野生復帰したトラが自然に順応していることを確認

トラの生息地を脅かす木材を買わないためには、持続可能な方法で生産されたことを証明する「FSC認証」が付いた木材製品を選ぶことが大切です。
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2014年11月、極東ロシアのハバロフスク地方で、1頭のトラが集落に現れて犬を襲い、捕獲されました。半年にわたり野生復帰のための訓練を受けたこのトラは、2015年5月28日、野生に放されましたが、一度、人里に現れたトラは、再び同じ行動を繰り返す危険性があるため、その後も追跡調査が行なわれてきました。その結果、現在までの所、このトラが人里に近づくことなく、野生に順応し、獲物もしっかり捕らえていることが判明しました。この冬を無事に乗り越えられるかどうかが、今回のリハビリの成功を問う試金石になりそうです。

野生復帰した「ウポニー」

極東ロシアに生息するシベリアトラ(アムールトラ)は、2015年2月に行なわれた、大規模な調査の結果、個体数が最低でも523頭に上ることが明らかになりました。

これは、2005年の428~502頭から着実に増加していることを示す結果です。

しかし一方では、極東ロシアでは今も違法伐採や大規模な商業伐採による森林破壊が続いているため、トラの生息地の減少によって、トラが食物を求めて人里に現れる危険性も増加しているとみられます。

その一例として2014年11月には、ハバロフスク地方で1頭のトラが、集落に現れ、数頭の飼い犬を襲いました(関連記事)。

保護され、「ウポニー(頑固者)」と名付けられたこの3歳のオスのトラは、その後、リハビリ・センターで野生復帰のための訓練を、半年にわたり受けることになりました。

こうしたリハビリが必要とされる理由は、いくつかあります。

まず、人里にトラが現れ、捕えやすい家畜を襲う場合、その個体は怪我や病気などで弱っていたりすることが珍しくありません。

実際、保護されたこのウポニーもかなり衰弱していました。

とはいえ、直接人が触れる形でその回復に手を貸すと、トラが人に慣れ、恐れなくなってしまいます。

そのため、人が近づかずに回復の様子を観察する、カメラ付きの広い施設に入れ、自ら狩りができるようまでのリハビリを行なったのです。

放獣そして国立公園内での行動

2015年5月28日、リハビリを無事に終えたウポニーは、アニュイスキー国立公園に隣接する「トラのふるさと(Home of Tiger)」と呼ばれる山中に放されました。

しかし、再び人里に現れる可能性もあるため、ウポニーには発信機が付けられ、その後も追跡調査が行なわれてきました。

そして、2015年7月22日、発信機から得られたデータを分析した結果、ウポニーはアニュイスキー国立公園内に滞在していることがわかりました。

ウポニーの野生復帰と追跡調査に協力している、ロシア科学アカデミー極東支部生物・土壌研究所のアレクセイ・コスティリャ上席研究員によれば、現状は全て計画通りに進んでいるということです。

発信機は、安定して信号を送っており、研究者たちはウポニーが国立公園内の山中を移動していることを確認することができました。

一方、ウポニーのこうした移動は、追跡調査をより困難なものにします。

時に、調査チームは20kmもの道なき道を進み、ウポニーが滞在した場所に行き、そこで何をしていたかを確認しなければなりません。

6月~7月には、激しい雨によって、山中に流れる川を渡れなくなることもあります。

こうした困難な調査の結果、ウポニーのこれまでの移動ルートは、アカシカとイノシシが数多く生息し、飢える心配のない場所であることがわかりました。

イノシシの狩りに成功!

さらに、10月にも追跡調査が行なわれ、ウポニーは長い期間アニュイスキー国立公園に滞在していたことがわかりました。

調査チームは、ウポニーの移動を見逃さないようにモニタリングを続けており、3か所でのフィールド調査の結果、ウポニーが食べた大きなオスのイノシシの残骸も発見しました。

