「太陽政策とドイツの東方政策」/林東源・元統一相講演(上)

朝鮮半島の冷戦構造解体のための平和プロセスが活気を帯びることになったのです。

「金大中大統領の太陽政策を継承し、発展させる」。

韓国の文在寅・新大統領はこう明言している。

そんな太陽政策を、金大中大統領の右腕として設計、推進した林東源・元統一相は今、この間をどう振り返り、将来をどう展望しているのか。

林東源氏は文在寅大統領就任後の5月26日、ソウルの韓国外国語大学歴史文化研究所の学術会議で「太陽政策と東方政策――現在と未来のための省察」と題する特別講演をおこない、そのことについて語った。その内容をここに訳出して紹介したい。(波佐場 清)

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イム・ドンウォン

1933年平安北道生まれ。韓国陸軍士官学校、ソウル大卒。80年陸軍少将として予備役編入。駐オーストラリア大使。盧泰愚政権下で南北高位級会談代表。金大中政権下で大統領外交安保首席秘書官、統一相、国家情報院長など。著書に『피스메이커(Peace-maker)』(중앙books)=日本語訳『南北首脳会談への道 林東源回顧録』(波佐場清訳、岩波書店)など。

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今から7年前、私はベルリン自由大学で開かれた「東方政策と太陽政策」をテーマにした討論会に参加しました。

ベルリン自由大学は、あの歴史的な南北首脳会談を前に金大中大統領が「ベルリン宣言」として有名になった対北政策を発表した場所です。

まさにその場所で、ヴィリー・ブラント首相の東方政策を設計し実行したエゴン・バール博士と太陽政策を設計して実行した私が向き合い、対談形式の討論をすることになったのです。

金大中大統領のノーベル平和賞受賞10周年を記念する行事の一環でした。

金大中氏をノーベル平和賞候補に初めて推薦した方が、ほかならぬブラント社会民主党党首(1987年10月)で、2人はその後も親密な付き合いを続けていたのでした。私は本日、当時の対談を振り返り、いくつかのことをお話ししたいと思います。

(1)ドイツの統一をうみ出した東方政策

この討論会でエゴン・バール博士は「ドイツ統一は吸収統一ではなかった」「『吸収統一』という言葉は、東ドイツ市民は望みもしなかったのに西ドイツが強要し引き込んで統一したかのような誤解を与え得る誤った表現だ」と指摘しました。

彼は「ドイツ統一は東ドイツ市民の自由意思による選択であり、東ドイツ市民がそのような決定をすることができるようにしたのがまさに西ドイツの東方政策だった」と強調したのでした。

そうなのです。東ドイツ市民は市民革命を通して共産政権を倒し、自由な総選挙を行って3つの統一案のうちの一つであった「併合による早期統一」を選んだのでした。ドイツ統一は東ドイツ市民が統一方式を選び、東西ドイツと戦勝4カ国が話し合いを通して達成した「合意による平和統一」だったのです。

もちろん、このような選択を可能にしたのが西ドイツの東方政策であったことは言うまでもありません。西ドイツはその東方政策を長期間にわたり一貫性をもって粘り強く推進して東ドイツ市民の意識変化を促し、心を動かしたのです。

西ドイツはブラント政権発足(1969年)後、東ドイツを孤立させる政策を捨て、平和共存しながら「接触を通した変化(change through rapprochement)」を促す政策を推進しました。

20年間にわたり、年平均32億ドル規模に達する莫大な現金と物資を多様な名目と経路で東ドイツに送って支援し、毎年数百万人が東西両ドイツ間を往来するという状況をつくり出すなど接触と交流・協力を積極的に推進したのです。

ブラント首相は東ドイツ住民の生活水準を向上させ、民族の統合(national integrity)を維持することが統一の基盤づくりにつながると考えました。

そうして東ドイツ市民が朝は共産党の新聞を読み、夜には西ドイツのテレビを見るという状況をつくり出していったのです。そんななかで東ドイツ市民の意識に変化が起こり、その心をとらえていったのでした。

