参議院選挙総括―誰が負けたのか?

参議院選挙が終わりました。勝ったのは明らかに与党です。ところが、野党からもそれほどの悲壮感は伝わってきません。

勝ったのは与党

参議院選挙が終わりました。自公で過半数を大きく上回る143議席を確保し、いわゆる改憲勢力で2/3の162議席を確保しました。公明党を改憲勢力と形容するのが適切かどうかはともかく、憲法審査会が動かされ、改憲が具体的な政治日程に上ってくることになるでしょう。政権は、アベノミクスが信任されたと高らかに宣言しているし、勝ったのは明らかに与党です。

ところが、野党からもそれほどの悲壮感は伝わってきません。客観的には惨敗なのですが、一人区では野党共闘の効果もあって野党の11勝22敗と、少なくとも3年前よりは善戦しました。被災地3県と沖縄で勝利したことに一定の大義を主張する者もあり、敗戦をきっかけとした自浄作用さえ期待できない状況です。

負けたのは誰かというのが重要な問いです。結論めいたことを言うとすると、負けたのは、日本が進んでいく方向性に変化を望んでいる層です。選挙戦が盛り上がらないということは、既得権益が有利であったということですが、そのとおりとなりました。

自公は過半数を得たわけですから、アベノミクスを継続します。これは、民主主義のルールどおりですから当然でしょう。しかし、東北で1勝5敗だったということは、自民党内に一定の危機感を生むことでしょう。これまでも、それほど農業改革が進んでいたわけではありませんが、TPPを推進していく機運はそがれ、農村振興的なバラマキ予算が組まれるのは間違いないでしょう。

民進党においても、選挙戦で底力を見せたのは労組色の強い左派系の候補でした。しかも、負けをそれほど意識していないとくれば、民進党における党内力学の変化も野党再建も期待できません。共産党が議席を伸ばし、野党共闘は正しかったという整理さえ成立しかねません。日本政治から政権交代の緊張感が消え、野党は自らの存在意義を自民党を懲らしめるだけのものへと矮小化してしまいました。

今回の選挙結果を受けて、自民党はよりバラマキ的となり、野党はより左派的となるのです。55年体制を彷彿とさせるところまで、時計の針は戻っています。

いい加減な選挙結果の解釈を生むもの

負けたのは、変化を望む国民だけではありません。私は、メディアは明確な敗者であると思っています。言論と報道に携わる者として、忸怩たる思いです。選挙結果からは、「アベノミクスは信任された」という結論を導くことは容易いけれど、そもそも、公約であった消費増税を先送りせざるを得なかったわけですから、経済が力強い状態にはないということも確かです。

それらの事実を受け、ある者はアベノミクスの中でも実質的にはほとんど進んでいない構造改革に今こそ力を入れるべきという結論に達するでしょう。金融緩和と財政政策で短期的に景気を刺激する中で、中長期に効果を期待すべき構造改革を実施して、日本の潜在成長率を高めるべきである、と。

混合診療を解禁して医療マーケットを創出するにせよ、農業への株式会社参入や農地取得の自由化を通じて生産性を高めるなど、20年来の改革テーマはとっくに出揃っています。あとは、やる意思があるかどうかという状況です。

しかし、またある者はアベノミクスの恩恵を拡散していくために、むしろ、財政政策を強化していくべきであるという結論を主張するでしょう。特に、自民党が苦戦を強いられた地域にはアベノミクスの恩恵が行き渡っていないから、従来型の公共事業を大盤振る舞いして景気を底上げしよう、と。新しい市場が立ち上がることもなく、生産性が上がることもないけれど、そんなきれいごとは言っていられない、と。

そして、政権と近しい関係にある業界が一時的に潤うことはあっても、地方の苦境は続き、人口減少に歯止めはかからず、日本は粛々と衰退の道を進んでいくことになります。

選挙の結果を解釈し、アベノミクスを修正する方向性によっては、日本が進んでいく方向性が真逆になってしまうのです。なんでそんなことが起きてしまうかというと、選挙前に、メディアが十分に厳しい質問を発することで、政策決定にかかる当事者達を十分に追い詰めることができなかったからです。もちろん、野党の力不足でもあるわけですが、彼らは一応は議席減という形で審判を受けています。

メディアは、アベノミクスのどこが不足していたのか、政権を詰め続けることはできたはずです。選挙前の討論において、野党は実質賃金が上昇しいないということを盛んに主張していましたが、賃金は遅行指数であり、雇用者総所得の実質は上昇しているという「答え」ははっきりしていました。

