「退屈の練習」:電子機器と子供のサマーキャンプ

私は、息子の社会的存在のすべてが、彼の持つテクノロジー製品に依存していることに気づいたのです。彼のスマートフォンは、音楽を聴いて、楽しい時間を過ごし、友達と会話し(もっとも、実際に会話するのではなく、文字のやり取りに近いものですが)、友達の投稿にコメントし、写真に「いいね」を押すためのものです。今どきの子供たちは、本当の意味での交流をしてはいません。
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子供のころ、私は夏休みには長期のサマーキャンプに参加し、泳いだり、踊ったり、馬に乗ったり、絵を描いたり、工作をしたり、ボートや水上スキーを学んだりしました。そうした活動をしない休憩時間や雨の日には、カードゲームの一種「Jacks and Spite and Malice」で遊んだり、紐でブレスレットを作ったりしたものです。大雨の中で頭を洗ったり、シェービング・クリームの掛け合い合戦もしました。日曜の朝には、ドーナツを食べながらケイシー・ケイサムがDJをしていたラジオ番組「American Top 40」(全米トップ40)を聴いたり、ときには家族に手紙を書いたりもしました。キャンプで知り合った友達と8週間をともに過ごし、一分一秒たりとも無駄にしたくありませんでした

今度は、私の子供たちの番です。キャンプの様子は以前とちょっと違いますが、ほとんどのことは以前と変わりません。彼らが過ごす期間は7週間で、馬に乗ったり、水上スキーをしたりすることはありませんが、ロック・クライミングをしたり、サーカス遊びをしたり、湖でトランポリンしたりします。私が参加した「オリンピック」イベントはありませんが、似たような「ワールド・デイ」イベントはあります(幸い、チーム対抗の試合「Color War」と障害物競走「Apache Relay」は、今でもするようです)。

彼らの一生の中で、この時期は、ただただ子供らしく遊び、生涯続く友情を育むときです。整理整頓をしたり、食後にお皿を片付けたりといったことを通じて責任を学び、独立心を養い、人格を形成する時期であり、そのすべてを、コミュニティや家族的な価値観を養うことができる、安全な環境の中で行うときなのです。

私の息子はサマーキャンプが大好きです。家に帰ってから数日間は、キャンプのことが忘れられず、友達が恋しいと泣きながら訴えるほどです。私にできるのは、私もそうだった、と息子に言って聞かせること。そして、キャンプに参加して、友達とかけがえのない絆を築く機会があることがどれほど幸福か、気づいてもらうようにすることだけです。

けれども、私たちが利用しているサマーキャンプの運営主体がこのほど、テクノロジー製品の利用ポリシーの変更を知らせるメールを送ってきました。そして、キャンプが大好きな息子は猛烈に怒りました。それは、今までにないほどの怒り様でした。説明すると、これまでのポリシーでは、インターネットに接続できる機械だけが、持ち込みを許可されていませんでした(たとえ航空機モードを搭載していても)。けれども今度は、「iPod touch」や、ゲーム機の「ニンテンドーDSi」の持ち込みも禁止されたのです。許可されたのは、「昔ながらの」MP3プレーヤーや「iPod」、それに動画の録画ができないカメラだけ。iPod touchは絶対に必要だ、というのが息子の訴えでした。音楽を聴いたり、ゲームをしたり、映画を見たり、時間を調べたりするのに必要なのだと。

私は息子に、彼が使っていた古いiPodを充電して、現在のお気に入りの曲をそのiPodにインポートしてあげる(『ハイスクール・ミュージカル』にはサヨナラし、マックルモアーを入れるわけです!)、時計も送ってあげると伝えました。けれども、それでは不十分のようでした。まるまる7週間をテクノロジー製品なしで過ごすことを想像した息子は、まるで何かの禁断症状に陥ったかのようになっていました。その様子に、私は怖さを覚えました。

私は、息子の社会的存在のすべてが、彼の持つテクノロジー製品に依存していることに気づいたのです。彼のスマートフォンは、音楽を聴いて、楽しい時間を過ごし、友達と会話し(もっとも、実際に会話するのではなく、文字のやり取りに近いものですが)、友達の投稿にコメントし、写真に「いいね」を押すためのものです。今どきの子供たちは、本当の意味での交流をしてはいません。10代の若者たちが集まっているのを見れば、彼らがたいてい下を向き、スマートフォンかiPod touchを見つめ、それらの機械を使って、その場にいる友達か、同じ町の別の場所で同じことをしているグループの子供たちとコミュニケーションしていることに気づくでしょう。息子の生活はそんな感じです。

