アフガニスタン、戦争の負傷者の逃げ場をルポ アメリカ軍の病院空爆で影響受ける

アメリカの空爆によるクンドゥズの「国境なき医師団」病院の爆破後、アフガニスタン人たちは救命治療を受けるために何日もかけて移動しなければならなくなっている。
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アフガニスタン北部のクンドゥズで起きたロケット弾攻撃を生き延びた後、カブールの緊急病院のベッドに横たわるバハヌディン。農家の35歳で、4人の子供の父親だ

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バハヌディンは病院のベッドにじっと静かに横になっていた。彼の顔は包帯で分厚くくるまれていて、まるでミイラのようだ。イタリア人医師がバハヌディンにどこから来たのか尋ねても、4人の子を持つ35歳の父親はほとんど喋ることができなかった。

クンドゥズ」とバハヌディンはつぶやいた。しかし、腫れあがった唇では、それ以上も言うことができなかった。

かつて体の横にだらりと下がっていた右腕は、つい2日前、反政府武装勢力タリバンと政府軍の戦闘中にロケット弾が彼の畑の近くに落ち、その際に吹き飛ばされた。バハヌディンのカルテに留められているビニール袋には、彼の上半身に詰まっていたブドウ粒ほどの幾つかの石が入っていた。片目を失明し、もう一つの目も損傷したのだが、彼は幸運にも生きていた。

もしロケット弾が6カ月前にバハヌディンの農場に落ちたならば、北部クンドゥズにあった国際医療NGO「国境なき医師団」の92床のベッドを備えた心的外傷病院で緊急治療を無料で受けることができただろう。そこは、高度な訓練を受けたアフガニスタン人と各国の医療スタッフによって運営されていた。

しかし2015年10月、アメリカの爆撃で、北部で唯一の心的外傷センターだったこの病院が破壊された。今ではバハヌディンのようなアフガニスタン人は、救命治療を受けるために首都カブールの緊急病院まで200マイル(約320キロ)も移動しなければならない。移動は時には車で数日かかる。その道中の大部分は、ヒンドゥークシ山脈を通る、雪崩や岩盤すべりが起きやすい荒れて曲がりくねった山道なのだ。

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イタリア人が運営するこの緊急病院のスタッフは、クンドゥズが爆撃されて以来、北部から来る患者数が急激に増加したと言う。

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救急患者が入ってくると、医療スタッフが三つの質問をする。どこからきたのか?怪我はどういうものか?怪我をしてどれくらい経っているか?

バハヌディンの場合のように、回答は驚くべきものであることが多い。

バハヌディンがここにたどり着くまでには、2日かかった。バハヌディンの叔父によると、彼の傷はとても差し迫った状態だったため、地元の医師とクンドゥズの政府系病院は、バハヌディンを緊急病院へ送ったという。

「アフガニスタン中から大腿骨の骨折や銃弾で受けた傷のため、ここへやってきます」と、緊急プログラムコーディネーターのルカ・ラダエリは言った。過去8年間、アフガニスタンで約1万4000人のけが人を見てきた。「ここは狂ってますよ」。

イタリア人経営の緊急病院は120床のベッドを備え、集中治療室1室と手術室2室がある。現在は、戦争犠牲者を治療するための心的外傷病院としてはアフガニスタンで唯一の無料専門機関だ。もっと小規模の病院や診療所は国中にあるものの、戦争で手術が必要なくらい深刻な傷を負ったアフガニスタン人の紹介所として機能しているこのカブールの病院のようなものはない。

緊急病院のスタッフは、クンドゥズが爆撃されて以来、北部から来る患者数は急激に増加したと言う。一方で、この国は、アメリカ軍の撤退に伴ってますます危険になっていくばかりのようだ。

「状況はすでに最悪でした。そして日に日に悪化しています。人々には『治療』のオプションはほとんどありません。私たちはここで自分たちなりに最善を尽くすだけです」とラダエリは言った。

これほど多くの患者たちを緊急病院へ引き寄せる理由は、高度な治療と無料であることばかりではない。緊急治療スタッフは、心的外傷センターを多くの公共病院や政府系病院から切り離そうとしていないからなのだ。

クンドゥズの国境なき医師団がそうだったように、緊急病院は政治的・思想的経歴を問わず戦争で負傷した人を誰でも治療している。民間人、アフガニスタン兵、タリバン、その他の反乱勢力も、助けを求めて正面玄関をいったん通れば患者として治療される(そして武器は病院内に持ち込ませない)。質問は一切されない。

