医学部設立の歴史から見えてくる地域差

2013年、宮城県に医学部の新設が決まりました。どうして、東北に新設医学部なのでしょう。そこで、今回は医学部の地域差について考察してみます。
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TOKYO - JANUARY 18: (L to R) The Tokyo University Hospital is pictured January 18, 2003 in Tokyo. An operation to remove Emperor Akihito's cancerous prostate gland was successfully performed. The operation lasted three hours and 40 minutes and according to the surgeons, there were no signs that the disease had spread. (Photo by Koichi Kamoshida/Getty Images)
Koichi Kamoshida via Getty Images

私は、今年の4月から福島県の相馬市で内科医として勤務しています。大学は東京で、昨年までは千葉県鴨川市の亀田総合病院で研修医として勤務していました。鴨川市も相馬市も高齢化が進んでおり、80代の患者をよくみるという点では共通しています。しかし、医師不足が非常に深刻で、二次救急すら十分とは言えない地域です。

2013年、宮城県に医学部の新設が決まりました。医師不足の東北地方の医療を支えるという目的で、現在も運営母体について協議が続いています。どうして、東北に新設医学部なのでしょう。そこで、今回は医学部の地域差について考察してみます。なお、この考察は、東大医科研の児玉有子先生と一緒に医師・看護師不足について研究している一環です。

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まず、図をご覧下さい。この図は、国立(旧官立)医学部の設立年を色分けしたものです。黒いところは、国立大学医学部が現在もないところです。

国立大学医学部がないということは何を意味するのでしょうか。私は、教育格差を表していると考えます。

当然ですが、国立大学は国がつくったもので、現在も運営交付金という形で国が補助しています。総額1兆1000億円程度が、国立大学に支払われます。受け取った大学は、主に教員や事務関係者の人件費などに充てられます。

運営交付金は、各大学一律に貰う訳ではありません。最も多いのは東大の840億円、ついで京大の560億円と旧官立七帝大が続きます。そして、その後に広島大、東京工大、神戸大、岡山大などの戦前からの大学が並びます。東京工大を除き、上位陣に名を連ねる大学は、全て医学部を持っています。実は、国立大学医学部は「金のかかる学部」なのです。

例えば、国立の単科の医科大学である旭川医科大学、浜松医科大学、滋賀医科大学を例に考えてみましょう。このような大学が受け取っている運営交付金は、毎年50-60億円です。これは、埼玉大学、宇都宮大学、さらに一橋大学(何れも医学部はない)が受け取る運営交付金の総額と、ほぼ同額です。如何に、国立大学の医学部が多くの予算を受け取っているかお分かりでしょう。

では、私立大学の医学部の場合はどうでしょうか。私立大学では私立大学等経常費補助金という形の補助金がありますが、国立大学とは全くレベルが違います。私立医科大学のなかでトップの東京女子医科大学でも38億円しか支援を受けておらず、大半は20億円程度です。当然、学費には差が出てきます。国公立では年間50万円強なのに対し、私立では授業料、施設費などあわせて年間300万円、場合によっては1000万円近く必要なところもあります。卒業までに数千万円の授業料が必要になるのですから、私立大学の医学部に行ける高校生は限られてきます。これは、教育の平等という視点から考えれば、由々しき問題です。

国立大学医学部のない県の多くは県立大学の医学部があります。このような大学の授業料は、国立大学とほぼ同レベルです。国民としての租税負担という観点から考えれば、問題がありますが、教育機会という意味では平等です。

ところが、一部の県では、国公立大学医学部がありません。例えば、岩手県です。この県にある医学部は私立の岩手医大だけです。卒業までに必要な費用は3400万円です。通常の家庭に育った高校生は進学できません。岩手県の高校生が国公立の医学部を受験しようとした場合、他県の大学を受験しなければいけません。

では、医学部を目指す岩手県の高校生は、どこを受験するでしょうか。皆さん、関東の大学をイメージされるでしょう。ところが、岩手県の高校生が関東の国立大学医学部に進学するのは、極めて稀です。それは、関東地方に国公立の医学部が不足しているからです。

