なぜ「トランスジェンダー役は当事者俳優に」なのか?実現した日本映画『片袖の魚』が変えていくこと

「なぜ日本ではまだ早いと思うのだろうと考えていたら、やらないから『早い』ままなのだと気が付きました。自分はそれを実現できる立場にある」
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映画『片袖の魚』の東海林毅監督(左)と主演のイシヅカユウさん
Jun Tsuboike / HuffPost Japan

自分に自信を持てないトランスジェンダー女性が新たな一歩を踏み出す物語を描いた短編映画『片袖の魚』が2021年7月10日、新宿K’s Cinemaで公開された。

詩人の文月悠光(ふづき・ゆみ)さんの同名作品が原案で、東海林毅(しょうじ・つよし)監督が脚本・映像化。日本初となるトランスジェンダー当事者の女性俳優オーディションも開催され、モデルのイシヅカユウさんが主役に抜擢された。

「トランスジェンダー役は、トランスジェンダー当事者の俳優に」が原点にあるという東海林監督。その理由と、日本メディアにおけるトランスジェンダー当事者の描き方の課題と目指すものを、東海林監督とイシヅカさんに聞いた。

 

トランスジェンダー役を当事者俳優が演じる

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Jun Tsuboike / HuffPost Japan

「日本ではまだ早すぎる」

「そもそも、日本に当事者の俳優はいるのだろうか」

トランスジェンダー役はトランスジェンダー当事者の俳優が演じるべきという考えに、東海林監督はかつてそう思っていた。

トランスジェンダーの配役をめぐっては、ハリウッドでシスジェンダー(出生時に割り当てられた性別と性自認が同じ人)の俳優がトランスジェンダーの配役を降板するなど、海外の映像業界では議論が進んでいる。東海林監督は海外での議論を認識した上で、「日本ではまだ早い」と感じていたという。

しかし、知り合いの当事者との会話をきっかけに、日本で実現できていない原因が自分を含む「製作者側」にあることに気付かされたという。

「映画業界に携わる人間として、その時は『今、日本でトランスジェンダー当事者の役を当事者俳優が演じることは難しいのではないか。成立したとしても、興行的には成功しないのではないか』とか、『そもそも日本にトランスジェンダー当事者の俳優はどれくらいいるのだろうか』と思っていたんです。そういった理由で、『日本ではまだ早いと思う』と話していました」

 「でもその後、なぜ『日本ではまだ早い』と思うのだろうと考えていたら、『やらないから早い』ままなのだと気が付きました。自分はそれを実現できる立場にある。自分でやればいいのだと思ってこの作品を作りました」

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Jun Tsuboike / HuffPost Japan

当事者や識者の協力も受け、制作が始まった。日本初のトランスジェンダー女性の俳優オーディションも開催され、主役の新谷ひかり役に選ばれたのがイシヅカさんだ。

「俳優の世界でこういった取り組みはないと思ったので、とにかく参加したいという気持ちでした」とイシヅカさん。

「トランスジェンダー当事者にとって、活躍の場は全てにおいて限られています。モデルの世界でも昔と比べたら少しあるかもしれないけれど、俳優はもっと少ないと思います。その中でこの機会があるというのはすごく勇気づけられました」

「私にとってモデルと俳優の演技プランの立て方は全く違う。難しい挑戦にはなると思いましたが、そもそも、これまで挑戦をする足掛かりさえもなかったからそう思っていたのだとも感じます」


業界の悪循環を変える

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『片袖の魚』より
©2021 みのむしフィルム

「トランスジェンダー役はトランスジェンダー当事者俳優に」という議論をめぐっては、そうすることで俳優が様々な役柄にキャスティングされる幅が狭まってしまうのではないか、などとも指摘されてきた。しかし東海林監督は、この主張は決して「役と俳優の属性を固定化させる」という意味ではではない、と訴える。

日本ではカミングアウトする障壁も高く、トランスジェンダーであることを公表している当事者の俳優は少ないのが現状だ。そして、興行や視聴率を重視するあまり、トランスジェンダー役に知名度の高いシスジェンダーの俳優が配役されるケースがほとんどだ。

この状況は悪循環を生んでいる。職業として俳優を目指す当事者が減り、さらに「仕事が限られている」と思い込み、芸能事務所が当事者の俳優を受け入れることをためらってしまう、と東海林監督は指摘する。

