東芝不正会計問題、功罪残した西田流辣腕経営

東芝アメリカの元幹部、トム・スコット氏は、東芝の元社長で相談役だった西田厚聡氏(71)を常に高い業績を求める手強い上司として記憶している。
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Toshiba Corporation Chairman, Atsutoshi Nishida of Japan attends a session of the World Economic Forum Annual Meeting 2013 on January 26, 2013 at the Swiss resort of Davos. The World Economic Forum (WEF) will take place from January 23 to 27. AFP PHOTO / JOHANNES EISELE (Photo credit should read JOHANNES EISELE/AFP/Getty Images)
JOHANNES EISELE via Getty Images

[東京 25日 ロイター] - 東芝アメリカの元幹部、トム・スコット氏は、東芝の元社長で相談役だった西田厚聡氏(71)を常に高い業績を求める手強い上司として記憶している。部下にやる気を起こさせる人物だったが、突きつけてくる販売目標は厳しく、時として恐れられることもあったという。

「彼が求めてきたのは、私が縮み上がるような目標だった」──。1990年代に東芝アメリカのパソコン(PC)部門で西田氏と働き、彼の陣頭指揮に強い印象を持ったスコット氏は言う。「情け容赦のない、第二次世界大戦のパットン将軍のようなところがあったが、尊敬に値する人だ。彼の要求は本当に厳しかったが、私も皆も彼からは多くを学んだ」。

攻撃的とも言える西田氏の仕事への取り組みは、イランでの現地採用から東芝グループのトップに上り詰めるという異例の経歴を実現する原動力にもなった。しかし、東芝が大がかりな会計不正発覚に揺れる中、同氏は先月21日、その責任をとって、他の社長経験者2人とともに辞任。そして、かつて同社の躍進をもたらした西田氏のらつ腕ぶりが、会社ぐるみの利益操作という企業スキャンダルの渦中で厳しい視線にさらされている。

<非現実的な業務目標>

東芝社史に大きな汚点を残した不正会計問題に、西田氏はどう関与したのか。同社の第三者委員会は、先月発表した調査報告で、不正と見られる行為が始まったのは西田氏の社長時代だったと指摘している。当時の西田社長は非現実的とも言える業務目標を掲げ、部下に達成を迫った。その経営姿勢は、後任の佐々木則夫、田中久雄の歴代社長にも引き継がれ、今年初めに証券取引等監視委員会への内部告発で表沙汰になるまで、同社内では利益を水増しする不正会計が続いていた。

利益操作の手段として、同社内に広がっていたのは「押し込み」と呼ばれる行為だ。製造外注先に部品を販売する際、必要以上の数量を不当に高い「マスキング価格」で押しつける手法で、その水増し分により、見かけ上の利益をかさ上げできる。

第三者委によると、当時の西田社長から厳しい収益目標の実現を迫られたPC部門は、「押し込み」を実行せざるを得ない状況に追い込まれていた。同委の聞き取りの中で、西田氏は同部門の利益改善は部品調達先との価格交渉の結果であると答え、「押し込み」だったとの認識を否定。これに対し、同委は西田氏がそれを許容していたとは断定していないものの、同事業を熟知していた同氏の立場や同社内部から得た情報を踏まえ、西田氏の説明は「合理的とは言えない」と疑義を示している。

しかし、なぜ西田氏がそれほど厳しく財務目標の達成を追い求め、佐々木、田中両氏がそれを引き継いだのか、294ページに上る同委の報告書にはほとんど記されていない。

ロイターは10人を超える西田氏の知人らに取材を行い、さらに同氏との過去のインタビューや決算報告などから、その背景を探った。そこから浮かんできたのは、企業トップとして名声を高め、「財界総理」とも呼ばれる経済団体連合会の会長を射止めようとした野心に満ちた経営者の姿だった。

「西田氏は強い意志を持ち、積極的な人物だ。偉大な実業家とみなされたがっていたし、経団連トップの座を望んでいた」と旧知の間柄にある人物は語った。

これについて西田氏は、ロイターへのコメントを拒否。同社広報も、西田氏への取材要請に応じていない。

<土光敏夫氏との出会い>

西田氏は1970年に東京大学大学院・法学政治学研究科の修士課程を修了した。欧州の哲学者・数学者であるエトムント・フッサールの超越論的観念論を研究し、共に学んでいたイラン人女性と結婚後、テヘランに渡った。そして、西田氏は東芝の現地事務所の社員として採用される。

イランに東芝の現地法人を設立することを決めたのは、1965年から東芝の社長を務めていた土光敏夫氏。後に経団連会長としても活躍し、旧国鉄の民営化や政府による複数の改革に携わった土光氏の存在は西田氏に強い影響を及ぼした。土光氏がそうであったように、西田もまた政界など幅広く影響力を持つ大物経営者を目指した、と周囲は言う。

元東芝社長で、現日本郵政社長の西室泰三氏(東芝相談役)によれば、野心的な業績目標を掲げることを「チャレンジ」と呼び、東芝の経営に持ち込んだのも土光氏だった。

調査報告によると、この「チャレンジ」という言葉は、西田氏、佐々木氏、田中氏の歴代3社長も、実現不可能な目標を事業部門に要求する際、特に役員らが参加する「社長月例」というトップ会議でしばしば口にしたという。

西田氏は2005年に社長に就任した際、投資家の信認を築くことが最優先との姿勢を明確にした。折しも多くの日本企業が四半期ごとの決算発表に動き出し、日本株を持つ海外の投資ファンドから利益拡大の圧力が強まっていた。前任者の岡村正氏とは違う西田氏の言葉には、そうした時代の変化も読み取れる。

