子育て当事者・子育て経験者はもっと自由で、少しだけワガママであっても良いのでは? 続・ベビーカー論争

「親失格」レッテルを貼られると、正直キツイものがあるなと感じています。

こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。

昨日、「初詣ベビーカー論争」についての記事をアップしたところ、非常に大きな反響がありました。ご一読いただき、様々な意見をお寄せ下さった方々に、まずは御礼を申し上げます。

Twitter上でかなりの数の意見をRTしたので、そちらもご参照いただきたいのですが、今日一日の議論の流れを見ていて感じたことをいくつか記しておきます。

「危険だからやめておけと言ってるだけだ!」論

もっとも多かった反応は、こちらでしょう。人混みに連れて行くのは単に危ないからやめた方が良い、とアドバイスしているだけというスタンスです。

もちろん家に子どもを置いておくよりリスクは増しますし、傾聴に値するご意見だと思います。その上で、「アドバイス」に留まっているのなら問題ないのですが...。

やはりこれが事実上の「自粛圧力」になっているのが現状なので、その点には大きな懸念を覚えるところです。

また、こちらの指摘のように「ベビーカー」のみがとりわけ取り沙汰されることには、十分な説得力を欠く面があると言えるでしょう。

「子ども視点の欠落」「親のエゴ」論をどう捉えるか?

次に多かったご意見がこちら。結局、子どもを人混みに連れ回すのは親の都合でしょ?子どもファーストじゃない!というものです。

これって一つ目の危険性議論においてもそうなのですが、どこで線引されるものなのでしょうか?

親のエゴ論で言えば、記憶がどうせないであろうゼロ歳児や一歳児を旅行に連れ回すことも子どもファーストじゃないエゴだから、家に閉じこめておくが正解!ということになるかと言えば、そう単純なものではないと思います。

「初詣」はいかにも必要性が薄そうなので、今回はターゲットになりましたが、これはいわゆる「程度問題」で、人それぞれの価値観で見解が異なるところです。

小さい頃からいろいろな経験をさせたい人もいるでしょうし、我慢をせずに一緒に外出した方が子育て全体にもポジティブな影響が出たり、家族も円満になるなど、子どもに対するプラスマイナスは一概には推し量れないものです。

私自身、昨日も一昨日もそれなりの人混みに、生後二ヶ月弱の次女を連れて初詣に行っています。どうやら「模範的な親」にはなれそうもありませんが、それでこうした「親失格」レッテルを貼られると、正直キツイものがあるなと感じています。

子育て当事者、あるいは子育て経験者から厳しい意見が多い

年上の世代から、

「昔はもっと厳しい環境で子育てしていた」

「最近の若者は非常識な連中が増えて云々」

という意見が多く飛んで来るのは仕方のないことですが、やはりというか想像以上に、同世代からの厳しいご意見も多かったです...。

ベビーカー許容問題も、「私もこうやって頑張ったのだから、あなた達も我慢するべき」という、待機児童問題と同じ状態にハマりつつあるように感じます。

この点について、率直にもっとも共感を覚えたのはこちらのツイートでした(言葉は強めです)。

本当に日本の子育て世代・子育て経験者は、ものすごーーく我慢して我慢して、歯を食いしばって頑張って来たのですよね...。

彼ら・彼女らがもっと開放されて、ある意味ではワガママに、自由でいられる環境が整えられなかったものかと、忸怩たる思いを感じずにはいられません。

私は政治や社会を変えていくことで、もっともっと親たちも自由になることができると思っています。「しょうがない」「我慢するしかない」で諦めていたら、少子化に突き進むこの国の現状を変えることはできません。

もちろん、権利だけを主張したり、周りの迷惑を顧みないマナーのない行為はNGですが、子育て世代の当事者たちは無条件にもっと社会にリスペクトされる地位にあるべきだとつくづく感じます。

正解のない議論・課題であるけれど、改善することは必ずできるはず。政策面でもできることを模索しながら、引き続き様々なご意見を受け止め、問題提起を続けていきたいと思います。

散文になりましたが、それでは、また明日。

(2017年1月4日「おときた駿オフィシャルブログ」より転載)