「不格好経営」の格好よさ

ぼくが南場さんに来てもらうのは、その話の内容以上に、学生たちに、動く本人を肉眼で見て、オーラを感じて欲しいから。いつも「ぼくはこの世に尊敬する人が3人いる。その一人が南場さん。あとの二人は、ナイショ。」と学生に紹介するのですが、それは本当のことです。ぼくのほうが年は一つ上ですが、同時代を拓くリーダーとしてまぶしく拝見しています。
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DeNA創業者、南場智子さんの著書「不格好経営」。

DeNA立ち上げ期の壮絶な失敗、技術陣の集結、父親との確執、マッキンゼーでの失敗、ヤフオクへの広告出稿、ダイエットの顛末、モバゲーの誕生、実におもしろい。

フィルタリング騒動、ロワイヤル登場、アシスタント原さんのスゴ腕、3.11、退任の決定、守安さん(社長)の歯がない、春田さん(会長)の球団話、コンサルタントと事業リーダーの違い、実におもしろい。

お父上との確執、そんな荘厳な家庭に育ったとは、全く存じませんでした。だって、想像できないっしょ。ちょっとでも本人を知ってれば。反動で弾けて成功したチョー希有な例。

その他、だいたい情報として知ってるエピソードが多かったのですが、実におもしろいのは、当人でなければ描けないディテールのリアリティーと、常人なら潰れている危機や水圧の中でも鼻歌交じりに黒コマを白にひっくり返し続けた軽やかな手腕。

「こんなに文章書くのが大変だとは思わなかったよ〜」と本人は言うものの、いや実際、コレは本人しか書けないからですね、代筆じゃムリだ、この本は。登場人物たちへの愛で満ちています。

ぼくも読んでから思い出しました。この方はエッセイを書く力もスゴいのでした。そもそも不格好経営の最後に掲載された「DeNA社長メッセージ」を以前拝見した際、「この文章スゴいよ」と周りに宣伝していたのを忘れていました。

すったもんだの起業と経営、それに対するノウハウではなくパッションを、類い希な観察眼と愛情と、確かな筆致でくるんだ書。ヘタな経営学の本やビジネス解説を10冊読むより、この1冊。

(南場さん、宣伝、こんなところでひとつ。)

「不格好経営」を上梓された直後、授業にお越しいただきました。

KMD始まって以来、毎年ぼくの授業に来てもらってます。DeNAがウナギ上りのイケイケ時もあれば、野球に参入する苦しみの時もあれば、家庭の事情で社長を降りて人生を変えると宣言した後のこともあります。

そのときどきの熱いテーマをぶつけてもらうのですが、毎度それが全く異なり、つまりいつも新しいことに燃えていて、そしていつも寄らばケロイドの熱さ。必ず強烈な南場ファンを生むだけでなく、その後KMDを卒業して晴れてDeNAの門をくぐる者もおります。

昨年、ステップバックして家に入り、家族の病気に立ち向かうが、「仕事で圧勝したから今度も圧勝する! I'll be back!」と言い残して去った南場さん。果たして職場に復帰され、本も出し、学生の前にも戻って来てくれました。

ぼくが南場さんに来てもらうのは、その話の内容以上に、学生たちに、動く本人を肉眼で見て、オーラを感じて欲しいから。いつも「ぼくはこの世に尊敬する人が3人いる。その一人が南場さん。あとの二人は、ナイショ。」と学生に紹介するのですが、それは本当のことです。ぼくのほうが年は一つ上ですが、同時代を拓くリーダーとしてまぶしく拝見しています。

南場さんは起業まもない頃から存じ上げています。ビッダーズでお悩みのころから。その後、ムリをお願いして知財本部の委員になってもらったりもしました。ファンになったのは、そのころ。食事いかがと誘われ、ここがいいね、すっとラーメン屋に入られ、イスの上にちょこんと正座して、ズビズビ食べ始めた。不格好!カッコいい!

今回、学生には現役のコンサル、コンサル出身者、コンサル志望者がいました。KMDはどちらかというとコンサルよりアントレプレナー志向であり、調査・分析より実行・創造を重んじます。偉そうに言うてますが、ぼくはなろうと思ってもコンサルにはなれません。自分でやりたいことが多すぎて、他者をどうにかしてあげる能力はおろか、興味も愛情もないせいです。

その点、南場さんはコンサルから起業したひと。どう見ますか。

「コンサルになるよりDoer、事業家になるべし。」ぼくもそう思います。でもそれは南場さんの自己否定でもありますよね。「コンサルになるならいいコンサルになってほしい。でも、Doerになるためにコンサルになる、って道は、ないな。タイガーウッズになるためにレッスンプロになるヤツはいないでしょ。」

じゃあDoerになるには?「目の前に濁流が流れている。それを測量したり、渡る橋を設計したりするのがコンサル。だけどDoerは、濁流に、まず足を突っ込む。熱湯かもしれない。底に剣山が仕込まれているかもしれない。だけど、ずぶずぶと、足を運ぶ。」

おっしゃることが、よくわかる。だけど、よくわかる、のと、やる、のとでは、0と1の間の永遠、がある。

話の端々に、ハルタが、モリヤスが、という固有名詞が飛び出します。ぼくはご両名を存じているので、おかしさがよくわかります。学生にとっては、DeNAの会長や社長のおもろ哀しい話題が振られても、リアリティーは薄いかもしれない。でも、不格好経営を彩る愛くるしく優秀な主役たちとして、ごく自然にストーリーに配置されています。南場さんは経営者であり、組織人であり、DeNAへの思い入れが深いなぁとしみじみ感じます。

だけど、そうなると、難しいですね。一度ステップバックした創業者が、また現場に復帰したものの、組織は次世代に継がれていて、さて、そこで創業者はどうあるべきか。ジョブスや柳井さんが戻った例とはいわば逆ですもんね。

南場さんには次のステージが見えてるんでしょうか。抑圧された学生時代、超優秀なコンサル時代、そして起業家・経営者の時代、その次のステージに移られるのでしょうか。そんなことを聞こうか迷っていたら、逆に振られました。

「中村さんが一番 "やりきった"と思ったことって何よ?」う〜ん、バンド。と答えました。自分として持ってるモノを出し切って、すっからかんになったのは、バンドです。持ち物が乏しかったので、パンク道で生きることはできず、公務員になりました。

ただ、仕事として考えれば、公務員を辞める契機となった省庁再編でしょう。政権から解体を申しつけられた郵政省を自治省・総務庁と合体した総務省になだれ込ませることで、通信・放送行政を政府内に押しとどめる仕事。

ああ、そう考えると、「不格好経営」は、鏡として、ぼくに進路を問いかけているのかもしれません。暴れた学生時代、日の丸を背負った役人時代、飛び出して個人で仕掛ける大学時代、15年タームで来ましたが、そろそろオマエ自身どうするのか。そのまま進むのか。戦地にでも赴くか。博徒になるか。出家するか。ヒモになるか。南場さんの行き方をテキストに、やったことのない自分探しとやらをやってみたらどうか。そんな問いかけ。

あたしはこう生きてきて、こう生きる。以上。「不格好経営」は、あまたの自己啓発本と異なり、コンサル的に導いてくれる書物ではありません。でも、そんな問いかけを受け取る読者は多いはず。

南場さんに聞こうとした問いは、自分の答えを決めてから、聞くことにします。

(この記事は8月26日の「中村伊知哉Blog」から転載しました)