固定電話に電話をかけ、友達の母親と少し言葉を交わさなければ、友達と話し始めることができない時代は過ぎ去りました。今の子供たちは、友達と話をしたいと思ったら、メールを打つか、Facebookでメッセージを送るだけでいいのです。私たちのサマーキャンプは、利用者に対し、テクノロジー製品を置いて、昔ながらの方法で友達と過ごす機会を与えようとしていました。そして、息子の激しい怒りを見て、彼に解毒剤が必要なことが私にははっきりとわかりました。

息子が激怒した件についてFacebookに投稿したところ、「テクノロジー製品から離れ、子供たちが彼らの世界で起こっていることを毎日24時間追跡する必要から逃れられるようにする」ことに賛成する人たちと、テクノロジー製品は今や私たちの生活の一部であり、サマーキャンプはある程度その利用を認めるべきだと考える人たちとの間で議論が起こりました。私は、「離れることが必要」派でした。

「ニューヨーク・タイムズ」紙が2013年3月に公開した「Your Phone vs Your Heart」(あなたの電話 vs あなたの心)という記事で、執筆者は、習慣が私たちの脳の働き方を決める可能性があることを証明するために、調査を行ったそうです。そして執筆者は、「面と向かって人と関わる能力を定期的に鍛えなければ、やがては、そのための基本的な生物学的能力が自分に欠けていることに気づくことになる」と結論しています。なんと恐ろしいことでしょう。私が強調したいのは、サマーキャンプが、「面と向かって人と関わる」能力を鍛える絶好の機会を子供たちに与えてくれるということです。だからこそ、息子の友達の中でも、キャンプ場でできた友情関係が最も強いものになるのです。

子供たちがテクノロジーから離れる絶好の機会を与えることができるのは、サマーキャンプだけではありません(キャンプに行かない子供たちは多いです。私が住む地区に住む人たちのほとんどは、キャンプのような場には全く出かけません)。夏休みは、どの子供にとっても、テクノロジーから離れて、アウトドアで遊んだり、湖やプールに飛び込んだり、ただぶらぶらとのんびり過ごす格好のときになります。

退屈することは、創造性を育てる最大の原動力です。退屈だからこそ、私やサマーキャンプの友達は、ヘアブラシをマイクに見立てて声の限りに歌ったり、家族に送らなければならない手紙に、あらゆる色のマーカーを使ったりしました。大人となった私たちも、ときには活動を休止して、空想にふけったり、考えをまとめたり、新しいアイデアを見つけたりする必要があります。新米ブロガーの私が気づいたのは、テレビを切り、Facebookを見ず、携帯電話をオフにしているときに、最も執筆がはかどるということでした。

息子たちのサマーキャンプが、彼らの体だけでなく精神を鍛える機会を与えているのは嬉しいことです。けれども私たちは、テクノロジーから離れる機会を、キャンプや夏休みだけに限定するべきではありません。私自身、このままでは、画面を見る時間を十分に減らすことはないでしょう。私は現状を変えたいと思っていて、自分のために同じことをしようと計画しています。大人も「退屈」を練習すべきなのです。

それは、新しいタイプのヨガだと考えてください。いわば、「Boga」(Boerdom(退屈)+Yoga(ヨガ))です。私には、これが流行るという確信があります。毎日、あるいは毎週、テクノロジーから離れる時間を作ることから始めてみましょう。ネットの誰も、あなたがいなくなって寂しいとは思わないでしょう。1日に数時間だけ試したり、もっと思い切って、日曜日を1日中オフにしたりしてはどうでしょうか。そして、どうなったか教えてください。

私も、この夏に試してみようと思っています。この取り組みは、サマーキャンプを終えた子供たちが、鍛えた体だけでなく鍛えた精神とともに帰ってきたときに、自分が今まで以上に子供たちのための存在となれるよう、手助けしてくれることでしょう。私もBogaで精神を鍛えたいと思うのです。あなたもいかがですか?

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[Beth Rosen(English) 日本語版:佐藤卓、合原弘子/ガリレオ]