これにより、ウポニーが効率的に狩りを行ない、大きな草食動物を捕食していることがわかりました。

その後、ウポニーはさらに移動し、今も自分の縄張りとなる場所を探しているようです。また、ウポニーがメストラと出会った形跡はなく、まだ繁殖はしていないようです。

10月21日の時点では、ハバロフスク地方のコムソモリスク地区におり、野生復帰の日以降、人里や道路を避けながら700kmの距離を移動しています。

野生への順応と冬の試練

ウポニーは、これまでのところ人里から遠く離れた場所に滞在し、人工建造物に近づこうとしていません。

野生復帰の日以降、道路や古い林道さえも使っていないのです。

アムールトラセンター沿海支部長のセルゲイ・アラミレフは、「これまでのウポニーの行動に勇気づけられている」と言います。

とはいえ、油断は決してできません。ハバロフスク地方狩猟局のトラ衝突回避グループでは、今もウポニーの位置情報を受信しながら、出動態勢を整えています。

もしウポニーが人の居住地や幹線道路に近づき過ぎた場合、彼らは現場に急行し、人とトラの衝突を防ぎ、可能な限りトラを保護しなくてはならないのです。

もっとも、今のところは、このトラ衝突回避グループが出動する必要はなさそうです。

ウポニーの野生復帰は、これまでのところ順調に進んでいますが、本当の試練はこれから訪れる冬を乗り越えられるかどうかです。

この冬がウポニーのリハビリが本当に成功していたかどうかの試金石となります。

厳しい冬になればウポニーの生存能力が試されるため、専門家たちはこの冬の気候を心配しながら見守っています。

冬が終わるころには、発信機を付けた首輪も自動的に外れる予定です。

追跡調査で得られた貴重な経験とデータ

今回、ウポニーの追跡調査で得られた経験とデータは、関係機関にとって貴重なものとなりました。

ウポニーの保護、リハビリ、野生復帰といった一連のプログラムでは、関係する全ての行政機関や民間団体の意見をとりまとめ、正しく、論理的な行政手続きに従って実行されました。

これまでトラの野生復帰に関して、文書化された法律はありませんでしたが、そうした中で、今回得られた経験やデータは、これから必要とされる法整備に役立つと考えられています。

また、今後同様のトラを保護し、野生に放す際には、今回のデータを生かすことで、人との衝突といった潜在的な問題を回避することにもつながることが期待できます。

それは、絶滅のおそれのあるシベリアトラの保護と、人との共存を進めてゆく上で求められる、一つの手立てとなるものです。

第2のウポニーを生まないために日本の消費者ができること

ウポニーは人里に現れ、犬を襲いましたが、幸いにも保護され、野生に復帰することができました。

しかし、ウポニーのように保護されたトラが全て野生に復帰できるわけではなく、また人を襲ったトラは殺処分せざるをえないこともあります。

こうした悲劇をなくすためには、トラの生息地減少の原因となっている違法伐採や破壊的な大規模商業伐採を防止することが重要です。

そのために、日本の消費者としてできることがあります。

極東ロシアで違法に伐採された木材は、中国で建材や家具に加工された後、日本へと輸出されている可能性があるのです。

こうしたトラの生息地を脅かす木材を買わないためには、持続可能な方法で生産されたことを証明する「FSC認証」が付いた木材製品を選ぶことが大切です。

WWFは、極東ロシアでトラの保護と森林保全に取り組むとともに、日本では企業や消費者に対してFSC認証材の調達・購買を働きかけていきます。

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人類が滅ぼした絶滅動物
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ドードー(1681年ごろ絶滅)\n\nマダガスカル沖のモーリシャス島に生息していた鳥類。七面鳥のようにでっぷりと太った外見だがハトの仲間と言われている。空を飛べず地上をよたよた歩いていたが、大航海時代にヨーロッパ人が乱獲したことが一因で絶滅した。ルイス・キャロルの小説「不思議の国のアリス」にも登場している。 (credit:Wikimedia)
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フォークランドオオカミ(1876年絶滅)\n\n南米アルゼンチン東方のフォークランドに生息していたイヌ類の動物。オオカミとの名前がついているがキツネの近縁だ。フォークランド諸島唯一の肉食動物だったが、西洋人が移入してからは家畜に被害があるとの理由で、オオカミ狩りが行われ、急速に絶滅の道を歩んだ。 (credit:WikiMedia:)
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ニホンオオカミ(1905年絶滅)\n\n日本に生息していたオオカミの一種。絶滅前の正確な資料がなく、生態はほとんど分かっていない。絶滅の原因は、明治以降に西洋犬が入ったことに伴い流行した家畜伝染病や、生息地の分断などが考えられている。 (credit:シーボルト「日本動物誌」)
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ニホンカワウソ(1979年絶滅)\n\nイタチ科のほ乳類で全長1メートル前後、清流を好み、河童のモデルともいわれてきた 日本の近代化とともに河川環境が悪化、さらに毛皮をとる目的で捕獲され、次第に生息域を減らしていった。1979年に高知県須崎市で目撃されたのが最後の姿だった。 (credit:須崎市役所)
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オガサワラカラスバト(1889年絶滅)\n\n日本の小笠原諸島に生息していたハトの一種。島の開拓による生息環境の破壊と、外部から移入したネズミ、ヤギ等による卵の食害などが影響して絶滅したと見られている。 (credit:Wikimedia)
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ピンタゾウガメ(2012年絶滅)\n\nガラパゴスゾウガメの亜種。ガラパゴス諸島のピンタ島に生息していた。最後の生き残りの「ロンサム・ジョージ」(写真)が2012年に死んだことで絶滅したとみられている。 (credit:WikiMedia:)