異端的論考19:天皇退位と憲法改正 ~安倍政権はパンドラの箱をあけたのか~

実は、国民にとっては、今回の憲法改正が可能な状態は、縮小経済の中でのシルバー民主主義という課題を解決できる、千載一遇のチャンスではなかろうか。

7月の参議院選挙で大勝し、衆参両議院で、憲法改正発議に必要な総議員の3分の2の議員数を確保し、憲法改正に弾みをつけて数の論理で正面強行突破を目論んでいた安倍・菅政権であるが、思わぬところから、その猪突の勢いを止めることとなる報道がなされた。いまだ参議院選挙の大勝ムードに酔う改憲支持派に水をかける形となった7月14日の「今上天皇が退位の意向」という報道である。

当初、宮内庁は否定したものの、結果、今上天皇ご自身が、8月8日にビデオメッセージを通して退位のご意思を公に示唆されることとなった。ご健康にかかわる今上天皇の退位のご意向に沿うには、憲法改正の議論以前に、皇室典範の見直しが必要となる。

明治維新以降、戦前の旧皇室典範の第10条に「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」、戦後の現行皇室典範でも、第4条に「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と規定されているように、皇位の継承は天皇の崩御によってのみ行われることを定めており、退位はできないことになっているからである。

天皇位に留まるが事実上退位する方法は、大正天皇の時のように摂政を置くことであるが、今上天皇は、8月8日のビデオメッセージで摂政を置くお考えはないことを示唆している。

事実、今上天皇のご退位の示唆以降、表向きは改憲の勢いは大きくそがれることとなる。象徴天皇ではなく、天皇を実質的な立憲君主とすることを望む、安倍内閣を支える国体信奉(天皇個人ではなく、国体の為に天皇という存在が必要とする天皇個人よりも国体を上位に置く考え)者にとって、今上天皇の象徴天皇に対するお強い思いの表明は、相当な痛手であったであろう。

そのせいであろうか、自民党は、今国会での憲法改正議論に際して、これまでの主張を撤回し、2012年に纏めた党独自の憲法改正草案を事実上棚上げする方針を固めたと報道されている。

しかし、選挙に圧勝した今回を逃しては、改憲を行う機会は二度と訪れないと考える自民党(安倍首相が在任中にどうしてもやりたいと思っているとも言えるが)は、今上天皇のご退位が憲法改正よりも優先するので、これを何とか早期決着することに躍起である。

今上天皇のビデオメッセージ公表翌日の8月9日~11日に日本経済新聞が実施した世論調査では、89%と大多数は今回の今上天皇のご退位を認めるべきであるとしている。その中で、76%は「天皇退位の恒久化」(恒久化には政治的乱用のリスクもある)を支持し、それは「今上天皇に限っての退位」を支持した18%を大幅に上回る。

10月7日~9日に自民党政府に極めて近い読売新聞が実施した全国世論調査でも「今後のすべての天皇陛下に認める制度改正を行う」が65%と、「今の天皇陛下だけに認める特例法をつくる」の26%を大きく上回っている。

しかし、政府はこの国民の声を無視して、「今上天皇に限っての退位」という特例法で押し切ろうとしている。天皇退位の恒久化には、皇室典範の見直しが当然必要で、時間がかかるのは必至であり、憲法改正の議論になかなか行きつかないからであろう。それを嫌った安倍・菅政権と与党自民党は、国民の意見を無視して、特例法によって今上天皇に限っての退位の政治的早期決着に血眼である。

早々に安倍・菅政権は、委員が早速週刊誌を賑わすような有識者会議なるものを9月末に設置して、10月に初会合を開き、年末か年初に論点整理を発表し、来年3月末に有識者会議の提言を取りまとめ、来年の通常国会での今上天皇退位の特例法の成立という線表を引いているようである。

前述の読売新聞の世論調査では、今上天皇の「退位」について、政府が結論を「急ぐべきだ」と思う人は48%、「慎重に検討すべきだ」は45%と拮抗している現状は無視である。安倍政権と与党自民党が特例法の成立を急ぐ理由は、今上天皇のご健康を気遣ってのことではないことは言うまでもあるまい。

性急と思われようがことを速く進めたい思惑は、今回の有識者会議では、「女性・女系天皇」の議論は対象外と高らかに宣言していることからも明確にうかがえる。国民の意見はと言えば、前述の日本経済新聞の世論調査では、「女性・女系天皇」と「女性宮家」についても退位とともに検討が必要と答えたのが80%(両方が58%、「女性・女系天皇」が16%、「女性宮家」が6%)で、一方、両方に反対は11%しかない。またも国民の声を全く無視である。

何が何でも早期決着したい安倍・菅政権としては、議論が紛糾することが必至である「女性・女系天皇」と「女性宮家」の話は、世界から時代錯誤と言われようが、美しき日本の伝統と言って何が何でも避けて通らなければならないのであろう。これは、陸に一度あがろうとし、やはり海に戻り、深海に潜ったシーラカンス(誇張の部分はあるが)のようなものである。これは一例であるが、安倍・菅政権のもと、日本社会は確実にガラパゴス化からシーラカンス化に向かっている。

