対「北朝鮮ミサイル」防衛論(下)「武力攻撃」にも「国土強靭化計画」を--伊藤俊幸

この「国土強靭化」を、「自然災害」に対するものだけでなく、「武力攻撃災害」にも対応できるようにすることが必要なのではないか。

こうした現在の状況では、北朝鮮の日本に対するミサイル攻撃も、「戦術レベル」では起こりにくいと言うことができる。日本への先制攻撃は国際法違反の侵略行為であり、かつ日米安保発動の要件となり、米軍の反撃、特にトランプ大統領に対し、北朝鮮に向けた核ミサイルのボタンを押す正当性を与えることになる。先に「北朝鮮は、日本にスカッドやノドンミサイルを撃ち込む理由がない」と述べたのはそのためだ。

とは言え、ミサイルの脅威がこれで全て解消されるわけではない。なぜなら、「戦略」「戦術」以外でも、ミサイルが飛来する可能性があるからだ。

すでによく知られているように、北朝鮮が核・ミサイル開発に執着するのは、これらを「戦略兵器」としてアメリカと直接交渉する、具体的には金正恩体制の保証を求めるためだ。そのためにはアメリカ本土まで届く核弾頭とICBM(大陸間弾道ミサイル)を開発しなければならないのだが、今のところその目標が達成されたとは言い難く、開発途中の状態である。

たとえば北朝鮮は、プルトニウムを使った核兵器を開発しているとされるが、これは「爆縮型」と言い、プルトニウムの核心を爆縮レンズで取り囲み、その外側でTNT火薬を爆発させ、一気に中心部にエネルギーを集中、核分裂させるというものだ。これはウランを使用するタイプよりも小型化でき、ICBMに搭載するにはうってつけなのだが、技術的に非常に難しい。

ICBMは、発射するといったん大気圏外に出て再突入するが、その際大気との摩擦で生じる高熱(7000度以上といわれる)にその弾頭が耐えられるかどうかが、まず問題となる。さらに目標に近づいたとき、どのタイミングで爆縮するかも解決困難な課題である。

これまで北朝鮮は、環境条件が整った核実験場では爆縮に成功しているが、実用的なミサイル弾頭としての技術開発動向の実態はまだ見えない。核実験を継続しないと戦力化には至らないとの危機感はあるのだろう。

「戦略兵器」のレベルにない弾道ミサイル

ではミサイルはどうか。

日本が射程に入るものとしては、スカッド(射程約1000キロ)、ノドン(約1300キロ)、テポドン1(約1500キロ以上)、テポドン2(約8000~1万キロ)、ムスダン(約2500~4000キロ)といったものがまず挙げられる。これらはいずれも液体燃料を使用するタイプだ。

過去に日本列島を横断したテポドン2をICBMと思っている読者がおられるかもしれないが、あのようにタワーに立てて発射するロケットは、兵器ではない。そもそもテポドン2は、基本的にはノドン4本分を束ねて1段ロケットを作り、その上にノドン1本を乗せた2段あるいは3段ロケットで、その推進力を利用して、最終的に地球の周回軌道に乗せることに成功したものだ。

ところが、今喧伝されているICBMはこれとは別物で、車載式を採用し、テポドンとは違う発想で作られている。中距離弾道ミサイルのムスダンのエンジン2本分を束ねた1段ロケットで、8000キロ飛ばそうとしているのだ。これがKN08もしくはKN14と呼ばれる液体燃料型のICBMである。

エンジンテストは成功したようだが、実際にミサイルとして飛行実験をしたことはない。昨年来発射実験をしているムスダンは失敗が多く、8回中1回しか成功していない。このように元となるムスダンの信頼性の低さを考えると、必然的に液体燃料型のICBMの信頼性も低い、と言わざるを得ない。

一方で北朝鮮は、固体燃料型のミサイルも開発しているようだ。その例が昨年発射したSLBM(北極星1号)と、2月に地上発射した北極星2号(KN15)だ。どちらも固体燃料型ミサイルとして500~1000キロの飛行には成功したようだが、固体燃料型ICBMを完成させるためには、この10倍の量の固体燃料を開発しなければならない。

ここ最近の、4回のミサイル発射は失敗しているが、うち数回は、この固体燃料開発のための発射実験と見ることもできる(因みに29日に発射失敗したミサイルはKN17と見られ、これまでのミサイルとは全く違い、陸地から艦艇を直接攻撃するための弾道ミサイルと言われており、その実態はほとんど不明である)。

故・金日成主席の生誕105年記念日だった4月15日のバレードで初めてお目見えした、車載型の長い太い筒のようなミサイルは、ロシアの固体燃料型ICBM「トーポリ」にそっくりだった。おそらく中身はなかったのかもしれないが、いずれはそれに近いものを作る、という意図の表明と見ることができる。要するに、北朝鮮のICBMは、液体燃料型の方が開発は進んでいるものの固体燃料型と両方同時に開発中で、いずれも「戦略兵器」としてアメリカに突き付ける段階にはないといってよいだろう。