メディアは、野党の勉強不足と経済音痴を垂れ流すのではなく、そのことを指摘したうえで、より噛み合った、より本質に迫る質問を促すことはできたはずです。

選挙制度の不備

変化を望む層が負けたことには構造的な原因も存在します。参議院の選挙制度には既得権層を過大に代表させるという不備が存在するからです。

分かりやすいのは、投票価値の不平等、いわゆる一票の格差です。今次選挙においては、2013年の選挙が5倍近い違憲状態と判断されたため、合区を導入するなどの制度改変は行われましたが、それでも、3倍以上の格差が温存されました。

加えて、一部の専門家が繰り返し指摘しながら(菅原琢「メディアが報じない参院選挙制度の「隠れた欠陥」」現代ビジネス)、ほとんどメディアに取り上げられないのが、地方では小選挙区制を採り、都会では大選挙区制を採る現行制度の効果です。

結論から言うと、現行制度は農村に地盤を持つ政党に圧倒的に有利です。というのも、田舎の1人区は勝者総取りで議席を独占できる一方で、都会のでは複数区では少数の支持でも議席は確保はできるからです。結果として、選挙区における勝敗には、農村票の影響力が圧倒的なのです。

比例区の方も深刻な課題を抱えています。現行の比例区は、政党名を書いても、個人名を書いてもいいことになっており、政党名と個人名を合算した票数を下に各党に議席が配分されます。ところが、実際の議席は個人名の投票数が多い候補から獲得していくのです。比例では政党名を書くという有権者も多いでしょうが、彼らの票は、相対的に個人の獲得票が多かった議員に配分されるのです。

結果は大変に示唆的です。自民党で比例の議席を得ているのは旧来型の組織候補です。ほとんどの候補者が、郵政関連、農協関連、医師会関連、宗教関連、そして保守的なイデオロギー団体の支持を受ける候補です。野党の側も状況は似たり寄ったりで、民進党の比例当選者は労組関係者がズラリ。まあ、団体の支持を得ないとすれば、知名度一本勝負ということで元アイドルということになったりするわけですけれど。

現状維持の暴力

参議院選挙の結果は、与党の勝利であり、改革勢力の敗北でした。事実として、そうであったということを噛みしめるところから始めるべきでしょう。と同時に、「現状維持の暴力」とも言える状況について考えずにはいられません。日本は、国民全体の高齢化と、様々な制度上の結果として、強い現状維持のバイアスが存在します。

何かを変えようと声をあげ、行動を起こす者に対して、激しい批判と有形無形の圧力がかかります。現状を打開することで不利益を被る層がはっきりしており、彼らが生存本能の一環として死に物狂いで抵抗するからです。

対して、現状維持の結果として温存される不正義に対して社会はあまりにも冷淡です。現状維持のマイナス点は見えにくいということはあるでしょうが、それ以上に、日本社会にはあらゆる変化に対する拒否感が存在します。あらゆる改革は当初から完璧でなければならず、変化に対して不利益を被る層が存在してはならない、との前提を置くことで、改革は始まる前から頓挫してしまいます。そして、現状の下で苦しむ層が残るのです。

今回の参議院選挙を一つのきっかけとして、経済の成長性は高まっていくでしょうか。2年半後には、消費増税を行っても経済が腰折れしないところまで景気は回復するのでしょうか。2020年にプライマリーバランスが黒字化し、財政の底が抜ける状況は回避できるのでしょうか。雇用が回復する中で、非正規労働者の待遇も改善し、適切な改革によって正規労働者との格差は解消されていくのでしょうか。若者が家族を持つことができ、人口減少に歯止めがかかってくるのでしょうか。待機児童が解消され、女性が活躍し、男女平等がより達成されていくでしょうか。農業の生産性が高まり、農家の収入が上昇して、地方は活性化するのでしょうか。

そんな未来を信じている者は、おそらくほとんどいないでしょう。

それでも、日本人は現状維持を選びました。現状維持の結果として温存される暴力が顧みられることはありませんでした。そこには、特定の政党の勝敗という次元を超えた日本というシステムの失敗があります。ただし、絶望もまた、現状維持に加担することがある。絶望することなく、いやむしろ、正しく絶望したのちに再び歩み始めるのです。

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(2016年7月11日「山猫日記」より転載)