ウクライナ危機と新たな東西冷戦(下)

「ロシアのクリミア半島併合は、19世紀や20世紀の手法である。ウクライナの主権と国際法を破る行為を断じて受け入れることはできない」。2014年3月14日、ドイツのメルケル首相は連邦議会での演説で、ロシアを非難した。
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Local residents gather outside a building in the eastern Ukrainian city of Debaltseve on February 20, 2015. Germany and France demanded that a crumbling Ukraine truce be 'fully respected' even as pro-Russian rebels celebrated a battlefield victory in a strategic town and exchanged artillery fire elsewhere with government troops.AFP PHOTO/ ANDREY BORODULIN (Photo credit should read ANDREY BORODULIN/AFP/Getty Images)
ANDREY BORODULIN via Getty Images

「ロシアのクリミア半島併合は、19世紀や20世紀の手法である。ウクライナの主権と国際法を破る行為を断じて受け入れることはできない」。2014年3月14日、ドイツのメルケル首相は連邦議会での演説で、ロシアを非難した。

*ウクライナ危機でもリーダー役を期待されるドイツ

前回お伝えしたように、ウクライナ暫定政権に当初反ユダヤ主義の色彩が濃い極右政党が参加していたことは事実だが、欧州連合(EU)はこの政権を支持せざるを得ない。「何者も国境を勝手に変更してはならない」というのが、今日の欧州の原則であり、ウクライナは被害者である。同国は貧しい国であり、ロシアへの天然ガスの代金の支払いすら滞ることがある。このためEUは同国に110億ユーロ(1兆5400億円・1ユーロ=140円換算)の資金援助を行うことを決めた。

欧州では、ウクライナ危機への対応でも、ドイツにリーダー役を期待する声が高まっている。ドイツはユーロ危機による不況によって大きな悪影響を受けず、経済的に余裕がある。さらにロシアとは歴史的に関係が深い。

だがEU加盟国の態度には、微妙な温度差が見られる。ウクライナに国境を接するポーランドや、かつてロシアに併合されていたバルト三国では、「ロシアに対し厳しい制裁措置を取るべきだ」という声が強い。

これに対し、EU第2の大国フランスはウクライナから地理的に遠い上に、ユーロ危機による不況の影響を克服することで手一杯だ。また英国は、ロシアの富豪たちの最大の投資先となっているため、経済制裁に消極的である。

ドイツも本音では、ロシアに対し厳しい経済制裁を実施したくない。ドイツの工業製品の輸出先である同国との経済関係にひびが入るからだ。ドイツは単独の国としてはロシアとの貿易額が最大。6300社のドイツ企業がロシアに生産や営業活動の拠点を置いている。投資額は200億ユーロ(2兆8000億円)に達する。同国は天然ガス輸入量の35%をロシアに依存している。

しかしEUのリーダー役という責任を担わされたドイツは、ロシアへの厳しい対応を求める東欧諸国の訴えを無視することはできない。メルケルの決意は「欧州の時計の針を19世紀や20世紀に逆戻りさせてはならない」という言葉に表れている。

ドイツの保守系日刊紙「フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)」は、「プーチンは、クリミア占領によって既成事実を積み重ねようとしている。彼の政治的な計算は、欧米とは異次元の物だ。プーチンがいつかは理性を取り戻すという期待は、裏切られるだろう。欧米は抑止的な手段によって、プーチンに"ここから先へ行ってはならない"という明確な境界線を引くべきだ」と述べ、冷戦時代を思わせる強硬な論陣を張った。

またFAZ紙のK・D・フランケンベルガー記者は、「現在ドイツの経済力と政治的な影響力は、戦後最高の水準に達しているが、欧州諸国はウクライナ危機においてもドイツが指導権を握ることを期待している。今日の欧州で、プーチンに影響力を行使できるだけの権威を持った政治家は、メルケル首相以外にいない」と述べ、ドイツが安全保障の世界でも重要なプレーヤーとなる可能性を指摘。「この外交紛争は、EUの将来の安全保障政策を規定する節目(defining moment)になるだろう」と予測する。