関東の人口は約4200万人ですが、国公立大学の医学部は6校しかありません。人口380万人の四国に4校の国立大学医学部があるのとは対照的です。

関東や東北地方の高校生にとって、国公立大学の医学部のハードルは極めて高いと言わざるを得ません。いや、東北地方は、関東での国公立大学医学部の不足のあおりを受けていると言っても過言ではありません。

それは、こんなに交通機関が発達した現代でも、関東の高校生にとって、近畿や九州は心理的・地理的なハードルが高く、地理的にも近い東北地方を狙う高校生が多いからです。

私が働く福島県には平成26年度のパンフレットを見ると、定員130人のうち50人が関東出身者です。地域枠の20名を除くと、ほぼ半数を関東勢が占めています。こうして、東北の高校生は、東北だけでなく関東の医学部不足の影響をも受けてしまいます。宮城県に地域医療をメインとする医学部を新設することが決まりましたが、これだけで状況が好転するわけではないでしょう。

なぜ、こんなことになってしまっているのでしょうか。私は関西の高校を卒業しましたが、いま思うと、東北に比べると大変恵まれた環境だと思います。京都大学、大阪大学の旧帝大2つに加えて、神戸大学、京都府立医科大学、大阪市立大学、奈良県立医科大学、滋賀医科大学、和歌山県立医科大学など国公立の受験候補がすぐ浮かびます。さらに、この受験に関東勢が流れてくることは滅多にありませんから、東北に比べると医学部に進学する機会はずっと恵まれています。

教育の格差とよく言われます。しかし、機会の平等がここまで奪われているとは思いませんでした。しかもその原因を国が作り出しているとは衝撃です。

この問題を考える上で、1886年の帝国大学令から続く大学の歴史は明治維新と切り離せません。そう思いながら、図に示した黒い都道府県の配置を見ると、なんとなく理由が見えてきます。

和歌山県は御三家の一つです。関東一円は幕府のお膝元です。東京を首都にしたものの、周辺地域に大学を持ってこようというモチベーションは新政府側にはなかったでしょう。山口や鹿児島に旧藩主サポート下の県立医学校が1800年台から存在したことと対照的です。(1886に一度廃止、戦後に医科大として復活)

私のいる福島県は、佐幕派の雄藩である会津藩がありました。その結果が、日本で3番目の面積を持ちながら、現在に至るまで国立医学部がないという状況です。2番目の面積を持つ岩手県も同様でしょう。「白河以北一山百文」と言い放ったという新政府側のマインドが透けて見えます。

以上、医学部の地域差について、私の経験と歴史的側面から考察しました。安倍晋三現首相が、「私の郷里、長州藩では」と発言するなど、藩閥政治の影響は今も尾を引いています。そろそろ150年前のことは水に流して、客観的なデータに基づく都市開発、教育環境づくりが必要ではないかと考えます。教育レベルが上がることは、地域を活性化させる一つの方法です。最低でも、福島の子供たちに、他の地方と同じくらいのチャンスが与えられるようになって欲しいと願います。

<医学部の簡単な歴史>

1886年の帝国大学令により、今の東京大学と、その分科大学として京都大、九州大、東北大などの旧帝国大学の医学部(当時は医科大学)が設立されました。(図中赤色)

1919年には、帝国大学令が改正、大学令も施行されて、帝国大学以外の大学が認可されました。そうして、岡山大学などの「旧官立六医科大学」や、北海道大学、大阪大学、名古屋大学などの旧帝国大学が設立されました。慶應大学、慈恵医科大学、日本医科大学という歴史ある私立医学部ができたのもこの頃です。(図中オレンジ色)

第二次大戦での医師不足を受けて、医学専門学校などができましたが、戦後には大学に一本化される方針となりました。そしてできたのが「新八医科大学」と呼ばれる、東京医科歯科大学、群馬大学、信州大学などのグループです。神戸大学、三重大学、山口大学、岐阜大学などもこの頃できています。(図中黄色)

その後の高度経済成長のなか、皆保険達成などで医療の需要が増えてきます。1973年には田中角栄内閣の元で「一県一医大構想」が打ち出されます。そうした流れのなかできたのが、新設医科大学と呼ばれたグループです。(図中緑色)