つとめあげるちから

銀行員が起業したり、メーカから大学院に進んだり、インフラ会社からNPOを起こしたり、役人から出馬したり、周りにはそんな知人が多いけど、結果うまく行ってる例は多くありません。
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銀行員が起業したり、メーカから大学院に進んだり、インフラ会社からNPOを起こしたり、役人から出馬したり、周りにはそんな知人が多いけど、結果うまく行ってる例は多くありません。

ぼくは日本一でかい組織のど真ん中の部署を辞めて、(ほぼ)自由人になりました。でも、勘定がプラスというわけではありません。組織を出て得た自由と、不安定さとでプラマイぼちぼちってとこ。

ぼくが15年勤めた組織を出たのは、才能があったからじゃなくて、断じてなくて、勤め上げる能力がなかったためだと考えます。

「あまちゃん」、映画クランクアップ後のスシ屋で「向いてないけど、向いてなくても続けるのが、才能よ。」と鈴鹿ひろ美がアキに語ります。ぼくはその才能もなかったのでしょう。

社会人になったころ、いや、辞める1年前までは、ぼくはてっきり役所内で出世を重ねて、勤め上げるもんだと思っていたのです。それが、コロっと辞めちゃったのですよ。それはさしたる計算の結果ではなく、なんというか、勤める寿命がつきたという感覚に近い。

役所を出て今度は4~5年おきに職場を変えています。コロコロしています。勤め上げる力は依然ついていません。

同年代や年長のかたでキチンと勤めている人をみるたび、勤め上げる力を持ってるよなぁと感嘆します。もちろん、ダラダラ禄をはむというのではなく、重厚かつ超長期に成果を上げ続けているのです。

リスクは自覚していました。正否はその後の成果でのみ評価されています。これだけはアドバイスできます。組織を飛び出す人は、そのリスクを自覚すべきだし、周りは出たことだけでホメそやすべきではないと思います。

ぼくはベンチャー企業の役員や顧問を5社ほど務めており、起業やベンチャーの環境を整えたいと思いますが、だからといって起業を推奨するわけではありません。割に合わないから。

サラリーマン暮らしを断念し、「屋台でも引くか」というのが昭和のステップダウンの典型でした。カッコいいベンチャー起業というより、多少の悲哀がありました。屋台引くより勤務を続けていたほうが割に合ったことにスグ気づく。たいてい。今の起業も同じじゃなかろうか。

ところで、政策としてベンチャーを増やすのは、基本的にはいいことだと思います。元気が出るから。でもそれは産業政策としてではありません。文化政策としてです。

経済的には1億円のベンチャーが100社できるのも、大企業が100億円のビジネスを1発立ち上げるのも同じ、というか後者のほうが打率がよかったりします。

文化政策としては、ベンチャー企業が増えることで、たくさんの金持ちが生まれて、パトロンが量産されることを期待するのです。

旦那衆がカネをばらまくこと。歌、踊り、芝居、絵画、美食、ファッション。番頭の渋い顔をよそに、そういうことをしてくれるオーナー経営者を増やすこと。

株式公開で金持ちになった社長がくだらないことにカネを使うことを税制で支援したい。クールジャパン。

アマゾンのジェフ・ベゾス氏がワシントンポスト紙を買収する件に対し、短期利益を求める企業が株を持つよりも長期保有が可能な富豪に持ってもらうほうが安定的とする指摘を散見しました。新聞という大きな文化さえ、ベンチャーの成功者が支えなければならない。

文化保護策は、個人パトロンが守るアメリカ型か、国が守るフランス型しかないのかもしれません。

話がそれましたが、勤め上げる力って大切だと思うんです。サステナブルに働いて、組織として大きな仕事をなしとげる人のボリュームが国としても大事だと思うんです。

では、勤め上げる力はどうやって育むことができるんでしょうね。ぼくには語る資格がありません。

(この記事は10月21日の「中村伊知哉Blog」から転載しました)