*EUの「地政学的発想の欠如」

一方ドイツでは、EUの過去の対ロシア政策に、戦略的な視点が欠けていたことについての批判も強まっている。ベルリン・フンボルト大学の政治学者H・ミュンクラー教授は、「EUの東方拡大が、地政学的な視点を持たない官僚たちによって進められたことが原因の一つ」と指摘する。

「ベルリンの壁とソ連の崩壊以来、ロシアは版図を縮小されるという屈辱を味わい続けてきた。EU官僚たちは、外国に包囲されることを脅威と感じる、ロシア特有のメンタリティーに十分に配慮せずに、事務的に東方拡大を続けてきた。彼らは過去の歴史について無知であるために、EUとウクライナとの提携条約が、どれほどロシア人の感情を逆なでするかについて、思いを致さなかった」と指摘。「プーチンがクリミアに軍を送ってロシアに編入したのは、これ以上EUによって面目をつぶされることについての不安からだろう」と分析する。

さらにミュンクラー教授は、「ソ連という帝国が分裂して、多くの小国が誕生した。これらの小国は、クリミア半島やウクライナ東部のように、複数の民族が共存する地域を抱える。これは、第一次世界大戦の火薬庫となったバルカン半島に似ている」と述べて、ウクライナ問題の潜在的な危険性を指摘。

*クリミアとコソボは比較できない

ところで日本では「米国と西欧はセルビアを軍事攻撃し、セルビアの一自治区だったコソボを強制的に独立させたのだから、ロシアのクリミア併合を批判する資格はない」という声をよく聞く。プーチンもコソボの例を挙げて、欧米を批判している。

だが、私の見解ではコソボとクリミアを比較することはできない。コソボの住民の大半は、アルバニア系のイスラム教徒である。彼らが90年代に置かれていた状況は、ウクライナのロシア系住民よりも悲惨だった。

セルビアは1989年からアルバニア系住民を弾圧していた。1998年にはセルビアが軍や武装警察をコソボに投入し、アルバニア系テロ組織との間で激しい戦闘を展開。住民たちは故郷を追われてコソボ領内で難民となった。両派の間では虐殺事件も多発。1999年1月には、コソボのレチャクという村で、46人のアルバニア系住民が虐殺された。

旧ユーゴでは、1991年から4年間にわたりスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツゴヴィナでセルビア派武装勢力とその他の民族が内戦を繰り広げ、10万人を超える死者が出た。多くの市民が「民族浄化」によって故郷から追われた。

このため米国と西欧諸国は、コソボでも同様な事態が起こるのを防ぐために軍事介入を決定。だが国連安全保障理事会の承認は得なかった。ロシアと中国が「コソボ紛争は国内問題だ」として欧米の意向に反対していたからである。1999年3月24日に、北大西洋条約機構(NATO)軍はセルビア軍に対する攻撃を開始し、コソボから撤退させた。コソボは国連軍の監視下に置かれ、2008年にセルビアから独立した。

このようにコソボでは欧米の軍事介入前から事実上の内戦が起きており、人道的な理由からアルバニア系住民をセルビア軍の攻撃から救う必要があった。

クリミア半島では、ロシア系住民がウクライナ政府によって弾圧されたり、虐殺されたりするような事態は起きていなかった。プーチンは「そのような事態を防ぐために、クリミア半島を併合した」と主張するが、軍を送るほどの緊急事態ではなかった。メルケル首相も「コソボとクリミア半島の状況を比較するのは、恥ずべきことだ」と真っ向から反論している。

欧米諸国は、ウクライナ内戦の停戦すら実現できずにいる。いわんやロシアによるクリミア併合を解消することは、はるかに難しい。だが欧米がクリミア併合を既成事実化した場合、バルト三国やポーランドの不安感は一段と高まるに違いない。

EUもNATOも、プーチンがどこまでロシアの勢力範囲を拡大すれば矛を収めるのかが、読み切れていない。

ウクライナ危機、そしてロシアと欧米の対立が長期化することだけは、確実だろう。

保険毎日新聞連載コラムに加筆の上転載

(文・ミュンヘン在住 熊谷 徹)

筆者ホームページ: http://www.tkumagai.de