当時のロイターとのインタビューで、西田氏は「2000年からは(業務目標を)毎年1回もクリアしたことがない。それが市場の信頼を損なっている。東芝の数字は結構堅い数字だということをわかってもらうことからスタートしなければいけない」と語っている。

<PCの王者>

東芝社内で西田氏の存在感が高まった決定的な要因のひとつは、1980年代に彼が下したラップトップ開発推進の決断だった。当時の東芝経営陣は市場実績のないラップトップ開発には消極的だったが、その懸念をよそに、西田氏は「欧米で1万台を売る」と宣言、販売に踏み切った。

1985年に欧州市場で売り出されたのは、世界初のIBM互換ラップトップ「T1100」。米国、日本などでも売れ行きが伸び、同氏の野心的な販売目標はほぼ達成された。この成功はその後、東芝製品が90年代の大半を通じて世界のラップトップ市場をリードする先駆けとなった。

「当時、ラップトップ市場の潜在力を理解している人はほとんどなく、西田氏はその数少ない1人だった」と、同社のエンジニアだった菅正雄氏は話す。「西田氏が販売を広げた中心人物だった」。

2000年初頭にかけIT業界を襲ったインターネット・バブルの崩壊で、東芝のPC事業は赤字に転落。その黒字化を託された西田氏は、設計・製造の外注や部品取引方式の刷新など様々な改革を実施、2004年度に目標を実現した。

しかし、2008年の金融危機でPC事業の収益が悪化する中、この新しい部品取引方式が会計操作の手段に変質する。

東芝の不正会計問題を調べた第三者委員会の報告によると、社長に就任した西田氏はPC担当部門に徹底した収益改善を繰り返し命令、現場は「押し込み」に傾き、製造外注先に売却する部品価格を釣り上げて利益確保を狙った。

2009年1月の会議で、2008年度下半期の営業損益が184億円の赤字になるとの報告を受けた西田氏は、その赤字を少なくとも100億円縮小するよう要求。第三者委によると、同氏は「死に物狂いでやってくれ」、「事業を死守したいなら、最低100億円やること。頑張れ」などと、利益拡大を求めたという。

さらに2月の「社長月例」会議で、PC部門の営業赤字が237億円に増えるとの見通しを聞くと、同氏は「チャレンジ」として160億円の収支改善を指示。最終的に、PC部門は「押し込み」による部品取引の操作によって、計上する赤字を92億円に食い止めた。

同社による不正会計はインフラ事業、テレビ事業、半導体事業などその他の部門にも及んでいるが、部品売却価格の操作によって捻出したPC事業の「利益」は、不正会計による水増し分の3分の1以上を占め、最大の問題になっている。

西田氏は2009年に会長に就任。後任の新社長となった佐々木氏のもと、円高や東日本大震災、さらにPC事業が事業の低迷に直面した同社は、利益水増しを一段と加速させた、と報告書は述べている。これについて佐々木氏はロイターからの取材要請には応じていない。

佐々木氏はしばしば前任の西田氏から東芝の業績を改善するよう強い圧力を受けていた、と事情を知る関係者は話す。

東芝の不正会計問題については証券監視委が調査を続けており、関係者によれば、有価証券報告書の虚偽記載として同社に課徴金を科すよう金融庁に勧告する可能性がある。

<幻に終わった「経団連会長」>

2009年に東芝会長に就任した西田氏は経団連副会長にも指名され、当時、経団連会長だったキヤノンの御手洗冨士夫社長の後任候補の1人にもなった。結局、御手洗氏の後任には米倉弘昌・住友化学会長が就いたが、西田氏は次の会長交代にも意欲を示していたという。

その見方を裏付けるように、西田氏は2013年、田中久雄氏を東芝の社長に押す一方、自らは会長職を手放さなかった。自分の後任だった佐々木氏を副会長とし、事実上、わきに追いやるという動きだった、と関係者は話す。経団連会長ポストには優良大企業の会長か社長が就くのが通例。東芝会長の職にとどまれば、西田氏にはそうした「資格」が残ることになる。

だが、その一方で、西田氏と佐々木氏の軋轢(あつれき)は深まっていた。2013年のある記者会見で、両氏の対立が表沙汰になった。東芝の新しい社長となった田中氏のお披露目会見で、西田氏は「利益水準はグローバルレベルからすると低い」と佐々木氏の社長としての経営手腕を批判、これに対し佐々木氏も、記者団に「ちゃんと数字を出しているので文句を言われる筋合いはない」と反論する一幕があった。

しかし、皮肉にも、こうした西田氏の動きが経団連会長ポストへの道を閉ざしてしまった、と周囲の関係者はみる。「財界総理」として日本の経済界を代表し、政治家とも連携する立場になるには、威厳も適性も欠いている、との見方だ。

「出る杭は打たれるということわざ通り、西田氏はあまりに派手に動きすぎてしまったのだろう」とある関係者は振り返った。また、東芝の大物OBは「西田さんが東芝のトップになったのは彼のアグレッシブさがあったからだが、それがその後の問題発生の要因になったことは否定できない」と指摘している。

過度な「利益至上主義」の背景として指摘される西田氏の経営姿勢とともに、会社ぐるみの不正会計を防げなかった東芝のガバナンスのあり方も強い批判にさらされている。9月下旬の新経営体制は、西田氏に代わって東芝の裏舞台で存在感を増す西室相談役の強い影響力で発足するが、再発防止の仕組みをどこまで構築できるかが問われている。

(ネイサン・レイン、安藤律子 取材協力:村井令二、浜田健太郎、浦中大我、竹中清 翻訳編集:加藤京子、北松克朗)