一般的に選挙ポスターの公営掲示板への掲載順は抽選で決まることが多い。それなのに4枚が連続して並んでいるからだ。

ハフポスト日本版は、東京都選挙管理委員会の担当者に電話取材したが、返ってきたのは意外な回答だった。

――政党名だけで候補者名が書かれてませんが、問題ないのでしょうか?

問題ありません。公職選挙法では、候補者の名前を書かなくてはいけないという規定がないからです。

――このようなケースは今までにもありましたか?

今まで見たことはないですね。選挙区で立候補している方は、候補者の名前を書いてもらわなければ当選できないので、非常に珍しいケースだと思います。

――掲示板のポスター掲載順は抽選で決まるのでは?

はい。公示日の午前8時半までに選管に来た候補者は、抽選で決まります。抽選が終わったあとに入ってきた候補者は、先着順に順番が決まります。今回は20人程度の候補者の抽選が終わった後に、『支持政党なし』の候補者の皆さんが一列でお見えになったので、4人が連続した順番となりました。

――ポスターを見て、その4人の方が候補者だと分かるんでしょうか?

全く分からないですね。

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(credit:時事通信社)
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(credit:時事通信社)
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(credit:時事通信社)
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4人目の当選者に笑顔でバラを付ける自由党の小沢一郎党首(東京・赤坂の同党本部) \n\n撮影日:1998年07月12日
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2000年、小沢一郎・自由党党首が自自公連立政権から離脱する動きを見せると、反対する国会議員が離党し「保守党」を結成。自民党と連立政権を組んだ。解党後「保守新党」結成を経て、2002年に主要議員は自民党に合流した。

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(credit:時事通信社)
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2005年の「郵政解散」で、郵政民営化反対を理由に公認を取り消された自民党議員と、田中康夫・長野県知事らが結成。2007年参院選以降は民主党と統一会派を組む。2012年に田中が衆院選で落選し議席を失う。

テレビ局の中継でインタビューに答える新党日本の田中康夫代表=16日夜、兵庫県尼崎市 \n\n撮影日:2012年12月16日\n
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2005年の「郵政解散」で、郵政民営化反対を理由に公認を取り消された自民党議員を中心に結成。2009年以降は民主党と連立政権を組む。2013年解散。

新党名「国民新党」を披露する右から亀井静香(元政調会長)、田村秀昭(参議院議員)、綿貫民輔(元衆院議長)、亀井久興(元国土庁長官)、長谷川憲正(参院議員)の各氏(東京・千代田区の憲政記念館) \n\n撮影日:2005年08月17日\n
(credit:時事通信社)
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自民党を離党した渡辺喜美を中心に2009年結成。自民でも民主でもない「第三極」の目玉となるが、第2次安倍政権へ接近する渡辺に反発する勢力が分裂。2014年解党。

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