だがそれは、更なる発射試験が必要だ、ということでもある。その発射試験は、日本列島を越えることになるだろう。ところが前述したように、その信頼性は低い。日本を狙ったものでなくても、発射試験に失敗したミサイルが日本のどこかに落ちる可能性があるということだ。その時に私たちの生命や財産をどのように守るのか。このことこそ、今真剣に議論すべき問題なのである。

「民間防衛」を規定した「国民保護法」

有事立法の中核である事態対処法(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)が成立したのは、2003年のこと。その翌年、有事関連7法の1つとして成立したのが、国民保護法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)である。

国民保護法は、内閣官房の説明によれば、「武力攻撃事態等において、武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護し、国民生活等に及ぼす影響を最小にするための、国・地方公共団体等の責務、避難・救援・武力攻撃災害への対処等の措置が規定」されているものだ。平たく言うなら、いざという時の「民間防衛」に関する法律ということだ。

この法律ではまず、国民の生命や身体、財産を守らなければならない武力攻撃を、(1) 着上陸侵攻(2) ゲリラや特殊部隊による攻撃(3) 弾道ミサイルによる攻撃(4)航空攻撃(5)武力攻撃やテロの手段として化学剤、生物剤、核物質が用いられた場合(NBC攻撃)、の5つに分類している。自衛隊は当然、事態対処法や自衛隊法に則って行動するわけだが、それ以外の国や地方公共団体、指定公共機関がどう対処するかという枠組みが、この法律で定められている。

それは大きく分けて、避難、救援、武力攻撃災害への対処の3つだ。その大枠を定めているのが、閣議決定された「国民の保護に関する基本指針」で、地方公共団体の場合、これに基づいて都道府県、市区町村の「国民保護計画」を策定することとなっている。都道府県レベルではすべてが策定済み、1741市区町村のうち、2016年4月1日現在で1737が策定済みだ。

現実的とは言えない「保護計画」

問題なのは、この「保護計画」が現実的なものなのか、ということである。

1つ例を挙げよう。3月17日に秋田県男鹿市で、国内初のミサイル避難訓練が行われた。主催は内閣官房や消防庁、秋田県、男鹿市。秋田県は沖合にミサイルが着弾したり、上空を飛び越えていったりした経験を持つので、国内初の訓練場所としてはふさわしい。

訓練のシナリオは、朝9時30分に発射されたというもの。3分後、国から全国瞬時警報システム(Jアラート)を通じて情報が入ると、同時に「国民保護に係る警報のサイレン」が防災無線から鳴り、住民は避難を開始する、というものだ。

だがその避難先は、公民館や学校である。自衛隊による迎撃が成功し、その破片や爆風を避けるというだけならばまだしもだが、万が一撃ち漏らして着弾した場合でも、既存の施設で国民の生命や身体を「保護」できると考えているようだ。

昨年の熊本地震の際には、体育館などの避難場所での2次災害が怖いからと、自家用車を避難場所にするご家族で各駐車場が一杯になった様子が記憶に新しい。自然災害に対してさえも、避難するのに適切でない施設が多く存在しているという現実があるのだ。

『週刊新潮』3月30日号の記事によると、男鹿市総務課危機管理班の担当者は、「本番では建物がなかったらどうしたらいいかと不安の声も聞かれ、避難場所を増やすなどの課題が見つかりました」と取材に答えている。

数字上はほとんどの自治体が策定した、と報告されている「保護計画」が、その内容において本当にミサイルが飛来する場面を想定しているのか、との疑問を抱かざるをえない。今こそ改めて「国民保護」について、真剣に議論することが必要だろう。

「武力攻撃災害」からの「国土強靭化」を

そこで、1つ提案をしてみたい。

政府は今、自然災害からの防災・減災を目的とした「国土強靭化計画」を進めている。阪神淡路大震災や東日本大震災による被害を教訓に、「国民の命と財産を守る」ことが最大の使命だ。

この「国土強靭化」を、「自然災害」に対するものだけでなく、「武力攻撃災害」にも対応できるようにすることが必要なのではないか、と筆者は考える。たとえば避難所については、自然災害用を考える際の考慮事項として、併せて「武力攻撃災害にも一定程度対応可能」と義務づけるだけでも違ったものになるのではないだろうか。

自然災害に対しては、日本人はさまざまな知恵を使って防災してきた。武力攻撃災害は、経験がない分どうしてもおろそかになりがちだが、その本質は自然災害と変わらない。この発想から「保護計画」についての活発な議論と見直しを進めていく必要があるだろう。そしてそれは今だからこそ、他人ごとではなく始められることなのだ。


伊藤俊幸

元海将、金沢工業大学虎ノ門大学院教授、キヤノングローバル戦略研究所客員研究員。1958年生まれ。防衛大学校機械工学科卒業、筑波大学大学院地域研究科修了。潜水艦はやしお艦長、在米国防衛駐在官、第二潜水隊司令、海幕広報室長、海幕情報課長、情報本部情報官、海幕指揮通信情報部長、第二術科学校長、統合幕僚学校長を経て、海上自衛隊呉地方総監を最後に2015年8月退官。

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(2017年5月9日フォーサイトより転載)