それが現在の緊急病院を形作る「中立状態」であり、それゆえにクンドゥズ空爆はとても身につまされる出来事なのだ。

「クンドゥズのシャワーは水でした。そんなことは全く予期していませんでした。でも、だからといって言い訳もしません。皆で考えるんです。私たちに避難計画はなく、留まります。戦争があるなら、留まらなければ」とラダエリは語った。

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クンドゥズにあった国境なき医師団の病院に対するアメリカの空爆で負傷したアフガニスタン人の少年。緊急病院で治療を受けた。

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ひどく物議を醸したアメリカの空爆については、散々議論がされてきた。国境なき医師団は戦争犯罪の可能性があるとしたが、アフガニスタンにいるアメリカ軍最高司令官は人的過誤と機器の不良が不幸にも重なった結果だと発表した。

アフガニスタンで何度となく繰り返されてきたように、戦争の混乱の中で命が奪われてきたのだ。この責任を負う人たちは、人を殺して何の罪にも問われないのだと、何人かのアフガニスタン人は言った。

アフガニスタンで武装勢力と戦うアメリカの役割が正式に終わり、残留するアメリカ軍はアフガニスタン軍の訓練や助言、支援に注力すると発言した。一方、クンドゥズ空爆により、アフガニスタンでの、アメリカ軍、特に特別軍に対する疑問の声が上げられてきた。

負傷したタリバンの患者たちが病院にいたかどうかは不明のままだ。過激派たちが病院施設を軍事基地として使用していると、アフガニスタン軍や関係筋が主張したことが、アメリカの攻撃を駆り立てることになった。タリバンの戦士たちは政府系の病院や、民家、企業といった街の大半を占拠し、タリバンの強硬派的な考えに反すると彼らが見なしている人々に恐怖を与えていたのだ。

ハフポストUS版がアフガニスタンでインタビューした多くの国境なき医師団スタッフや生き残った市民、患者の家族やクンドゥズの住民らによれば、空爆前もその後も、病院内にタリバンの武装集団が目撃されることなど全くなかったという。

バハヌディンは、アメリカの空爆で命を落とした国境なき医師団のスタッフと患者の42人の中の1人ではなかった。中には病院のベッドに寝たまま燃やされたり、生き延びようと逃げている間に凶弾に倒れた人たちもいた。バハヌディンは、悲しみに暮れる多くの家族らの1人でも怪我をしたまま放置された生存者でもなかった。この中には、アメリカ軍から「見舞金」として約7000ドルを受け取った人もいた。しかし、バハヌディンはずっと後になって空爆の影響を受けたことを痛感した。

貧困にあえぐ農民がきちんとした治療を受けることもできずにいるのは、国際法の下に保護されている病院をアメリカ軍が空爆した直接的な結果だ。病院の座標はアメリカ軍とアフガニスタン軍にもよく知られていた。心的外傷センターは攻撃対象外のリストに載せられていたのだ。

アメリカ軍は、攻撃目標を定めるプロセスや交戦規則の再研修などについて、空爆後に重要な変更を行ったとUS版に話したが、空爆がなぜ起きたかについて調査したとされる3000ページの報告書をアメリカ中央軍は未だ編集・出版していない。

どのくらい攻撃が続いたかなどの基本的事実について、アメリカ軍は29分としているものの、国境なき医師団は1時間またはそれ以上だと主張しており、いまだに全く一致しない。

多くの怪我を負った国境なき医師団スタッフと患者は、空爆後にカブールの緊急病院へ急いで搬送された。

ファーストネームだけを教えてくれた緊急病院の看護師ユセフは、「あの日のことは決して忘れられない」と言った。命を救おうとしながら爆撃を受けた彼は、医療スタッフの扱いについて不可解なほど不公平なものがあったことを思い出した。

「私は叫びました」。ユセフはカブールの自爆テロで怪我を負った女性の手当てをしている同僚の横で言った。「理解しがたかったんです。彼らが貧しい人々を助けていたんですよ」。

「私は自分の仕事を誇りにしています。もし私たちがこの病院を運営していなかったら、患者たちはどうすればいいのでしょうか?」

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クンドゥズの国境なき医師団の怪我をしたこのスタッフは、アメリカ軍の爆撃を生き延びた中の一人で、緊急病院で手当てを受けている。

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国境なき医師団は、アメリカ軍から回答を得てあのような空爆が二度と起こらないと確約されない限り、クンドゥズの心的外傷センターが再建・再オープンされることはないと表明した。

その時まで、地雷やロケット弾、銃弾などで怪我を負った多くのアフガニスタン人は首都まで長距離を移動するし、高額で理想には遠い治療で我慢するしか選択肢はない。

バハヌディンをカブールに運んだ叔父サリムは次のように言った。「国境なき医師団の病院が空爆されていなかったらよかったと思います。近隣地域やクンドゥズの全ての患者がそこで治療をうけていました。私は本当に悲嘆にくれているのです」。

