新型コロナウイルス、スペインではどうなっている? 語学留学中に体験したこと

マドリードで感じた、感染拡大による街の変化 。
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HbrH via Getty Images

(文:帝京大学医学部医学科3年生 川崎千春)

2月19日から3月15日までスペイン・マドリードに語学留学し、マドリードのピソ(シェアアパート)を借りて、スペイン人と生活した。その過程で、新型コロナウイルス感染症の拡大による街の変化を経験した。 

私が到着した頃は、危機感はなく、アジア人差別も受けず、ルームメイトや友人と、ハグとドスベソス(両頬にキス)で挨拶を交わしていた。2月20日から3月1日までは、マドリードからトレド、セゴビアなどスペイン各地を訪れた。世界各地から観光客が訪れていましたし、日本人もよく見かけ、プラド美術館も混雑していた。ただし、2月25日にテネリフェでイタリア人医師の感染が確認されてから、街中でCOVID-19の話題をよく耳にするようになった。

 

3月1週目から語学学校が始まった。毎クラスのはじめにCOVID-19の話はするものの、生徒の出身各国の話ばかりで、はまだ緊張感はなかった。3月5日、中心街にあるバルでスタンドアップコメディを見た後、インテルカンビオ(言語交流会)に参加した。そのときマドリードに来たばかりというイタリア人もいたのを覚えている。

 

3月8日、スペイン南部を訪れた。英国領ジブラルタルがあるためか、イギリスからの観光客をよく目にした。

英国領ジブラルタルには、日本、中国、韓国、香港等に過去2週間以内に滞在歴がある人は入国できず、私も入ることができなかった。

アフリカ大陸にあるスペイン領セウタからのフェリーの中で、前に座っていた男性が電話で「なぜスペイン政府が何の措置もとっていないのか」「病院で働いているならリスクが高いだろうから気を付けて」と電話で話しているのを聞いた。病院で働く家族か友人と話していたのかも知れない。タリファという町ではお祭りが開かれていて、通りもバルも人で溢れていた。 

 

3月9日、マドリードの学校は、保育園から大学まですべて11日から休校する、と発表された。

この週、語学学校はまだ対応が定まらず、私は金曜日まで通常どおり通い続けた。

在宅勤務が推奨され、ルームメイト達は、それぞれ10日、11日から在宅勤務になった。この日行ったスーパーでは、パスタや缶詰の棚は空で、卵すら買うことができなかった。みんなが石鹸、マスク、サニタイザー、トイレットペーパーを買い求めていた。ただし夜になればみんなバルやレストランに集い、いつもと変わらない生活を送っているようだった。

休校が決まったこの日から #quedateencasa(家にいて) #yomequedoencasa (わたしは家にいます)といったハッシュタグをニュースでも町の広告でもバス停でも見かけるようになった。

 

3月10日、中国人の友人と中華系スーパーに行った。レジ係はマスクに手袋を着用、レジ前には消毒用アルコールがおいてあり、かごから台に移す前に、客が手を消毒していた。

新型コロナウイルス感染症の流行が始まったのが中国だったため、中国人のほうが対応も早く情報にも敏感だったと思われた。その友人は、休校が始まる前からスペインの状況を把握していて、私の帰国を心配して毎日情報を送ってくれていた。

 

3月11日、この日からマドリードでは休校措置がはじまった。可能な限り在宅勤務するよう推奨も始まった。天気のいい日で、レティーロ公園ではグループで集まって日光浴やパーティーをしている若者をたくさん見かけ、通りのテラスは満席で年齢を問わず多くのマドリード市民がお茶したり、ワインを飲んだり太陽を楽しんでいた。

 

3月12日、感染拡大を防ぐため、プラド美術館をはじめとするマドリード内のすべての美術館が閉館となった。11日は多くの市民が外出していたため、なぜこうした措置をとっているのか理解し、責任ある行動を取ってほしいとスペイン政府やマドリード政府が呼びかけていた。

ニュースでは医療従事者が「医療崩壊を引き起こさないため家にいてください。」「#quedateencasa(家にいて) 」と呼びかける映像が頻繁に流れていました。インスタグラムでも「#yomequedoencasa(わたしは家にいます) 」というハッシュタグつきの投稿が一気に増えたように感じた。 

3月13日、まだバルやレストランは営業していたが、犬の散歩をする人以外の人影はほとんどなく、とても静かな金曜日だった。

 

3月14日、非常事態が宣言された。この日からすべてのバルとレストランが閉まり、生活必需品を扱う店以外のすべての店が休業となった。パンを売っているカフェでは、レジ前以外に人が入らないよう、椅子が積み上げられていた。翌日からの原則外出禁止も発表された。

夜10時、スペイン全土で人々が一斉にバルコニーやテラスに出て医療従事者たちへ感謝と激励の拍手を送っていた。鳴り止まぬ拍手と口笛やクラクション、流れる国歌に 「ビバ・エスパーニャ」と叫ぶ声が聞こえ、映画の中にいるようだった。

この出来事から自宅待機の14日間に向けて一体感が出てきたような気がした。

 

3月15日、空港までタクシーで移動した。スペインでタクシー運転手が手袋をしているのをはじめて見た。

通りも道路も閑散としていたが、到着してみると、空港には思いのほかたくさん人がいた。飛行機は、イタリア行きを除いては欠航になっていなかった。他人と1メートル以上距離を取るように放送がながれ、職員はほぼ全員フィルター式の粉塵マスクをしており、物々しい雰囲気だった。

3月16日、成田空港に到着した。中国、韓国、イタリア、イランからの帰国者は申告するよう呼び掛けがなされていたが、スペインからの帰国者・入国者には呼びかけはなく、まっすぐ帰宅できた。

 

滞在の最後の一週間で刻一刻と街の様相が変化していくのを目の当たりにした。

 

ハグとキスで挨拶すること、家でゆっくりするより外出を楽しむ文化、イタリアとの文化的・地理的近さから多くのイタリア人がスペインを訪れること、ピソ(シェアアパート)での共同生活が一般的であること、週末にはほとんど必ず地元に帰って家族で集まることなど、がスペインで加速度的に感染が拡大した理由かもしれない。

2020年3月17日現在、スペイン全土ですでに1万人近くのCOVID-19感染が確認されており、300名以上が死亡している。

スペインで出会い、親切にしてくれた人々が安全であることを願っている。

そして私は帰国後の2週間、体調に注意して自宅にて過ごしている。

 

2020年03月23日MRIC by 医療ガバナンス学会「Vol.057 スペインでの新型コロナウイルス騒動体験」より転載しました