ノーベル賞受賞を「異色」の経歴で終わらせないように

日本の大学の授業料は上がり続けています。「働きながら学びたい」と思っても、大変難しい状況になってきているのです。

ノーベル医学生理学賞に輝いた北里大学特別栄誉教授の大村智さんの経歴が話題となっています。

『山梨大を卒業し、都立墨田工業高校の夜間部で教員として勤めた。昼間の仕事を終え、真っ黒に汚れた手で勉強に励む教え子を見て「俺も頑張らないと」と一念発起、大学院に通って研究者を志した』(おめでとう、智おじさん)

このような話を美談、特別な出来事で済ませるのではなく社会に「仕組み」として残す必要があります。学びたいと思った人が、どのような立場でも、年齢でも学ぶことが出来る多様な教育の仕組みと、トップまで繋がるルートがあることが大切です。

大村さんは農家を継ぐはずが、「大学に行くか?」という父親からのチャンスをつかみ、次は自分で夜間大学院に通い、自分でスポンサーを探して企業から研究費を獲得し研究を継続しました。

農家として美味しい食べ物を作ったかもしれないし、高校の先生として素敵な人生を過ごしたかもしれません。人生は何が幸せかは分かりません。ただ、学ぶ場が適切に大村さんに用意されなければ、ノーベル賞はなかったでしょう。

言いたいことは農家も、高校の先生も、ノーベル賞も、地続きだということです。高校時代の目標が、将来の可能性を狭めてしまわないようにしなければ、ならないのです。

ノーベル賞受賞者の出身大学を見ると、山梨だけでなく、埼玉、徳島、神戸など旧帝国大学(旧帝)以外の大学も頑張っています。博士号は旧帝での取得割合が増えますが、学部で学問の基礎力、探究心が育まれなければ、ノーベル賞にはたどり着かなったでしょう。

地方大か旧帝か、国立か私立か、文系か理系かという問題ではなく、大事なことは学問の裾野を広げることにより、頂点を高くするのが大事ということを示しているのではないでしょうか。

周囲の大人は人の可能性を見つめ、チャンスを用意するのが役割です。最近は大学を役割別に分けようという議論もありますが、職業訓練を行なう大学では学問への基礎力、探究心は生まれないでしょうし、何より学生の可能性を信じてないように感じます。若者は、何者でもない、だから何者にでもなれる。

若い人にはチャンスを掴んでもらいたいと思います。繰り返しますがノーベル賞は別世界の話ではないのです。チャンスを活かし、次はつかむように努力することが若い人の仕事です。

チャンスは一度は誰もが与えられますが、その次は掴みに行く努力をしないといけません。ラグビーの日本代表は朝5時からタフな練習をしました。人のしていない努力をすれば、勝てないと言われていた相手にも勝てるのです。ですが、チャンスは一度つかんでからが本当の勝負です。南アフリカには勝ちましたが、スコットランドには負け、そこから立てなおしてサモアに勝利したラグビー日本代表は、素晴らしかったと思います。

いま、日本の大学は、学びたい時に学べる、知の基礎体力を養う場所ではなくなりつつあります。さらに、授業料は上がり続け、仕送りは下がっています。保護者が「大学に行かせたい」と思っても、本人が「働きながら学びたい」と思っても、大変難しい状況になってきているのです。現実は、異色のノーベル賞が出る可能性をひたすら小さくしていっているのです。

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教育は人の可能性にかけることが最大の役割です。チャンスを出来るだけ社会に広く用意することが大切です。

大学生の中には、厳しい授業やゼミに、「なぜこんなことをやるのか」「もっと楽に単位がほしい」と思っているかもしれません。教員は学生の可能性を信じているからこそ、高い目標を掲げて叱咤激励しているのです。

ですが教員は、チャレンジを促すことまでしか出来ません。それはもどかしいものですが、「扉を開く」のは自分自身です。何よりも大切なことは、本人が自分の可能性を信じることです。自分を信じなければ伸びていくことはありません。

今日も課題をやったり、どこかで残業をしたり、している私に関わった学生やOG・OBに。そして学生を信じ、日夜指導している先生方に、心を込めて。

秋晴れの多摩キャンパスにて。

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(2015年10月7日「ガ島通信」より転載)