よしんば、安倍首相の思惑通り、今上天皇のご退位の特例法が来年の夏までに成立すれば、その後、再び憲法改正の本格的な議論が行われることになるであろう。ここでも、安倍・菅内閣は、「女性・女系天皇」と「女性宮家」と同様に、憲法審査会で憲法9条改正以外は対象外と宣言するのではないだろうか。

真剣に考えれば、憲法9条の改正以外にも、憲法の条項で、時代に合わないものが見えている。LGBTが社会的に認められ、婚姻の形態も多様化する中で、もはや、戦前の当事者の意思を無視した家制度に基づく見合い(許嫁)結婚という旧弊の改革を意識した、第24条の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するという条文は、早急に改正すべきであろう。

これ以外にも憲法を制定した時代にはなかった概念もあろう。例えば、目くらましであろうが、あの菅官房長官ですら、憲法改正の議論の中で環境権について言及している。

日本の政府(政治家と官僚)は、成長前提での公平性実現(誰も損をしない)は得意であるが、成長が前提でない状況での効率性追求(誰かが損をする)は極めて不得手である。急速な少子超高齢化(人口減少のなかでの後期高齢者の数と比率の急速な上昇)と経済の持続的成長がもはや期待できないという環境では、政府は将来世代への借金をコントロールできそうもないのであるから、ドイツのように財政健全化を憲法に盛り込むべきであろう(http://www.dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9111090_po_02630007.pdf?contentNo=1&alternativeNo=)。そうでないと、財源がないので、安倍総理が好む戦争はそもそもできないのではないだろうか。

憲法で財政規律を規定することは、選挙地盤や我儘な有権者に右顧左眄し、財政規律を真剣に考える気がなく、国債発行を垂れ流し状態にする、将来への責任感の欠如した政治家に日本社会の将来を任せることはできない現状を考えれば、一考に値するはずである。事実、数年前に自民党の石破氏も同様の見解を示している。同じ意味で、国会議員の定数と一票の格差是正の規則化・ルール化も憲法に盛り込むとよいのではないか。

日本は、ドイツのように政治家(シュレーダーやメルケル)と国民がやるべきことを理解して実行する国ではなく、やるべきことはわかっていても実行しない(できない・真剣にする気がない)政治家がはびこり、国民も声をあげない国である。国家の累積財政赤字が世界で突出しており、第二次世界大戦時と同レベルであることを忘れてはいけない。

安倍首相にとっては憲法9条改正のためだけの憲法改正であろうが、実際は、他にも議論すべきテーマが数多くある。憲法改正という聖域に着手したことで、ゼロベースでの議論がスタートすれば、政治家の権力強化という目論見とは逆の方向に進む可能性は高い。この意味で、まさに安倍首相にとってはパンドラの箱を開けてしまったということになるのかもしれない。

実は、国民にとっては、今回の憲法改正が可能な状態は、憲法9条の改正以外に議論すべき多くのことがあり、とりわけ縮小経済の中でのシルバー民主主義という課題を解決できる、国民にとっての千載一遇のチャンスではなかろうか。この機会を逃すことは、将来の日本の社会にとって大きな禍根となるであろう。この観点で、憲法9条にのみフォーカスするであろう安倍・菅内閣の憲法改正議論に目を光らせ、強い当事者意識を持つことが国民には求められる。つまり、国民はパンドラの箱を開けなければいけないのである。今後の憲法改正議論の進展を、この観点から注視したい。

最後になるが、これまでの今上天皇のお言葉、特に安倍首相主導の強硬な集団的自衛権行使容認という憲法9条の解釈変更を受けてのお言葉、公務でご多忙の中での太平洋の戦地へのご訪問などを鑑みるに、今上天皇が、日本と世界の平和について深い思いをはせられていることが強く拝察される。この文脈で、安倍首相が戦争に対するけじめを一顧だにしない中、今回の今上天皇の退位のご意思の表明は、どのようなお考えでなされたかを国民一人一人が深く考えることが求められるのではないであろうか。

1.10月20日の生前退位という表現に対する皇后さまのご発言(文書であるが)を受けて、「生前退位」というマスメディアの表現は不遜であり「譲位」を使うべきとの発言を耳にするが、そもそも譲位とは中立的な表現ではなく、歴史的な表現(これまで重祚した皇極天皇に始まり59例があると言われている)である。つまり、譲位とは、天皇を退位し、太上天皇・上皇となるが、譲位を受けた天皇も存在する二重構造を前提にした表現である。現行の皇室典範では認められていないので、現在、退位した天皇に使う呼称もない。この背景を抜きに、より中立的な退位という表現を攻撃することは、思想性もあろうが、日本人が言葉の中立表現に対する感度の極めて低いことを示す典型であろう。厳密にいえば、生前という表現は、ご存命でなければ退位はできないので重言であり、不要である。ただし、明治時代以降、譲位は禁止されているので、あえて生前という表現で、崩御以前における皇位の移譲を強調したかったのではないかと捉えることはできるであろう。