臨床研究不正問題 「ランセット」誌は日本からのメッセージを待っている

世界で最も権威ある医学雑誌のひとつである英国「ランセット」誌に掲載された降圧剤バルサルタンの臨床試験(Jikei Heart Study)が、9月7日付けで同誌から撤回された。京都大学の由井芳樹博士の一通のレターから始まった我が国の医学研究史上おそらく最大のスキャンダルは大きな節目を迎えた。
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世界で最も権威ある医学雑誌のひとつである英国「ランセット」誌に掲載された降圧剤バルサルタンの臨床試験(Jikei Heart Study)が、9月7日付けで同誌から撤回された。京都大学の由井芳樹博士の一通のレターから始まった我が国の医学研究史上おそらく最大のスキャンダルは大きな節目を迎えた。

降圧効果に加えて心筋梗塞や脳卒中などの予防効果があるということを示したかに見えたその研究は、バルサルタンの販売促進に使われ、莫大な収益を生み出した。

しかし、その予防効果に関するデータは全てねつ造されていたのである。しかも、他の4つの大学で行われた同様の臨床試験でもデータねつ造が行われていた可能性が高いことが指摘されている。関係者(製薬企業、大学研究者等)の言い分は異なるが、これは特定の個人に帰する問題ではなく、構造的なものであろう。

「ランセット」誌の編集部は、データねつ造の可能性や製薬企業からの研究参加が明示されていない等の理由から、「この論文の結果はもはや信用できない。科学的記録から撤回すべきであると判断した」と述べている。

この論文の撤回までのプロセスも紆余曲折があったと編集部から聞いた。きちんとけじめをつけないと、さらに信用を失うことは世界のどこでも一緒だ。世界最高の医学雑誌の編集部と世界の医学研究者の間で、今回の一件は大きなトラウマとして残るであろう。

信頼回復への唯一の道は、真相解明と再発防止を国内のみならず国際的に明確なメッセージとして発信することである。しかも出来るだけ早くにだ。原発事故とその後の対応の遅れによる信頼の喪失を見れば、それは明らかであろう。

今回の臨床試験の不正は、各省の縦割りを排して医療分野の研究開発を加速させるとして、政府が成長戦略の一環として進めている「日本版NIH」構想に暗い影を落としている。その理由は、今後の医学研究、特に創薬は国境を越えた連携が必須だからだ。「日本版NIH」とは、創設を担う確証そして、国際連携には信用が欠かせないのだ。

現在の「日本版NIH」の予算規模は必ずしも充分とはいえない。であればこそ、それを呼び水に、民間企業や財団からの研究資金やベンチャーキャピタルからの投資が絶対に必要である。また、3万から5万の化合物から一つでも市場に出る薬ができれば幸運という創薬の世界で、リスクを減らし製品化の効率を上げるには、創薬のあらゆるレベルで国際連携を進め、特に創薬プロセスでのイノベーションを強化していく必要がある。

実際に、途上国向けの創薬の世界では、米国NIH(米国立衛研究所)、製薬企業、ビル&メリンダ・ゲイツ財団(ゲイツ財団)やウエルカム・トラストなどの民間財団が出資し、臨床試験から製品開発までを行うための「商品開発パートナーシップ(PDP)」が興隆しており、短期間で15を越える薬やワクチンが開発されている。

国際連携で必要なことは、連携相手に能力があるかどうか、そして、信頼できるかどうかである。同僚の教授の言葉を借りれば、「医薬品の研究開発の成功には、そのネタ(シーズ、ターゲット)の質だけではなく、それを誰が、いつ、どのように開発するかが同じくらい重要」、「勝利者になるのは、たいてい、好きな時に、好きな相手と一緒に、好きなところで、好きなように 研究開発し、製品化した者」なのである。

それは、ほぼ毎月の出張で各国の研究者や財団関係者と会うたびに実感することである。そういう枠組みに日本が入り、日本人がリードできるようにならなければいけない。

「日本版NIH」は、今回のバルサルタン事件で地に落ちたわが国の臨床試験の国際的信用を取り戻す最大で最後のチャンスかもしれない。

そのためには、政府が責任を持ってバルサルタン事件の真相解明と研究不正予防策を迅速に実施し、安部首相が「わが国は「日本版NIH」を通して最高レベルのサイエンスの健全性、説明責任と社会的責任を追求し、世界の研究機関、民間企業や財団との連携を推進し、世界の保健医療に貢献していく」ことを世界に宣言することだ。

オリンピック招致で見せた日本の強さを、世界の医学研究分野で見せることは必ずできる。

そうすれば、「ランセット」誌も喜んで日本からのそのメッセージを掲載してくれるはずだ。