アメリカ軍による国境なき医師団の心的外傷センター破壊に対する反応として、緊急病院は非常措置のために自分たちのロゴをカブールの病院の屋根にはっきりと印字し、爆撃機にもしっかり見えるようロゴをライトで照らした。密集した市街地で空爆が実施される可能性はかなり低く、ラダエリは惨事が二度と起きないことを祈ると語った。

10月に国境なき医師団の建物内で起きた爆撃が全てを変えたのだ。

「(南部ラシュカルガーにある私たちの病院に)スタッフも患者も全て収容できる地下シェルターまで作ったんですよ。クンドゥズの後では何だって起こり得ます」とラダエリは言った。

ラダエリは正しかった。何だって起こり得るように思える。わずか2週間後の2月17日、アフガニスタン軍はスウェーデンの非政府組織が運営するカブール南部の診療所を攻撃した

ベッド数10床のこの診療所で働く医師によると、この時の治安部隊の一部は英語を話しており、外国人のようだったと言う。アメリカ軍は今のところ関与を否定している。

治安部隊は医療スタッフに手錠をかけて殴り、2人の患者と15歳の子供を診療所から外に出したと報じられている。その後、3人は射殺された。

※Naiemullah Sangenがカブールからのレポートを手助けしてくれました。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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アフガニスタン国立音楽専門学校の女子生徒がインタビューに答えた=2012年2月、カブール (credit:中野渉)
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アフガニスタン国立音楽専門学校の生徒がインタビューに答えた=2012年2月、カブール (credit:中野渉)
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カブール中心部にあるモスク=2012年 (credit:中野渉)
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カブール中心部にあるモスク=2012年 (credit:中野渉)
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首都カブールの、庶民が暮らすエリア。果物店(左)にはオレンジが並ぶ=2012年1月 (credit:中野渉)
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カブールの国立競技場の外観。タリバーン政権時代には処刑場として使われた=2012年1月 (credit:中野渉)
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カブールの国立競技場の外観。タリバーン政権時代には処刑場として使われた=2012年1月 (credit:中野渉)
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国際治安支援部隊(ISAF)の施設。主力のアメリカ軍の大半は、2014年末までに撤退する予定だ=2012年、カブール (credit:中野渉)
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内戦で廃墟と化した宮殿=2012年1月、カブール (credit:中野渉)
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内戦で廃墟と化した宮殿=2012年1月、カブール (credit:中野渉)
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アフガニスタン国立音楽専門学校。リハーサル会場に向かう生徒たちと、校長のアフマド・サルマストさん(中右)=2012年2月、カブール (credit:中野渉)
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アフガニスタン国立音楽専門学校。リハーサル会場に向かう生徒たち=2012年2月、カブール (credit:中野渉)
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アフガニスタン国立音楽専門学校。リハーサル会場に向かう生徒たちと、校長のアフマド・サルマストさん=2012年2月、カブール (credit:中野渉)
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リハーサルをするアフガニスタン国立音楽専門学校の生徒ら=2012年2月、カブール (credit:中野渉)
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リハーサルをするアフガニスタン国立音楽専門学校の生徒ら=2012年2月、カブール (credit:中野渉)
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リハーサルをするアフガニスタン国立音楽専門学校の生徒ら=2012年2月、カブール (credit:中野渉)
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練習をするアフガニスタン国立音楽専門学校の生徒ら=2012年4月、カブール (credit:中野渉)
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練習をするアフガニスタン国立音楽専門学校の生徒ら=2012年4月、カブール (credit:中野渉)
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アフガニスタン国立音楽専門学校=2012年4月、カブール (credit:中野渉)
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練習をするアフガニスタン国立音楽専門学校の生徒ら=2012年4月、カブール (credit:中野渉)
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カブールにできた女性専用のインターネット・カフェ=2012年4月 (credit:中野渉)
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カブールに出来た女性専用のインターネット・カフェ=2012年4月 (credit:中野渉)
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アフガニスタンのお茶請けには、ドライフルーツやナッツが出されるい=2012年6月、カブール (credit:中野渉)
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カブール郊外にあるアフガニスタン軍の訓練施設=2012年7月 (credit:中野渉)
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カブール郊外にあるアフガニスタン軍の訓練施設。兵士が銃撃の訓練をしていた=2012年7月 (credit:中野渉)
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カブール郊外にあるアフガニスタン軍の訓練施設。兵士が銃撃の訓練をしていた=2012年7月 (credit:中野渉)
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カブール郊外にあるアフガニスタン軍の訓練施設。兵士が銃撃の訓練をしていた=2012年7月 (credit:中野渉)
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カブール郊外にあるアフガニスタン軍の訓練施設。兵士が銃撃の訓練をしていた=2012年7月 (credit:中野渉)
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カブール郊外にあるアフガニスタン軍の訓練施設で、インタビューに答える新人兵士=2012年7月 (credit:中野渉)