東海林監督が目指すのは、この「悪循環」を映画業界の一員として改善することだ。

そのために、まずシスジェンダーとトランスジェンダーの俳優が同じスタート地点に立てるようになることが重要だという。

「そのスタート地点に立てて、初めて『何でも演じられることが職業俳優の職能であり、属性で俳優を決めることはフェアではない』とか、『属性ではなく能力で判断すべき』という主張が成立するのではないか、と思っています」


メディアの表象がはらむリスク 

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©2021 みのむしフィルム

また、当事者が不在の作品は問題をはらむケースも多いという側面もある。現実に即さない当事者像が社会に発信され、誤った偏見を植え付けるケースがあるためだ。

そして、そういった「固定化」されたトランスジェンダー像によって、精神的負担を負うのは当事者だ。表現作品で描かれたトランスジェンダー像に押し込められたり、その通りに振る舞うことを期待されたりしてしまうからだ。

「自分もバイセクシャルの当事者として、『保毛尾田保毛男』(民放バラエティー番組のキャラクター)の同性愛の表象に苦しめられたことが中学生のころにありました。なので、トランスジェンダー当事者がメディア表象に苦しめられているというのは自分の経験と重なります」

自身の経験をふまえて、東海林監督はそう語る。


今が大丈夫だから、演じられる

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Jun Tsuboike / HuffPost Japan

イシヅカさん自身も、トランスジェンダー当事者が偏った描かれ方をしている作品を見てきて、「『人が考える、確固たるトランスジェンダー像』が形成されてしまっている」と感じてきた。

「私もトランスジェンダー女性として、男性として生まれたけれど女性としてアイディンティティを持っているので、『ナイトワークしかできないのではないか』など悩んだことが小さい頃から何度もありました。当事者が『そのようにしか生きられないのかな』と思ってしまい、さらに周りの人が間違った認識をしてしまうのも大きな問題だと思います」

「ナイトワーク自体がいけないということでは、もちろんありません。ただ、テレビやメディア、フィクションにおいてそういう描き方『しか』されないことは、『トランスジェンダー女性はこういう属性だ』という絶対条件みたいなものを作ってしまっていると感じます」 

劇中では、主人公のひかりが仕事先でアウティングに遭うなど、現実世界でもトランスジェンダー当事者が直面する困難が描かれているシーンもある。フィクションとはいえど、生々しい差別や偏見に胸が詰まる。 

実体験と重なる場面と、イシヅカさんはどう向き合ったのか。

「ひかりと私は、大分違うと思います。今の自分というよりは、ちょっと前の自分を見ているような。今の自分が大丈夫だから、そういう風に思えるのかもれません」

「だからこそ演じることができたとも思います。当時は辛くなってしまったこともいっぱいあって、思い当たる部分もたくさんありましたが、今となっては客観視できる。本当にどうしても辛くて嫌だったらケアをしてもらえると、安心して演技に臨めました」

 

今やらなくてはいけない作品

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Jun Tsuboike / HuffPost Japan

『片袖の魚』はアメリカの歴史あるLGBTQ映画祭に正式招待されており、日本国内でも拡大公開を目指している。

本作品について、「今やらなくてはいけないと思った」と東海林監督は語る。

「今、トランスジェンダーに対する差別や偏見が世界的にひどくなっていると感じています。政治的な流れやバックラッシュなど色々理由はあると思いますが、それを今すぐ食い止める差別の防波堤のような波打ち際になってほしくて、スピード感を持って作りました」

「一番大事に伝えたかったのは、トランスジェンダーの人たちはすでに我々と社会の中で一緒に生活しているということ。その上でどういう偏見や差別、辛さがあって、知らず知らずのうちに踏みつけられていることを描かないといけないと思いました」 

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Jun Tsuboike / HuffPost Japan

イシヅカさんは「当事者はこう生きなくてはならないという『呪い』が解けてほしい」と話す。

「この作品が、当事者の『本当の姿』というわけではありません。もちろんこれが『正しい生き方』というわけでもない。ただ、こういう風に生きてもいいし、こういう風にいてもいいんだという一つの指標として見てもらいたいです。私も、『いてもいいんだ』と思えなくて辛かった時はたくさんあるので、いてもいいんだって思ってもらいたいと思っています」

今回、キャスティングにはいたらなかったオーディションの参加者の中で、応募をきっかけにワークショップに行くなど俳優としての歩みを続けている当事者もいると東海林監督はいう。「悪循環」が変わる兆しは始まっている。

「一度当事者が当事者役を演じたものが世に出てしまったら、僕は後にはもう引けないんじゃないかなという気がしています。『そういう作品作りができない』という言い訳ができなくなりますね」