【3.11】石巻・大川小の遺族らが県と市提訴 「津波避難で安全配慮義務を怠った」

東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の児童23人の遺族が3月10日、「学校は津波を予見できたのに、子どもたちを安全な場所に避難させなかった」などとして、石巻市と宮城県に対して1人当たり1億円、計23億円の損害賠償を求めて仙台地裁に提訴した。
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加藤順子

東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の児童23人の遺族が3月10日、「学校は津波を予見できたのに、子どもたちを安全な場所に避難させなかった」などとして、石巻市と宮城県に対して1人当たり1億円、計23億円の損害賠償を求めて仙台地裁に提訴した。時事ドットコムなどが報じた。

訴状によると、2011年3月11日の大地震後、児童は教員らの指示で校庭に避難。児童の一部が「裏山に逃げよう」と訴えたが、学校側は裏手の山などへ避難させることもなく、約45分間校庭に待機させた。遺族側は、大津波が来ることが予見できたのに、教員らが様子を見に行くなどの情報収集をせず、安全配慮義務を怠ったと主張している。

提訴後、当時3年の長男健太君を亡くした佐藤美広さん(52)は「なぜ安全な学校で、先生がついていながら命を落とす必要があったのか。3年たったが、心は息子の遺体が見つかった時で止まっている」と声を震わせた。

(時事ドットコム「津波犠牲の大川小遺族提訴=石巻市と県に23億円賠償請求-仙台地裁」より 2014/03/10 18:36)

47NEWSは次の通り伝えている。

学校管理下でほかに例を見ない大きな犠牲を出した問題は、震災から3年を経て、司法の場で検証されることとなった。

提訴後、父親8人が記者会見を開き、3年生だった長女未捺ちゃん=当時(9)=を亡くした只野英昭さん(42)は「学校管理下で起きた真実を明らかにしてほしい」と語った。

( 47NEWS「津波で死亡、大川小遺族が提訴 石巻市と県に23億円請求」より 2014/03/10 14:37)

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写真家・ジャーナリスト加藤順子氏が追った大川小学校
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あの日、この校庭に子どもたちが待機していた(2014年3月11日 石巻市釜谷の大川小学校) (credit:加藤順子)
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教室で見つけた孫の遺品の国語辞書を見つめる(2014年3月11日 石巻市釜谷の大川小学校) (credit:加藤順子)
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大川小の児童23人の遺族が、市と県を相手取り、損害賠償を求めて仙台地裁に提訴した(2014年3月10日) (credit:加藤順子)
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記者会見を行ったのは8人の父親(2014年3月10日) (credit:加藤順子)
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会見中、苦しそうに目を閉じる遺族の中村次男さん(2014年3月10日) (credit:加藤順子)
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東京で行われた「DCI日本・子供の権利条約市民NGO報告書を作る会」主催のシンポジウムに向かう生存児童(2013年11月23日) (credit:加藤順子)
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「DCI日本・子供の権利条約市民NGO報告書を作る会」主催のシンポジウムで発言する生存児童の父、英昭さん(写真右、2013年11月23日) (credit:加藤順子)
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大川小学校遺族の佐藤和隆さん(写真左)と今野ひとみさん(同右) (credit:加藤順子)
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裏山にある津波到達点付近から見た石巻市立大川小学校(2012年7月9日) (credit:Yoriko Kato)
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石巻市立大川小学校校門前(2011年4月5日) (credit:Yoriko Kato)
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大震災からひと月足らずの大川小付近(2011年4月5日) (credit:Yoriko Kato)
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三角地帯から見た釜谷地区。住宅や商店が立ち並んでいた集落に残っていたのは、校舎と白い診療所の建物のみ (credit:Yoriko Kato)
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子どもたちがいなくなった校舎は、スズメたちの住処になっているのか、たくさんのさえずりが聞こえた(2012年7月10日) (credit:Yoriko Kato)
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校舎の裏山の斜面には、「津波到達点」と書かれた札が立てられている。学校の屋根とほぼ同じ高さだ(2012年7月9日) (credit:Yoriko Kato)
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裏山は、「立入禁止」の看板が立てられた。この付近に何ヶ所か、子どもたちが逃げようとしていたと思われる斜面がある(2012年7月9日) (credit:Yoriko Kato)
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月命日に献花台で手を合わせる人々。校舎や、児童が大勢見つかった山根付近で、手を合わせる遺族も見られた(2012年8月11日) (credit:Yoriko Kato)
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大川小の児童の遺族有志、8家族11人が石巻市教育委員会に質問書を提出したことを報告し、一人ひとり思いを語った(2012年6月16日、仙台市内) (credit:Yoriko Kato)
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小学6年生の次女を亡くした佐藤敏郎さんは、話し合いの場で「いよいよ津波が溢れてきた時点であわてて逃げたのが川でしたよね。そこを大事なところだと認識して、説明していかなければいけないのでは」と石巻市教委の指導主事に問いかけた(2012年8月10日、石巻市) (credit:Yoriko Kato)
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被災当時6年生だった次女みずほちゃんは、家族のアイドルのような存在だった。たくさんの写真が並ぶ仏前で、取材に応じる佐藤かつらさん(2012年7月10日、石巻市内) (credit:Yoriko Kato)