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カブール郊外にあるアフガニスタン軍の訓練施設で、インタビューに答える新人兵士=2012年7月 (credit:中野渉)
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カブール郊外にあるアフガニスタン軍の訓練施設で、整列するアフガン兵士=2012年7月 (credit:中野渉)
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カブール郊外にあるアフガニスタン軍の訓練施設で、整列するアフガン兵士=2012年7月 (credit:中野渉)
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カブール郊外にあるアフガニスタン軍の訓練施設の食堂=2012年7月 (credit:中野渉)
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日本メディアのインタビューに応じるアフガニスタンのカルザイ大統領=2012年7月 (credit:中野渉)
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日本メディアのインタビューに応じるアフガニスタンのカルザイ大統領=2012年7月 (credit:中野渉)
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日本のJICA(国際協力機構)の協力でコムギの生産調査をするアフガニスタンの研究者ら=2012年8月、カブール (credit:中野渉)
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日本のJICA(国際協力機構)の協力でコムギの生産調査をするアフガニスタンの研究者ら=2012年8月、カブール (credit:中野渉)
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日本のJICA(国際協力機構)の協力でコムギの生産調査をするアフガニスタンの研究者ら=2012年8月、カブール (credit:中野渉)
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地方の雑貨店、ドライフルーツやナッツが多い=2012年10月、カブール近郊 (credit:中野渉)
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地方の雑貨店(左)。奥はレストラン。日本のドライブインのような感じか=2012年10月、カブール近郊 (credit:中野渉)
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カブールにある国立博物館。タリバーン政権時代は閉鎖されていた=2012年10月 (credit:中野渉)
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カブールにある国立博物館には、タリバーンによって破壊されたバーミヤンの大仏を模したものがあった=2012年10月 (credit:中野渉)
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カブールにあるサッカー場。2012年秋んはプロのサッカーリーグが開幕した=2012年10月 (credit:中野渉)
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アフガニスタンのレストランの店先では、ケバブ(焼き肉)をやく姿がよく見られる=2012年10月、カブール (credit:中野渉)
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アフガニスタンのレストランの店先では、ケバブ(焼き肉)をやく姿がよく見られる=2013年1月、カブール (credit:中野渉)
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アフガニスタンのレストラン。ヒツジ肉がつり下げられていた=2013年1月、カブール (credit:中野渉)
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アフガニスタンのレストランの店先では、ケバブ(焼き肉)をやく姿がよく見られる=2013年1月、カブール (credit:中野渉)
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レストランで煮込み料理を作る男性=2013年1月、カブールで (credit:中野渉)
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レストランで煮込み料理を作る男性=2013年1月、カブールで (credit:中野渉)
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アフガニスタン料理。ナンやコメ、煮込み、サラダ=2013年1月、カブール (credit:中野渉)
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カブールにある美容皮膚クリニック。ここ数年、女性の利用者が増えているという=2012年1月 (credit:中野渉)
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アフガニスタン料理。手前は最も一般的なケバブ(焼き肉)。ほか、炊き込みご飯(パラウ)とサラダ、ナン=2013年1月 (credit:中野渉)
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カブール。住居や建物の外壁は高く、上には有刺鉄線などがはられていることろが多い=2013年3月 (credit:中野渉)
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アフガニスタン料理の定番、ケバブ(焼き肉)とナン。飲み物は緑茶が多い=2013年3月、カブール (credit:中野渉)
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カブールにある最高級レストラン「カブール・セレナ」。2014年3月にはテロ集団による襲撃があり、9人が死亡した。写真に写っているのは筆者=2013年3月 (credit:The Huffington Post)
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カブールにある最高級レストラン「カブール・セレナ」の客室。2014年3月にはテロ集団による襲撃があり、9人が死亡した。写真に写っているのは筆者=2013年3月 (credit:The Huffington Post)
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カブールの建設中のビル。2012年4月にはタリバーンがここから米大使館などをロケット弾などで砲撃、近くの日本大使館も被害を受けた=2012年6月 (credit:中野渉)
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カブール路上でナンを売る人たち=2012年 (credit:中野渉)
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地方の路上脇ではメロンが販売されていた=2012年10月 (credit:中野渉)
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地方の路上脇では様々なメロンが販売されていた。メロンは特産品の一つだ=2012年10月 (credit:中野渉)
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地方の路上脇では様々なメロンが販売されていた。メロンは特産品の一つだ=2012年10月 (credit:中野渉)