南京大虐殺の映画をパーカーに 販売したアメリカの衣料品ブランドが謝罪

ノードストローム社は「今後、同種の商品が販売されないように工程を見直します」と発表している。

アメリカの大手衣料品ブランド「ノードストローム(Nordstrom)」が通販サイトで、旧日本軍による南京大虐殺をテーマにした映画のシーンとみられるプリントが施されたパーカーを販売していたとして、同社のFacebookなどに抗議が殺到し、取り下げる事態となっている。同社は11月13日までに謝罪し、販売を取りやめている。

このパーカーは、同社の「アンドレア・フーディー(Andrea Hoodie)」というブランドで発売されたものだった。黒いパーカーの背面全体にコラージュとみられる画像がプリントされていた。中国人とみられる人物が座らされ、傍には刀を振り下ろす軍人の姿が。人物の目線は赤い線で隠してあり、「何故無関心?」と赤い文字で書かれていた。

人民日報英語版によると、この画像は、中国で2009年に公開された、南京大虐殺をテーマにした映画『南京!南京!(City of Life and Death)』からとられたものだという。

ノードストローム社のFacebookには、消費者から「なぜこのような残虐なシーンをプリントするのか」「販売を取りやめるべきだ」「社員の教育を見直すべき」「中国人を傷つけるもの」などと多数の抗議が書き込まれており、同社の担当者が謝罪。

会社の見解であるとして、同社はFaebook上での返信の形で11月12日、「商品は直ちにウェブサイト上から削除しました。今後、同種の商品が販売されないように工程を見直します」と発表している。

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写真で振り返る第二次世界大戦
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1938年9月29日、ミュンヘン会談。左から英首相チェンバレン、仏首相ダラディエ、独総統ヒトラー、伊首相ムッソリーニ。チェコスロヴァキアのズデーテン地方の帰属を主張したヒトラーに対して、イギリスおよびフランスは「これ以上の領土要求を行わない」との約束をヒトラーと交わす代償として、ヒトラーの要求を全面的に認めた。
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ミュンヘン会談から帰国し、会見するチェンバレン英首相。戦争回避にわきたったが、のちにヒトラーはミュンヘン会談の内容を破棄。第二次世界大戦がはじまった。 (credit:Wikimedia)
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1939年、独ソ不可侵条約に署名するドイツのリッベントロップ外務大臣。後列最右はソ連の最高指導者ヨシフ・スターリン。 (credit:Wikimedia)
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1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まった。写真はポーランド及び自由都市ダンツィヒの国境検問所を取り壊すドイツ国防軍。 (credit:Wikimedia)
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1939年9月、ポーランド侵攻時のブィドゴシュチュ付近におけるドイツのI号戦車 (credit:Wikimedia)
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1939年、ドイツ及びソ連の東ヨーロッパにおける新領土併合後に握手する両国の将校 (credit:Wikimedia)
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バトル・オブ・ブリテン時のドイツ空軍のハインケル He111爆撃機 (credit:Wikimedia)
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1940年12月29日、ドイツによる「ザ・ブリッツ(ロンドン空襲)」後のロンドン (credit:Wikimedia)
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1941年8月、北アフリカ戦線、トブルク包囲戦の前線の塹壕を受け持つイギリス連邦軍のオーストラリアの部隊 (credit:Wikimedia)
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1941年12月、真珠湾攻撃。日本軍の空母「翔鶴」上の零式艦上戦闘機。 (credit:Wikimedia)
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1941年12月7日、日本軍による空からの奇襲に遭う米戦艦「アリゾナ」 (credit:Wikimedia)
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1942年12月10日、レニングラード包囲戦のドイツの爆撃による破損家屋を去るソ連の民間人 (credit:Wikimedia)
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ミッドウェー海戦。爆撃機による攻撃を受ける日本空母「飛龍」 (credit:Wikimedia)
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1942年、太平洋戦域のガダルカナル島の戦いにおけるアメリカ海兵隊 (credit:Wikimedia)
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1943年1月のカサブランカ会談。アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト大統領とイギリス首相ウィンストン・チャーチル (credit:Wikimedia)
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1943年2月、スターリングラード攻防戦で対独反撃に出るソ連軍。 (credit:Wikimedia)
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1943年10月9日、ドイツのフォッケウルフの工場に対するアメリカ第8空軍によるB-17の爆撃 (credit:Wikimedia)
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1943年8月のクルスクの戦い。ドイツの拠点への反撃に出るT-34に続くソ連軍 (credit:Wikimedia)
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1943年のカイロ会談。左から、中華民国の蒋介石総統、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相。連合国の対日方針などが定められた。 (credit:Wikimedia)
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1943年11月テヘラン会談。米英ソの首脳が初めて一堂に会した会談。ナチス・ドイツに対する第二戦線の形成で合意。フランスへの連合軍の上陸などが首脳間で調整され、ノルマンディー上陸作戦へと繋がった。 (credit:Wikimedia)
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1943年のギルバート・マーシャル諸島の戦いにて、米海軍のUSSワシントン及びUSSレキシントン上空を哨戒するSBDドーントレス (credit:Wikimedia)
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「大東亜会議」に参加した各国首脳陣 (credit:Wikimedia)
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1944年5月イタリア戦線。「モンテ・カッシーノの戦い」の舞台となったモンテ・カッシーノ修道院跡\n (credit:Wikimedia)
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1944年6月6日、D-デイのノルマンディー上陸作戦でオマハ・ビーチに接近するアメリカ軍 (credit:Wikimedia)
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1944年8月、ナチスの占領に対するパルチザンの暴動を鎮圧する任務を負うドイツのSS武装擲弾兵師団 (credit:Wikimedia)
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1944年、マリアナ沖海戦にて攻撃を受ける日本の空母「瑞鶴」及び2隻の駆逐艦 (credit:Wikimedia)
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1944年6月21日のサイパン・ガラパンにて、山砲で攻撃する海兵隊 (credit:Wikimedia)
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特別攻撃隊の2機に衝突され炎上するUSSバンカー・ヒル。沖縄では、4,900人のアメリカ人死亡者数を出した。 (credit:Wikimedia)
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1945年2月、ヤルタ会談にて、ウィンストン・チャーチル、フランクリン・ルーズベルト及びヨシフ・スターリン\n (credit:Wikimedia)
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1945年6月3日、連合国による占拠後のドイツの国会議事堂\n (credit:Wikimedia)
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1945年8月6日、広島に原爆投下 (credit:Wikimedia)
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1945年8月、ポツダムに集まった3ヶ国首脳。前列左からアトリー、トルーマン、スターリン。後列左からリーヒ参謀長、ベヴィン英外相、バーンズ米国務長官、モロトフソ連外務人民委員。 (credit:Wikimedia)
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1945年8月9日、長崎に原爆投下 (credit:Wikimedia)
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1945年9月2日、USSミズーリ艦上にて日本の降伏文書に署名する重光葵外務大臣 (credit:Wikimedia)