北朝鮮ミサイル発射など

米国と同盟関係を結んだ我が国も、北朝鮮から見れば明確な敵国として位置づけられているはずです。

石破茂です。

初の道徳教科書の検定において、東京書籍の小学一年生用教科書にある「にちようびのさんぽみち」と題する読み物に登場する「パン屋さん」が「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つという点が足りない」との指摘を受けて「和菓子屋さん」に差し替えられたことが報じられています。なんで和菓子屋さんなら良くてパン屋さんが駄目なのか、どうにも理解が出来ません。

検定に携わる委員や文科官僚たちがなんらかの意向を「忖度」したのか、彼ら自身もそのような考えを持っているのか不明ですが、違和感を禁じ得ません。戦時中に英語を敵性語として排除し、野球のストライクを「よし」、ボールを「駄目」と言い換えていたことを連想してしまうのは私だけでしょうか。

東京都議会議員選挙を6月に控え、自民党としては各政策集団(派閥)に対応を指示するなど、党本部として主体的に取り組む体制のようです。まずは各派閥としてそれぞれの所属議員がいる選挙区における都議選候補者の必勝を期すのが順序というものであり、我々水月会としても4人の所属メンバーがいる選挙区での対応を考えたいと思います。

4年前、幹事長として携わった際も党本部として可能な限り取り組み、民主党に対する大逆風もあって候補者全員当選という成果を得ましたが、今回は昨年の都知事選での敗北に加え、公明党との連携が困難との事情もあって状況が相当に異なります。選挙は追い風でない時にこそ真価が問われるのであり、任期中どれだけ地道な活動をしてきたかが重要です。

「テロ等準備罪」の審議が昨日から始まりました。

どうも論点がうまく噛みあっていないような気がしてならないのですが、重大テロから国民を守るとともに、その権利が不当に侵害されないために、捜査機関の恣意を排除し、「何が犯罪となり、何がならないのか」を明確にする罪刑法定主義が機能することを説明するのが最も重要であると考えますし、これこそが民主主義国家における立法府が果たすべき責任です。

今週もまた北朝鮮によるミサイル発射がありました。北の体制は間もなく崩壊する、と20年以上も前から言われているにも関わらず依然として磐石なのは、皮肉なことに制裁を中途半端に強化するほどに指導者の権威が高まるからだ、とかねてから私は思っています。

苦しくなるほど「党委員長様の恩寵」の価値は増し、「我々の生活が苦しいのは、米国をはじめとする諸外国が制裁を科しているからであり、制裁をやめさせるためには核とミサイルの開発が必要だ」との身勝手かつ倒錯した理屈がまかり通ることになります。

制裁が中途半端なのは北朝鮮を緩衝地帯として維持したい中国の思惑と、民生用と称する物資の移動に抜け穴があるからであり、ここを突き詰めて議論しない限り解はありません。

朝鮮戦争はいまだ、国連軍(実質的には米国)・北朝鮮・中国の間で成立した休戦協定による「停戦状態」なのであって、戦争自体が終結しているわけではありませんし、米国と同盟関係を結んだ我が国も、北朝鮮から見れば明確な敵国として位置づけられているはずです。このリアルな認識を我々日本国民は持つ必要がありますし、それを説明するのが政府・与党の責任です。

週末から週明けにかけては、8日土曜日が東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設見学(午前31時半・同所・岐阜県飛騨市神岡町)、飛騨市関係者との昼食会(午後1時・同町内)、旧神岡鉄道「おくひだ1号」走行イベント(午後2時・奥飛騨温泉口駅前)、「飛騨市ロストラインフェスティバルin神岡」で講演(午後4時・同町内・同)。

9日日曜日は、益城復興市場屋台村訪問(午前10時20分・熊本県益城町)、原田五ヶ瀬町長・関係の方々との昼食会(正午・五ヶ瀬町町民センター・宮崎県五ヶ瀬町)、地方創生講演会にて講演(午後1時・同)、政策集団「水月会」宮崎セミナーにて講演・懇親会(午後5時・宮崎観光ホテル・宮崎県宮崎市)、宮崎経済界・宮崎大学の方々との懇談会(午後7時半・同)。

10日月曜日は宮崎大学地域資源創成学部生との意見交換会(午前9時・宮崎大学)、産学・地域連携センター教員との意見交換会(午前10時半・同)、池ノ上学長・吉田学部長・学生との昼食懇談会(正午・同)という日程です。

岐阜県神岡町で開催される、保存されていたディーゼルカー「おくひだ1号」が廃線である旧神岡鉄道を10年ぶりに走るという信じられないようなイベントには、鉄道ファンの一人としてワクワクするような思いで参加します。大学における地方創生への取り組みも着実に全国に拡がっており、とても嬉しく思っています。

都心の桜も満開となりましたが、今週いっぱいで見ごろは終わってしまうようです。桜が散る時期には、「ささやかなこの人生」(唄 風 作詞・作曲 伊勢昭三 1976年)が一番似合うように思います。もう40年も前の作品ですが、今も旧さを感じさせない名曲です。

皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

(2017年4月7日「石破茂オフィシャルブログ」より転載)