【衆院選2014】無所属・移籍...「みんなの党」その後 発祥の地・栃木ルポ

無所属で立つ候補、他党に鞍替えした候補。衆院選公示の日に発祥の地・栃木県を巡り、「みんなの党」のその後を見た。
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Taichiro Yoshino

衆院選が12月2日、公示され、全国で1191人が立候補した。自民党でも民主党でもない「第三極」候補の大幅減で、候補者は前回2012年より約2割減った。中でも公示直前の11月28日にあった「みんなの党」解党は、「第三極」の衰退を象徴する出来事だった。

無所属で立つ候補、他党に鞍替えした候補。公示の日に発祥の地・栃木県を巡り、「みんなの党」のその後を見た。

■支持者の夢は自民復党?

晴れ渡る青空の下、彼方に見える那須連山はうっすらと雪化粧していた。南北に連なる山々から平野部に降りてくる空っ風は、栃木県北部・那須地区の冬の名物だ。

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「みんなの党に期待した方々に心からおわび申し上げなければなりません。党は消えても喜美は消えず。私の信念は渡辺美智雄から受け継いだそのもの。私にやり残したことをやらせてください。渡辺美智雄がやり残したこと、そのものです」

午前11時。空っ風が吹き付ける那須塩原市のレストラン駐車場で、元「みんなの党」代表の渡辺喜美氏(62)は出陣式に臨み、無所属候補として「渡辺美智雄」の名を連呼していた。化粧品会社DHC会長からの8億円借入問題など、かつてない逆風が吹き付ける選挙となった。喜美氏の父で蔵相や外相を歴任した「ミッチー」こと故・渡辺美智雄氏は、死後20年近く経った今でも絶大な人気を誇る。「今回ばかりは、積極的に先代のご威光に頼らないといけないかもしれない」と、陣営の一人が頭を抱えた。

解党で、国会議員や立候補予定者の多くが民主党や次世代の党などに去った。渡辺氏は総選挙前の新党旗揚げも模索したが、断念した。関係者によると、地元の支持者の間では、新党に難色を示す声が圧倒的だったという。

背景に「みんなの党」結党時の記憶がある。「既得権打破」などの政策を掲げて2009年に旗揚げし、主に都市部で人気を得てきた「みんなの党」だったが、栃木3区は農村地帯。喜美氏が1996年以来、衆院選で苦戦しなかったのは「美智雄氏の息子」という地盤と「自民党公認」という看板があったからだ。それが自民党を離党し、野党になったことで、支持者の陳情は中央に届きにくくなった。地方議員の一人は「国政で掲げた『脱官僚』や『身を切る改革』『しがらみのない政治』は、農村地帯の実情には当てはまらなかった」と振り返る。

みんなの党解党で、地元には不思議な安堵感が漂う。牧場を営む60代の支持者の一人は「喜美さんは安倍さんとも仲いいっていう話だし、すぐにとはいかなくても、(自民党に)戻ってくれればと思ってんだ」と話す。

ただ、自民党は前回2012年の衆院選で、栃木3区に初めて喜美氏以外の公認候補、簗和生氏(35)を擁立し、比例で復活当選を果たした。今回も「3区には与党議員が必要。国とのパイプの強化」を訴え「『渡辺』と投票用紙に書けば安心」という地盤への切り込みを図る。自民党離党後、古巣への対抗意識をむき出しにしてきた喜美氏に、関係者は敵意を隠さない。「自民復党なんて、たとえ安倍首相が許しても、県連が絶対に許さない」(簗氏陣営幹部)

栃木3区は2回連続で、立候補者が全員同じ顔ぶれとなった。喜美氏、簗氏とともに前回に続き立候補する共産党新顔の秋山幸子氏(63)は、原発の即時停止や消費税の増税中止などを訴えている。

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■「自民党に徹底対峙していく」

東京のベッドタウンと農村が共存する栃木県小山市の玄関口・JR小山駅西口。前回は「みんなの党」公認だった新顔の藤岡隆雄氏(37)は、「民主党」の昇り旗が並ぶ街宣車の上から演説をした。

2年前の衆院選でも、ほぼ同じ時刻、同じ場所に立っていた。今回は「みんなの党」国会議員や県議ではなく、民主党系の地方議員や労組関係者に囲まれ、駅前で通行人らに握手して回った。

渡辺喜美氏の政策秘書を務めていた。髪形も喜美氏をまねている。前回2012年の衆院選では「(渡辺氏のお膝元の)栃木県で全5選挙区に公認候補を立てる」という党の意向に従い、縁のなかった栃木県小山市に移住し、栃木4区から「みんなの党」公認で立候補した。次点で落選し、この2年は小山駅前などで街頭演説などをしながら、浪人生活をしてきた。

「喜美側近」とみられていた藤岡氏が民主党に鞍替えして、喜美氏のもとに残った支持者との間には、大きなしこりが残った。「結局、自分の目の前の選挙しか頭にないのか」「義理人情を裏切ると、あとでしっぺ返しが来る」

一方、藤岡氏はハフポスト日本版の取材に「究極の決断でした。解党されなければみんなの党から出るつもりでした。でも党がなくなってしまいました。(喜美氏には)今でも感謝の気持ちでいっぱいです」と述べた。

藤岡氏はブログで、喜美氏に「あとは任せる、自分の政治行動・決断で進んでくれ」と言われたことを明らかにし、「暮らしの安定を重視する政策」「自民党に徹底対峙していく」「栃木県から」を考えた結果、民主党への入党を決断したとつづっている

栃木4区は7期目を狙う元総務相の自民前職、佐藤勉氏(62)に、藤岡氏と共産新顔の山崎寿彦氏(62)が挑む構図だ。「やる気のある農家に所得補償を」「地方の負担軽減のため、ガソリン暫定税率の廃止を」。民主党が掲げる政策を、藤岡氏も訴えた。

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写真で振り返る「みんなの党」スライドショー
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渡辺氏と江田氏が固い握手

2009年1月16日、新しい政治団体を作ることで合意して握手を交わす衆院議員の渡辺喜美氏(右)と江田憲司氏
(credit:TORU YAMANAKA via Getty Images)
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(credit:時事通信社)
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結党直後の衆院選で存在感

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2014年3月27日、借入金問題を釈明する渡辺代表。化粧品会社DHCの吉田嘉明会長から計8億円を借り入れたとされる問題が浮上していた。
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2014年4月7日、借入金問題を受けて、みんなの党代表を辞任する意向を表明した渡辺喜美氏(右端)=東京・国会内
(credit:時事通信社)
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