新段階のアベノミクス

2016年5月18日と19日に、安倍政権は、新段階に入ったアベノミクスともいうべき戦略構想の全貌を明らかにした。
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2016年5月18日と19日に、安倍政権は、2013年以来推進してきたアベノミクスに代わって、その革新版もしくは新段階に入ったアベノミクスともいうべき戦略構想の全貌を明らかにした。それは"一億総活躍"というスローガンを冠した新三本の矢から構成される。

"一億総活躍"をいわばキャッチフレーズとする新段階のアベノミクスを推進するという方針は、すでに2015年秋の内閣改造を機に10月頃には示されていた。それを構成する新三本の矢のイメージは、第一の矢 "希望生み出す強い経済"として2020年までにGDP600兆円を実現する、第二の矢 "夢つむぐ子育て支援"は希望出生率1.8をめざす、第三の矢 "安心につながる社会保障"は介護離職ゼロをめざす、として公表されていたが、2016年5月26~27日の伊勢・志摩G7サミットを前にその概要が経済財政諮問会議、産業競争力会議、規制改革会議の報告として発表されたわけである。

まず、新アベノミクスの目玉である"一億総活躍"とは何かを見ておこう。政府は「若者も高齢者も、女性も男性も、障害や難病の人も、一度失敗をした人もみんなが包摂され活躍できる社会」と定義している。具体的には、

1. 希望出生率1.8の実現のために少子化対策として保育枠の50万人の拡大などで待機児童の解消をめざす

2. 働き方改革として同一労働同一賃金原則を徹底し正規と非正規労働者の待遇差の解消をめざす

3. 介護離職ゼロをめざして介護労働者の給与改善などにより介護サービスを良質ともに拡充する

などが主な内容だ。

少子化と高齢化そして介護負担などで収縮する労働力をこれらの改革によって増強し、経済成長の労働力制約を緩和しようというもので、その趣旨は評価できる。これは介護施設や保育施設だけでなく企業の雇用慣行や家庭の在り方に深くかかわる課題であり、目的を実現するために何をどこまで本気で実行するかが問われる。現段階では実現のための道筋はまだ見えない。

新アベノミクスは3つの委員会の報告書から構成される。まず、経済財政諮問会議「経済財政運営と改革の基本方針2016」は成長と分配の好循環を実現するため、結婚・出産・子育て、成長戦略の加速、新たな有望市場の創出、消費の喚起、成長と分配をつなぐ経済財政システム、そして経済・財政一体改革として社会保障、社会資本、地方行財政の改革を強調している。

つぎに、競争力会議の報告を見よう。これは成長戦略のいわば本体を成す部分で、「日本再興戦略2016」と名付けられている。その要点は、2020年までにGDP600兆円を実現するための10分野にわたる官民戦略だ。

それらは、

1. 第4次産業革命で、自動走行やロボット活用を推進し20年までに30兆円創出する。

2. 健康立国:医療の効率化等を進め、同じく26兆円

3. 環境投資:省エネを進めて28兆円

4. スポーツ産業振興で15兆円

5. サービス産業の生産性向上で41兆円

6. 農業改革で資材コストの削減等をつうじて10兆円

7. 中古住宅市場整備で20兆円

8. 観光立国で30年までに15兆円

9. 空港など公共施設の民間運営で10年間で12兆円

10. 消費をプレミアム商品券などで喚起

などである。数字は直接的な付加価値創出と効率化による節約分を示すが、後者も間接的な価値創出となりGDP増加に貢献する。加えて、行政手続きの簡素化や、高度人材の永住権獲得条件の緩和などで経済活力を強化するとしている。

いまひとつ、規制改革会議報告「規制改革に関する第4次答申~終わりなき挑戦」を見よう。答申は、おもに5つの分野で具体的な規制改革を提案している。

1. 健康・医療分野では在宅看取り規制改革や診療報酬審査の効率化など

2. 雇用分野では有期雇用法制見直しなど

3. 農業では、牛乳・乳製品の生産・流通の規制改革や生産資材価格形成の仕組み見直し

4. 投資促進では、運転免許規制見直し、インバウンド観光規制、エネルギー・環境などの規制見直し

5. 地域活性化分野では民泊サービスの規制緩和など

が挙げられている。

"一億総活躍"をキャッチフレーズにした新段階のアベノミクスは以上のように、子育て中の主婦が働きやすく、非正規労働者の待遇を改善し、介護離職せずに働きつづけられるような政策支援によって労働力参加を促進して経済成長を支えること、他方、ICT進化によるデータ革命時代の潮流をとらえて産業の各分野の活性化をはかる、さらに具体的な分野で規制改革を進めるといった内容になっている。

多くの政策項目が並べられているが、問題は、これらによって、膨大な財政赤字を吸収できる、そして急増する高齢化の社会的費用を賄うに足る経済成長が実現できるか、ということである。政府はかねてから、2020年に向けて年率名目3%、実質2%の経済成長がつづいても基礎的財政収支は10兆円以上の赤字になるという試算を公表している。また、税と社会保障拠出を合わせた国民負担は現在、所得の4割に達しているが、2050年には7割を超えると多くの研究機関が試算している。しかし、足元の経済成長率は実質でも名目でも1%前後でしかない。

しかも、新段階のアベノミクスでは、2014年に発表された第二次成長戦略が意欲的に取り組んだ経済の構造改革の視点がほとんど見られないのも不可解だ。構造改革は本来これから本格化すべきはずだ。

経済成長の基本要素である労働供給の促進に着眼したのは適切だが、日本の労働力は現行の経済構造のままではこれから年率0.7%そしてやがては1%程度も縮小していくと見込まれている。サービス経済化した日本の成熟経済では、一人当たり生産性の上昇率は年率1.2%ないしせいぜい2.0%程度しかないと見込まれている。労働力減少を考慮すると長期的な潜在成長力は0.5%ないし1.5%程度となる。その程度の成長では、上記の財政問題や高齢化の社会的費用の問題は深刻化するばかりだ。それでは日本経済は遠からず持続可能性を失う運命になる。

この大問題には、新段階のアベノミクスでも、おそらく対処できないだろう。次の機会にそれでは、私たちは何をすべきなのか考えてみたい。