(2)太陽政策と朝鮮半島平和プロセス

金大中大統領は私たちも平和統一をなすには北の同胞たちの心をとらえ、彼らが(自ら統一を)選択できるようにすべきだと考えました。

北の同胞たちの意識変化を促し、その心をとらえるために太陽政策を推進したのです。東方政策をベンチマーキングしたというわけです。

しかし朝鮮半島の南北はドイツとは違って同族で殺し合う戦争をし、互いに仇敵となりました。

憎悪と不信をなくすには和解と信頼づくりが最も重要、かつ至急の課題にならざるを得ません。

勝つか負けるかというゲームを共存の「ウィン―ウィン」(win-win)のゲームに転換するには対話と接触、交流と協力を通して変化することが可能な条件と環境をつくっていかなければなりません。

朝鮮戦争の砲声は止みましたが、法的にはまだ戦争が終わらない休戦状態にあります。

それによって深まった敵対関係を解消するには軍事休戦体制を平和体制に転換する課題も解決していかなければなりません。

戦争を防ぎ、緊張を緩和して平和を守るだけでなく、安全保障面の不安を根源から解消できるよう平和をつくっていかなければなりません。ブラント首相の言葉を借りれば「平和がすべてではないが、平和なくしては何ごともできない」のです。

金大中大統領は就任演説(1998年2月)で、南北関係を改善して統一の大路を開いていくと宣言し、対北政策の3大原則を提示しました。

①どのような武力挑発も決して許さない②吸収統一をする考えはない③和解と協力を積極的に推進していく――というものです。平和を守りながら平和をつくっていこうというのです。

金大中政権は北を平和と統一のパートナーとして認め、和解と協力の包容政策(Engagement policy)を推進しました。

この政策は南と北はもうこれ以上互いに冷戦の北風を吹かし合うのではなく、和解と協力の暖かい太陽光を当てようという意味合いから「太陽政策」の名で広く知られるところとなります。

太陽政策は和解と協力を通して北が自ら変化できる環境と条件をつくり、平和をつくっていこうというものです。

「和解」「協力」「変化」「平和」が太陽政策の4つのキーワードです。

南北関係を改善して南と北が互いに行き来し助け合い、分かち合いながら分断によって生じたお互いの勝手の悪さと苦痛を最小限に抑え、平和共存して民族の同質性を回復していこうというものです。

内外情勢が政治的統一を許さない状況にあってまずは経済、社会、文化的に統一したも同然の「事実上の統一」(de facto unification)といえる状況から実現していこうというものです。

南北関係が凍てついていた金大中政権の初期、太陽政策はまず、易しいことから始め(先易後難)、民間が先に立ち(先民後官)、経済分野から推進し(先経後政)、先に与えて後でもらう(先供後得)という政経分離の原則に基づく現実的な接近方法をとりました。

一方で金大中政権は米国のクリントン政権に対して韓国といっしょに朝鮮半島の冷戦構造を解体し平和体制を築いていこうと説得しました。

北朝鮮の核・ミサイル問題は米朝敵対関係の産物であって対症療法では解決できず、朝鮮半島の冷戦構造解体という根本的かつ包括的なアプローチで、平和プロセスを通して解決していかなければならないと説得したのです。

北朝鮮との関係を改善し、休戦体制を平和体制に転換しながら大量破壊兵器問題も解決していく朝鮮半島平和プロセスを推進する外交努力に注力したわけです。

クリントン政権は金大中大統領の提案を受け入れ、日本政府もこれに加わりました。

中国、ロシア、EUも積極支持し、協力しました。韓米日3国がそれぞれ北朝鮮との対話を通して関係正常化問題の包括的解決に向けた努力を始め、朝鮮半島平和プロセスを推進しました。

このような状況の進展を背景に、歴史的な南北首脳会談が実現し「6・15南北共同宣言」が採択されることになります。

米国も北朝鮮との2国間関係の根本的な改善をうたう「米朝共同コミュニケ」(2000年10月12日)を採択し、米朝首脳会談を準備するためにオルブライト国務長官が平壌を訪問するなど、米朝関係も急進展することとなります。

日本の小泉首相も平壌を訪問して「平壌宣言」(2002年9月17日)を採択し、国交交渉を推進します。朝鮮半島の冷戦構造解体のための平和プロセスが活気を帯びることになったのです。

(つづく)

(2017年6月24日「コリア閑話」より転載)