天野之弥さんが死去、IAEA(国際原子力機関)の事務局長

IAEAは7月22日、天野之弥事務局長が死去したことを発表した。
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国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長(オーストリア・ウィーン)
時事通信社

IAEA(国際原子力機関)は7月22日、天野之弥(ゆきや)事務局長が死去したと発表した。72歳だった。

天野氏は、2009年12月に事務局長に就任。

事務局長選では一度落選していたが、唯一の被爆国であり「核兵器の拡散に断固立ち向かう」という訴えを続け、2度目の事務局長選で主に欧米諸国の支持を得て当選。亡くなるまで約10年間務めた。

「核の番人」と呼ばれるIAEA事務局長に日本人が就任したのは初めてだった。

IAEAは、「天野之弥事務局長の逝去を、深い悲しみと共にお知らせいたします」と説明し、体調の問題から事務局長の辞任意向を天野氏が伝えた際のメッセージを発表。

天野氏は「過去10年間で、IAEAは加盟国の支援と職員の献身のおかげで、『平和と発展のための核』という目的を達成するための具体的な成果をもたらしました。私は、私たちの功績を非常に誇りに思い、そして加盟国と機関のスタッフに感謝します」とつづっていたという。

原爆の地で被爆者と交流、非核と国際平和の道へ

朝日新聞2009年7月3日の朝刊などによると、天野氏は東京大学卒業後、1972年に外務省入省。

フランス・マルセイユ総領事、ハーバード大客員研究員を経て、軍縮不拡散・科学部長に。

軍縮不拡散・科学部長になったことで、広島、長崎を何度も訪れ、被爆者との交流を重ねた。この経験から、非核と国際平和のための道を歩むことを決意。

2005年8月からウィーン国際機関・日本政府代表部大使となり、同年10月から、IAEA理事会議長となった。

その後、2007年には核不拡散条約(NPT)運用検討会議・準備委議長を務めた。