ヤンキース不在の10月となることが確定しました。現地24日のオリオールズ戦に5対9で敗退し、数学的にプレーオフ進出の可能性が消え去ったのです。
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ST. PETERSBURG, FL - SEPTEMBER 16: Pitcher Masahiro Tanaka #19 of the New York Yankees and shortstop Derek Jeter #2 laugh together in the dugout before the start of a game against the Tampa Bay Rays on September 16, 2014 at Tropicana Field in St. Petersburg, Florida. (Photo by Brian Blanco/Getty Images)
Brian Blanco via Getty Images

ヤンキース不在の10月となることが確定しました。現地24日のオリオールズ戦に5対9で敗退し、数学的にプレーオフ進出の可能性が消え去ったのです。1994年にMLBが3地区制に移行してから今季は21シーズン目(初年度の94年は選手会ストライキでプレーオフは開催されず)ですが、ヤンキースが2年連続でポストシーズン進出を逃したのは初めてのことです。また、残4試合で地区優勝を決めているオリオールズには14.0ゲーム差となり、2年連続で首位から10ゲーム差以上離されることも決定しましたが、これは93年以来です。

こんな今季のヤンキースも、開幕時点では「悪の帝国」(03年に財力にあかせて補強を続けるヤンキースを、レッドソックスのラリー・ルキーノ球団社長がこう呼びました)でした。2014年に年俸総額をぜいたく税リセットとなる1億8900万ドル以下に抑えるために、12年オフはカーティス・グランダーソン(現メッツ)やニック・スウィッシャー(現インディアンス)らのFAとの再契約を見送りながら、13年オフにはそれまでの方針を大転換し、カルロス・ベルトラン、ジャコビー・エルズバリー、ブライアン・マッキャン、そして田中らの獲得に総額5億ドル近く費やしたのですから(現マリナーズのロビンソン・カノーとの再契約は見送りましたが)。

しかし、結果的には惨敗となり、「悪の帝国」と呼べるほどのヒール役すら務まりませんでした。率直に言って、今季のヤンキースの戦力はさほど魅力的ではありませんでした。故障するまでの田中将大以外には、MVP級の活躍を見せた選手はいません。イチローも最終的には過去3年同様にOPS6割台となりそうですし、デレック・ジーターも我々は感傷的な視線を送り続けましたが、その輝かしい経歴とは異なり40歳の今季においては、低出塁率でパワーに欠け守備範囲が絶望的に低い遊撃手であったのは否定しようがありません。

ヤンキース不在の10月を迎えることに対しては一抹の寂しさを禁じ得ないのですが、今年のポストシーズンに関しては、新顔となるロイヤルズ(またはマリナーズ?)の戦いぶりを楽しみにするべきなのでしょう。ジーターのプレーを今後永遠に見ることができないのは残念ですが、マイク・トラウト(エンジェルス)やクレイトン・カーショー(ドジャース)ら、これから先10年のMLBの10月を担うであろうスターのプレーに胸を踊らせたいと思います。

もっとも、ヤンキースが来季カムバックできるかどうかと言うと、決して楽観視できません。田中の復帰は肘が完治したからではなく、手術の要否を見極めるためのものです。それにより、来季のローテーション編成のためにこのオフに獲得しなければならない駒の数(とソロバン勘定)が変わってくるからです。また、野手陣も年齢的に今季からの上乗せを期待できそうな選手はいないと言って良いでしょう。マイナーから上がってきてベテラン勢を脅かしそうな存在の若手も皆無に近い状況です。

ヤンキースはオフには結局、野手ではビクター・マルティネス、投手ではマックス・シャーザー(ともにタイガース)らのFAを獲得するのでしょう。彼らは素晴らしい選手ですがともに30代、これからさらに成績を伸ばして行くステージにはありません。また、彼らの獲得により来季のドラフト上位指名権を返上することになり、弱体化しているマイナー組織の再建は一層遅れることが懸念されます。

ヤンキースは戦後において2度長期の低迷を経験しています。まずは64年のワールドシリーズでカージナルスに敗れた後で、76年にリーグ優勝するまでポストシーズンに進出できませんでした。原因は「覇者の驕り」。黒人選手の採用に遅れを取ったことと、スカウト網と育成システムの整備を怠り65年からのドラフト時代に対応できなかったことです。

この低迷からの脱出に大きく寄与したのは76年に導入されたFA制度でした。スター選手をカネで買えるようになったのです。当時のジョージ・スタインブレナー・オーナーは、レジー・ジャクソンらのFAを憑かれたように買い漁りチームを一気に強化したのです。しかし、そのような「取り敢えず買っておけ」的な補強策は弊害も呼びました。77年オフには、その年サイ・ヤング賞を獲得したリリーフエースのスパーキー・ライルを擁しながら戦力的には完全に被るリッチ・ゴッセージ(90年にはダイエーでプレー)を獲得し、80年オフにはお山の大将の代表格のジャクソンがいながらデーブ・ウィンフィールドを当時としては空前の10年総額2330万ドルの契約で迎え入れ、ジャクソンをキレさせました。また、FA獲得重視の編成は若手の芽を摘むこととなり、チームは再びポストシーズンから遠ざかります。それが解消したのは、育成とFA獲得のバランスが取れてきた90年代半ばになってからのことでした。そのころファームから育ってきたのがジーター、マリアーノ・リベラ、アンディ・ペティット、ホーヘイ・ポサーダの「コア・フォー」で、彼らとロジャー・クレメンスやポール・オニールらの外部からの血が融合し96年からの5年間で4度のワールドシリーズ制覇を成し遂げます。

歴史は繰り返すと言いますが、現在のヤンキースは長い低迷期に入る寸前の80年代初頭を思い起こさせるものがあります。ピュリッツァー賞作家のデイヴィッド・ハルバースタム(07年交通事故で死去)は、ヤンキース王朝崩壊へのターニングポイントとなった前述の64年ワールドシリーズを題材に、「さらばヤンキース」(原題はOctober1964)を94年に書きあげました。もちろん、今の段階でヤンキースに「さらば」と告げるのは早すぎるように思えますが。

豊浦 彰太郎

1963年福岡県生まれ。会社員兼MLBライター。物心ついたときからの野球ファンで、初めて生で観戦したのは小 学校1年生の時。巨人対西鉄のオープン戦で憧れの王貞治さんのホームランを観てゲーム終了後にサインを貰うという幸運を手にし、生涯の野球への愛を摺りこまれた。1971年のオリオールズ来日以来のメジャーリーグファンでもあり、2003年から6年間は、スカパー!MLBライブでコメンテーターも務めた。MLB専門誌の「SLUGGER」に寄稿中。有料メルマガ『Smoke'm Inside(内角球でケムに巻いてやれ!)』も配信中。Facebook:shotaro.toyora@facebook.com

(2014年9月25日J SPORTS「MLB nation」より転載)